ネット生保立ち上げ秘話(4) 共鳴 - 岩瀬大輔
再会
2006年8月22日。投資委員会から2週間後。出口と僕は、我々を引き合わせた運命の人である谷家さんとともに、東京駅八重洲南口にそびえたつ、「パシフィックセンチュリープレイス丸の内」の19階受付にいた。僕の鞄の中には、キンコーズできれいに製本されたプレゼンテーション資料が2部。
ここは、マネックス・ビーンズ・ホールディングス(当時。現マネックス・グループ)の本社。訪れるのは、2回目のことだった。1回目は、まだ留学中の2006年1月。進路相談をすべく、高校の大先輩に当たる松本大さんに会いにきていた。当時は、まさか半年後、出資の相談のために事業計画を手に再び訪れることになるとは、夢にも思っていなかったが。
あすかDBJの投資委員会では、「ネット生保」の可能性について非常に高く評価してもらった。他方で、本事業を成功させる上では、我々の「新しい金融ビジネスを創造していく」という理念に共感してくれて、一般消費者から高い信頼を集め、かつコンシューママーケティングの造詣に深い事業パートナーに加わってもらうことが成功には不可欠ではないか、とのことだった。
そこで、パートナー候補となりうる企業をリストアップしていった。出口と僕が理想とし、リストの最上位グループに入っていたのが、高い志と強い経営理念をもって創造的な金融サービスを次々と展開していた、マネックスだった。谷家さんが松本さんと旧知の仲ということもあり、この日のアポが実現した。
ガラス張りで透明の会議室に入ると、松本さんは谷家さんと親しく挨拶を交わしたのち、僕を見ると驚いたような表情をしながら話しかけてきた。
「キミ、本当に谷家と一緒にやることにしたんだ。びっくりしたよ。」
「松本さんのアドバイスのおかげですよ」
谷家さんに会った直後に、僕は松本さんのオフィスを訪ねていた。そのときにもらったアドバイスが、その後の進路を決める上で、大きな後押しになった。
「リスクのないところにリターンはない」
「直感を信じて行動せよ」
「人は一人では何もできない。信頼関係はDay 1 からあるものではない。ゆっくり歩みながら、築いていけばいい」
そのような力強い言葉をもらって、僕は谷家さんの支援を受け、企業家としての道を歩むことを決めていたのだった。
覚えていてもらえて嬉しく思っていると、松本さんの横にいる男性が、驚いた顔をして口を開けている。
「出口さんって、、、もしかして、ニッセイのデグチさんですか!!いやー、驚いたぁ。『ニッセイのデグチ』といえば、生保業界のブレーンとして知られたお方、、、こんなところで再びお会いするとは、、、なんたる偶然」
この方のかつての上司の方が出口と親しくしていたこともあって、当時からよく名前を聞いていたようだった。
このような二つの「再会」から始まったミーティングだった。谷家さんの紹介ののち、出口が簡単に挨拶する。
「お忙しい中、私どもの事業計画についてお話する貴重な機会を設けて頂きありがとうございます。今日はこちらの岩瀬から、説明させて頂きます」
予定されていた時間は1時間。僕らの運命を握るミーティングが始まった。
共鳴
マネックスの社長室は、小さく質素なガラス張りの部屋である。奥で業務に打ち込む社員の皆さんの姿が見えるし、向こうからも中の様子が伺える。松本さんは普段は彼らと机を並べて執務を取られているようで、この部屋の机には何も置かれていない。
部屋の角には、神棚が奉られている。証券業界で活躍されている人ほど、このように神様を大切にしたり、ゲンを担ぐことが多い。それは長年市場と勝負してきた末に、自分の力量だけではどうしようもない、マーケットのとてつもなく大きな力を知り、それに対して畏敬の念を抱いているからだ。
僕は、やや緊張しながら松本さんの前に座っていた。きれいに製本されたプレゼンテーションを1枚1枚とめくりながら、僕ははじめてこの部屋を訪れた2006年1月を思い出していた。
僕がアントレプレナーとしての道を踏み出そうと決意したのも、谷家さんの魅力とともに、尊敬する松本さんから起業を勧める言葉をもらったから、というのが理由だ。
気がつくとその半年後、僕は自分が携わる事業に松本さんの助けを仰ぐため、ご本人を目の前に、自分が描いた事業計画を説明していた。何という巡りあわせだろう。
準備していた資料の説明が終わり、色々な質疑応答が行われた。金融のプロである松本氏にとってさえ、生命保険は特異なビジネスであり、一つ一つの疑問について、出口が丁寧にひも解いて説明をしていく。
1時間が経っただろうか。夢中に話をした時間はあっという間だったので、覚えていない。ミーティングが終わりに近づいたことが明らかになったそのときに、松本さんが僕たちに向かって言った。
「お二人が語られた事業の理念には、大いに共鳴します。私自身も、ネットを活用した生命保険のビジネスというのが成り立つはずだと、以前から考えていました。
生保はネットで売れない、そう反対する声も少なくないでしょう。しかし、私たちがネット証券をはじめた当時も、そのような意見が多数ありました。
生命保険業界はいま、変革のときを迎えています。それは、1999年当時の証券業界に似ているように思います。
私たちとしてどのような協力ができるか、ぜひ、前向きに検討させてください」
ライフネットの小さな芽が、息吹を上げようとしていた。憧れの松本さんと、仕事でご一緒できるかも知れない。ワクワクした思いに胸は高鳴り、僕は谷家さんと出口とともに、軽やかな足取りで八重洲のオフィスを去った。
(つづく)
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