カッサンドラとは、古代ギリシア時代のトロイの王女です。
彼女はその美しさのために太陽神アポロンの求愛を受けますが、なぜか断ります。アポロンは彼女への贈り物として、未来を見通す予言の力を与えるのですが、求愛を断られた腹いせに、未来の事はわかるのですが、その予言は誰も信じない、という付加条件をつけるのです。
これによってトロイがトロイ戦争に破れて滅亡する恐れがあることを王女がいくら予言しても誰も信じず、結局悲劇を避けることができなかった。さらにひどいことに、その阿鼻叫喚の中でもカッサンドラのいうことを聞いていればよかったと誰も思ってももらえない。
つまり、先を見通す力は、それを周囲に信じさせることができて初めて意味を為すのです。
何が言いたいかというと、カッサンドラの悲劇は、彼女が予言力を得たことにあるのではなく、彼女が見た未来の世界を周囲に伝える力、言ってみればコミュニケーション能力が欠けていたことこそが、悲劇を産んだということです。
僕たち起業家は、自分のアイデアをまず投資家に信じさせなければならないし、それが通れば世の中のさまざまな人達にも、そのアイデアの価値を信じていただかねばなりません。それは非凡なコミュニケーション能力やプレゼン力が必要です。
起業家だけではありません、政治家でも同じです。自分にだけ見えるのかもしれない未来の世界を、それが良い未来であれば実現を目指し、悪い未来であるならばそれを避けるための努力をする。そしてそれを周囲に伝え、理解と支援を取り付ける。それが大事です。
しかし、往々にして、人は自分の力を信じきれない。自分を信じられなければ他人を信じさせるのは不可能です。だから失敗する。
失敗するならトライはしているのだからまだましで、多くの人は挑戦すらしない。
カッサンドラになるのが怖いからです。
それで本当に良いのでしょうか?
カッサンドラに進んでなる。そして彼女の悲劇を超えて、彼女にたりなかった点を補い、成功するカッサンドラになろうと思うことが大事なんだと思います。
僕はIT業界に長くいます。自分でいうのもどうにもかと思いますが、世の中の動向やこの業界の未来予測については、かなり自信があり、実際さまざまな予言をして、相当の確率で当ててきています。ただ、予言をするのが早すぎるためか、その内容について批判や中傷を受けることも度々です。
しかし、それでも、今後もカッサンドラの悲劇を味わうことを恐れずに、思うところを表現していこうと思っています。同時に、自分に見えた世界を、自分の力で実現するための努力を、今後も惜しむことなく、向かっていこうとかんがえています。
みなさんはどうでしょう?
カッサンドラの悲哀を味わう前に、みずから挑戦を放棄していませんか?
かんがえてみませんか?
コメント
これは言うは安く行なうは難しで、予想が100%当たれば怖いものなしですが、外れた場合に、信じて付いてきて頂いた顧客へ与える不信感や実損などを考慮すると、実は難しい。
予想がその通りになった場合に、何故あの時、顧客にもっと強く訴えなかったんだろうという思いが生じることから、小川さんの主張につながるわけですが、その場合は後悔先に立たずです。
普通の人間は先が見えたり見えなかったりするカサンドラであるため、コミュニケーション能力に長けていててミスリードすることすらありうると思いますが、如何でしょう。
御主張には概ね同意いたしております。
「外れる予言」というのは自己矛盾ですね
予言は外れないからこその予言です