以下は資本主義の反対は社会主義ということを言うまでもないこととして扱っている。
「社会主義の教訓」と「資本主義の教訓」とは「どっちもどっち」ではありません。決定的に非対称的です。
一般に資本主義というのは金持ち優遇で貧富の格差がはげしい社会システムだと考えられています。
一方で、社会主義とは社会全体の活力を失うものの、格差という点では平等な社会システムだと考えられています。
私も冷戦終結まではそれを疑うことすらなかった。
しかしそれからの20年で、この二つは直交するのではないかという思いをますます強くしている。
まずは言葉を見てみよう。わかりやすいので社会主義の方から。
社会・主義。それでは社会の反対ってなんだろうか?
資本、ではないよね。
国語の授業では、「社会」の反対は「個人」と教わっているはず。で、この問題に関しても国語が正しいと私は考えている。社会主義(socialism)の反対は、個人主義(individualism)。
こう考えると、社会主義って何かもわかりやすい。個人主義をまず考えてから、その反対を考えればいいので。個人主義とはなにかというと、「すべてのものは誰かの持ち物」ということ。会社もまた株という形で最終的に持ち主を判別できるので、個人主義を資本主義と混同しやすいというのもわかりやすい。
その先に進む前に、今度は資本主義を同じように考えてみよう。資本・主義。資本の反対ってなんだろうか?今度は反対語で考えるのがピンときにくいので、まず資本主義をおさらいすることにする。
Aさんは90粒の種を用意し、Bさんは10粒の種を用意しました。二人でこれを育てたところ、1万粒になりました。これをどう分けるか?9000粒をAさんに、1000粒をBさんにわけましょう。これが資本主義。
これだけ見ると、とってもフェアだ。だけど一粒も持っていないCさんが加わったら、創意工夫で10万粒になった。Cさんは何粒貰うのが妥当なのか?ゼロ?それとも9万粒?
純粋な資本主義であれば、Cさんの取り分はゼロでなければならない。Cさんは一粒も種を持ち寄らなかったんだから。しかしそれではCさんのような人は出ない。そこで渋々AさんとBさんはこういう契約を交わす。「Cに渡す分を『必要経費』として差し引き、残った分を差し出した種に応じて山分けする」。こうして経営と資本が分離された。
この時点で、資本主義はすでに純粋でなくなってしまった。しかし資本主義の発展は、この不純を認めたところからはじまった。種はあっても育てられない人と、育てられるけど種がない人が、一緒に仕事できるようになったのだから。
そしてオランダ東インド会社が出来てから四世紀あまり、誰が最も「得をしたか」といえば、Aさんのような大資本家でも、Bさんのような小資本家でもなく、Cさんのような経営者。日本の長者番付を見ても世界の長者番付を見てもそれはわかる。もし「資本主義」が「資本原理主義」のままだったとしたら、孫正義もSteve Jobsもありえない。
それでは、この純粋でもなく、資本家よりも経営者を資することになったこの「主義」を一体なんと呼ぶべきだろうか?
私はこれが「能本主義」(meritocracy)というものではないかと考えている。
- 資本主義の反対は、能本主義。
- 社会主義の反対は、個人主義。
これでものごとがだいぶすっきりする。a.は「生産されたものをどう分配するか」。b.は「すでにあるものを誰に帰属させるか」。
で、話を社会/個人主義に戻す。資本主義が、資本原理主義を捨てた時に大きく伸びたことが、個人主義においても起きたのではないか。
個人主義と社会主義の違いは、「だれのものでもない」ものを認めるかにある。「誰かのものなんて存在しない」まで行ったのが共産主義(communism)というのはおいておいて、「だれのものでもない」ものの存在価値を認めた時、個人主義も大きく伸びたのではないか。
帝政ローマの沿革を見ても、また20世紀の「先進国」の沿革を見ても、国の仕事というのは増えこそすれ減らないものだという印象を抱かざるを得ない。いづれもGDPを上回る速度で国家予算が成長しているのだ。しかしなぜか?
私民が、「やりたくない仕事」、「割に合わない仕事」を公に押しやるためではないのか?
まず真っ先に公に押しつけられる仕事が、(国内外を問わず)他人にルールを守らせることと、そのための暴力の管理。現代の政治学では、「最も小さい国家」の姿を「夜警国家」としているが、最も小さな国家においても、この「だれもやりたくないものは国へ」という原理は成り立つ。
そして社会が豊かになるにつれ、かつては私(し)が行って当然だったものも、公に移される。かつてはゴミは裏庭で焼いていたものだが、今では細かく分別するところまではとにかく、最終処分は自治体がやっている。そしてついには、幼子の教育や老親の面倒の一部まで公の仕事となって来ている。
そう。「だれのものでもない」ものに、「面倒なこと」を押し付けることによって、個人が「できること」が増えるのだ。たとえ税率が10%から倍になっても、所得も倍になれば、90だった手取りは160となって77%も増加する。
勝ったのは資本主義ではなく、能本主義と社会主義ではないのか?
