ネット生保立ち上げ秘話(22)2位では駄目なんですか? - 岩瀬大輔

岩瀬 大輔

値下げ戦争の予兆

「大変です!SBIアクサが我々に対抗して値下げをすると発表しました!」

同僚からの報告を聞いて、思わずパソコンから顔をあげた。開業から4ヶ月目に入り、暑い夏が明けようとしていた2008年9月2日。折りしも社長の出口は二人で仕事を始めてから初めての休暇を取っているところだった。

「SBIアクサ生命がライフネットに対抗して保険料を割引」

このようなタイトルの日経新聞記事は、同社が翌10月から一定の条件の契約について保険料の割引を実施することと、それによって保険料が業界最低水準になったと主張していることを報じていた。

よりによって、出口が不在の間にこんなニューズが流れるとは。もしかして、先方に社長のスケジュールが漏れているのでは?そんな冗談を言う人までいた。

「ライフネット生命はマネックス、SBIアクサはSBIグループがそれぞれ支援しているが、ネット証券の熾烈な手数料値下げ競争が、ついにネット生保業界でも幕を開けた」

記事はネット生保業界でも値下げ競争が始まりそうなことを示唆していた。ただでさえ思うように伸びていないのに、「業界最安値」という唯一の強みが、失われることになる。競合の値下げにどのように対抗するかは、今後の成長を大きく左右しうる問題だった。


2位では駄目なんですか?

そもそも、常に業界最安値であろうとするSBIグループよりも我々が安い保険料を提示できていたのは、彼らが我々よりも1ヶ月早い4月に開業していたことと、想像ではあるが、アフィリエイトや代理店に集客を依存するビジネスモデルを想定していたのか、流通業者に対して払うコミッションを思い切って削れていなかったことによった。聞こえてくる噂では、同グループのカリスマCEO北尾吉孝氏は我々をマネックスと同一視し、「何でマネックスより安くできないんだ!」と檄を飛ばしていたという。

どの企業にとっても価格政策は高度に戦略的なイシューであるが、我々のように商品が二つしかなく、かつ主な「売り」が安さである企業にとっては、ここでの判断が命運を左右する可能性があった。

チューリッヒ生命の代表を8年務め、格安のガン保険商品で市場に風穴を開けた経験があった野上は、追いかけて値下げをすべきと主張する一人だった。

「ネットビジネスでは、ウィナー・テイクス・オール。1位か2位の差は決定的に大きい。今まで我々に来ていた顧客が、一斉に向こうに流れてしまう可能性すらある」

この意見は自分の体験からも傾聴に値した。価格コムなどの比較サイトでも、真っ先にクリックされるのは最安値の企業である。余程の理由がない限り、2位以下に注目は集まらない。 

しかし、一歩引いて考えてみると、そもそも我々が思うように伸びていない理由は認知が圧倒的に不足していることにあった。大きな敵は既存の生保か、そもそも無加入層の無関心にこそある。ここで弱小のネット生保同士で消耗戦を展開するのは、まるで大人が髪を引っ張り合ってつかみ合いのケンカをしているように思えてきた。業績を高めるためにやるべきことはもっとたくさんあるはずだ。

決め手となったのは、アメリカンファミリー生命(アフラック)で長らく保険計理人を務めたベテランアクチュアリーの福田尚正の言葉だった。年は60代後半、聞こえるか聞こえないかの声でボソボソと喋る彼の意見にはいつも注意深く耳を傾けた。

「岩瀬さん、生命保険っていうのは、息の長い商売なんです。じっくり、大きく構えなければならない。短期間で頻繁に保険料を変えるような会社は、長い目で顧客からの信頼を得ることはできません。」

結局、社内でよく議論した結果、まずはSBIの値下げが実施される10月以降の契約動向を注意深くウォッチすることとし、同時に仮に値下げを実施するならばどういうステップが必要となるか、事務、システム、マーケティング等各部署で整理をすることにした。

ネットビジネスの雄、参入

競争が少しずつ本格化していく兆しは、8月の頭に既に現れていた。

「楽天、生保に参入 
 アイリオ生命に出資、提携へ 独自商品 ネット販売」

2008年8月8日、日経新聞に出た記事。無認可共済から生保に衣替えするアイリオ生命に14.9%出資し、生保商品を共同開発するほか、楽天市場で販売するとのことだった。「グループで4千万人の会員を抱える楽天が参入することで、ネットと生保の融合が加速しそうだ」とのコメントが付加されていた。

