世界の多くの国を見ますと、学校の教師と警察官の働きやすさが社会の健全さを表す1つのバロメータになっています。ここ数年で小中学校から大学の教育機関に限らず、昨年から始まった、無料の職業訓練と生活保障を行う緊急人材育成・就職支援基金の講義に至るまで、クラスが崩壊して授業が成り立たないケースが増えてきました。
授業が成立しづらくなっている要因は、小学生から職業訓練まで共通して「勉強しても先行きが見えない」といった閉塞感にありますが、当時の世界レベルから見て、江戸時代の「読み書きそろばん」ように、極めて高いリテラシーから低下している傾向は否めません。
戦後の高度成長期に見られた暗記力による詰め込み教育は、受験競争の激化など社会的な批判が高まりました。その結果ゆとり教育となりましたが、「自分で考える力」の前提となる、知識そのものを欠くことになってしまいました。そのため学校などの授業を受けても面白くないため、さらに学力低下に拍車をかける、といった負のサイクルになっています。
最もしわ寄せを受けているのが最高学府の大学ですが、全入時代によって大学でも中学生の補修や宿題・添削をすることが増え、本来教えることが十分に出来ないことも珍しくなく、こうしたことによる採用・教育コストの増加も、企業の新卒採用を控えて海外に軸を移す1つの要因となっています。
昨今ではゆとり教育はやめ、国際競争と企業の求める人材の観点から再び学力強化に舵を切ることになりました。
しかし子供・親ともに周囲との同調圧力が強く、知的好奇心を持っていても表に出しにくい状況の中で、下記のようにデジタル教科書の課題がたくさんあっても、取りかかりの1つとして自分で興味・関心を持つことについては、学ぶ環境にあったほうが長い意味で望ましいのではないでしょうか。
<主な課題>
- 目が悪くなりやすい。
- デジタル機器を使うと、必ず不具合などで授業が滞りやすい。
- 技術革新が早く、結果として2-3年サイクルで買い換えざるを得ないため、費用がかかる。
- アダルトなど、情報のフィルタリングを行う必要。
- 教科書が自宅と学校に2冊あっても何もしないことが多い→取りかかりとしてアクションに。
- 大学及び教授によっては、考える力より単純に知識の切り売りをする場合もあり、自分で考えて物事をこなす力を身につけにくい。→知識取得は電子デバイスで行うほうが合理的。
こうした課題がありますが、今の状況を鑑みれば、興味を持つに至る動機はマンガやゲームなどでも構わないので、まずは知的好奇心を高めるためにも、1つのきっかけとしてインタラクティブな形でのデジタル教科書があってもよいのでは、と考えます。
今までの教育論議を見てみますと、社会や教育環境をめぐる環境を直視していない面が否めませんが、建前や理想論だけでは、知的好奇心を高めることは難しいでしょう。
(石川貴善 有限会社ITソリューション 取締役)
http://www.it-planning.jp