しかし留意してほしいのは、それはあくまで資本主義と個人主義の都合によってそうなったということで、そしてこの二つは別に負けた訳でもなんでもない、ということ。「増加率」という点で比較すれば「経営者」と「政府」の方が大きいけれども、「絶対量」という点では資本家の取り分も個人の取り分も増えているのだから。
そしてどちらの場合にしても、実は「面倒なことを引き受ける」者が最も取り分を増やしたことを、我々は改めて再認識しておくべきなのではないか。
Dan the Individual Capitalist
コメント
個人の能力も資本ですよ。
ここで書かれている、資本主義と能本主義と個人主義は、同じものです。
まとめると、社会主義の反対は資本主義で片付いてしまう。
まあ、私も社会主義は何か役に立つんじゃないかと思いますが、政治的に極めて悪用されやすいのが困り物です。
蛇足ながら、日本は社会主義と資本主義の中間よりも、社会主義寄りの国だと思います。
あの、すみません、“個人主義”という語は“全体主義”の対義語じゃなかったでしたっけ。
小飼様
あまり概念論的にあれこれ考察されるより、西洋史、西洋哲学史の観点から考えたほうが分かりやすいですよ。
誤解を恐れずにいえば、デカルト以前の西洋哲学に「個人」は無かったんです。「国」はどうあるべきか。「社会」はどうあるべきか。そんな問いはあっても、「個人」とはなんぞや、という問いは無かった。
なぜ16世紀ヨーロッパで「個人」がクローズアップされたかといえば、それは「社会」のありようを一方的に強制したカソリック教会に対抗する新教勢力が勃興したからです。教会を介さない、神と直接結びつく、「個人」が出現したのです。
こうした哲学的傾向がもっとも鮮明に出現したのがオランダです。なぜか?オランダがカソリック勢力の最大スポンサーであったスペインを相手に、独立戦争を半永久的に継続していたからです。そして、スペイン王室(とその南米植民地)の富に対抗するために、ソヴェリン債券市場と、株式会社という金融イノヴェーションが起ったのです。
その時代の「個人」がどんな「個人」だったか知りたかったら、レンブラントの絵を見てください。名作「夜警」に描かれているのは、グループで画家に「集合写真」を発注した投資家という「個人集団」の群像です。
個人主義/資本主義という概念の前に、戦争という「必要」があり、思想武装という「必要」があったのです。
じゃぁ現代はなにが「必要」なのか、というのがより喫緊の課題ですね。
矢澤豊
みなさん、どうしてXX主義という言葉がそんなに好きなんでしょうか? XX主義という言葉は、これを相手側に貼り付ければ、てっとりばやく攻撃できるからでしょうか? 私は、個人主義でトイレをすまし、 社会主義でバスに乗り、 非能率主義で仕事をしています。
主義は大事だと思いますよ
トイレを個人主義で使うと言ってますがみんなの迷惑にならないように、余り汚さないように使用としていたら社会主義なのではないかと思う
バスだって回りを考えて乗るの社会主義?
だとしたら個人主義となんぞや
自分のことしか考えないことではないのだろうか?
それはいいのだろうか?
資本主義イコール個人主義だとすると違う気がする
資本主義とはその人の能力認めることではないかと思う
そう考えるとしっくり来る。
社会主義とは何か?周りを考え平等にすること?
平等てなに
努力をなんでもかんでもできるはずがない
社会主義というのは国としてみたら動きやすいかもしれないが個人としてはとてもすみにくいものではないのかと考えてしまった。
個人を尊重させて何が悪いのかということになるが
お金・物があるからである
お金とは力、物とは力
力が片寄れば不満が起こるのは当たり前
しかし世の中生まれながらにして平等でないのは当たり前
これを平等にしたら能力を磨いた人はは被害を被る
ようは怠け者が悪い
人間は元々社会的生き物であるから社会主義しっくり来るが社会主義やるなら仕事の分配までやり何でも国が決める必要がある
金だけ平等とかばかげてる
仕事の分配をやらないんだったら資本主義こそ平等を意味してるのではないだろうか?
あと資本主義とは個人主義というより家系主義+仲間主義だと思うけどどうおもいますか?
シュムペーターの以下の書籍をお薦めしておきます。
http://www.amazon.co.jp/dp/449237079X
自分の言葉ではうまく言えないけど、資本主義とは、
「楽天主義」らしい。
みんなが、ルールを確実に守ることを前提に成り立っているシステムだと思います。
でなければ株も会社も機能しないから。