これは決して驚きではなかった。「大手生保がネットに進出したらどうするのか?」という質問を受ける度に、次のように答えていたからだ。

「既存の営業職員チャネルとのコンフリクトを考えると、大手が近い将来参入することは考えづらい。あるとすれば楽天などのネット大手だろう。」

同社の三木谷会長とは留学中に一度会食する機会に恵まれたが、帰国後もベンチャーやハーバード関連の会合で何度か顔を合わせていた。

「最近、色んなところで話を聞くよ。機会があったら一度ゆっくり、話を聞かせてよ」

そう言われていたので、一応我々の存在は認識してくれていたようだ。

ネット生保に参入が増えることそれ自体は、我々の成長にとっても嬉しい知らせだった。ネット証券が良い例だが、新しいカテゴリというのは4-5社が乱立することで活性化し、世に普及する。もっとも、今回の楽天の出資は投資会社を通じて、しかも15%未満ということで、まだこのビジネスに本格参入するというよりは、その趨勢を見守るためにツバをつけておこう、そんなシグナルのように思えた。

見えてきた顧客像

9月に入ると、突破口となりうる一つの材料が手に入った。7月末までに加入した契約者アンケートの結果である。これが出るまでは、顧客像が必ずしもよく見えていなかった。調査結果を分析することで、この初期の階段でライフネットを支持し、加入してくれたお客様がどういう層なのかを理解し、次の一手に役立てることができるはずである。

まず、新規での保険加入が37%もあり、既に入っている契約を見直した42%に拮抗していることが分かった。生保の世帯加入率は9割近いので当然顧客の大半は見直し需要であると考えていた。そして、広告等のメッセージも保険の見直しに大きくフォーカスしていた。しかし、今回の結果を受けて、新規加入者をも意識したメッセージにシフトしていくことになる。

もう一点は、ライフネットへの加入を契機に保険を見直したお客様が、平均して6,942円、保険料を削減したと回答していたことだ。うち、55パーセントの方が保障内容を減らしたと回答しており、ネット生保を使って保障を合理的にしていることが伺えた。

このデータは、我々のマーケティング上のボトルネックを解消するきっかけとなった。ネット生保の顧客にとってのメリットの一つは、流通コストを省くことで安い保険料を実現していることであるが、一般の人は生命保険の価格の相場観を持っていないため、「30歳男性、保険期間10年、保険金額3千万円の死亡保障を月3,484円!」と言われても安いかどうかよく分からない。更に、例えば保険期間を10年、20年、30年と変えることで保険料は大きく変化するので、益々比較がしづらい。

そこで考えたのが、「皆さんは保険料がどれくらい変わりましたか?」とだけ聞くことにした。そうすることで、各人の個別の事情はさておき、平均すると毎月7千円の節約ができたことは伝えることができる。あとは皆さんで判断して下さい、ということである。実際の結果は人によって異なるだろうが、生保をネットで見直すことで、これだけの節約ができるかもしれませんよ、ということを明確な価値として伝えることができるのである。そして「安売り」というネガティブなイメージを伴わずして、保険料の安さを訴求することができる。

これで、今後のマーケティング活動に向けて、大きな武器を手にした気がした。

会社挙げてのビラ配り大作戦

新聞や雑誌、そしてウェブの広告も申込に繋がらない中、我々の打ち手は次第に限られていったように思えた。そこで広告が効かないなら、チラシ配りをやろう、ということになった。決して竹槍戦法という訳ではない。全社員が一丸となってできることをやる、という姿勢が今のライフネットには不可欠であると思った。

色々と候補を検討した結果、会社の最寄り駅である半蔵門と麹町の駅前で朝の出勤時、そして株主である新生銀行のご好意で昼休みに同行と子会社である昭和リース社の食堂付近で、ライフネットのチラシを配らせてもらえることになった。

こういうときに抜群のリーダーシップを発揮するのが、我が社の西田ひかること高尾美和である。長らく生保の営業で鍛えたその実力は、間違って目を合わせてしまったら最後、思わず生命保険に加入してしまうのでは、と思わせるものだった。

「よーし、やるわよ。おはようございまーす、ライフネット生命です。よろしくお願いします。」

その持ち前の明るさは、皆を元気づけた。そして、同じくらいビラ配りに熱心に立ったのが、出口だった。はがき大のカードを胸に忍ばせ、普通に街を歩いている時もティッシュを渡されるとカウンターパンチで配った。相手はきょとんとしていた。訪問先の企業の受付、お昼を食べた定食屋のレジ。場所を選ばず、とにかく一人でも多くの人にライフネットを知ってもらおうとする姿は頼もしかった。あらかじめ「関係会社が来るので受け取ってあげて下さい」との連絡がされていた昭和リースの食堂前ですら、もじもじしながらしか渡せない自分が情けなかった。

そうか、経営者というのは10年先の遠くを見つめながらも、目先の一人一人のお客様も大事にしなければならないんだ。そんなことを、社長の背中から学んでいた。

(つづく)

* 過去記事は こちら をご参照ください

ライフネット生命 http://www.lifenet-seimei.co.jp/