毎年約1兆円の勢いで膨張する社会保障予算(年金・医療・介護)。これら高齢世代向けの予算は、削減するのは容易でないから、おおむね聖域となっている。かつて、小泉政権時代には、「聖域なき構造改革」として社会保障予算の膨張を抑制しようとしたが、医療をはじめ悲鳴が上がり、改革は頓挫してしまった。このため、いまや若い世代向けの予算(例:教育、子ども手当)が主な削減の対象となり、そのしわ寄せを一身に受けつつある。
賃金収入の低迷や雇用環境が厳しさを増し、それらが家計を圧迫するいま、「子育て支援」の目玉として登場した子ども手当。子ども手当の拡充を公債発行で行うのは、将来世代への「ツケ」先送りに過ぎない。一般的に、拡充財源が見込めないならば、見直し対象とするのは当然である。
また、子育て支援は、子ども手当のみでなく、待機児童解消のための保育所の充実や大学などの高等教育の質的向上に利用する方法もあるから、もっと十分な検討が必要であるのは言うまでもない。
だが、若い世代向けの予算が真っ先に削減対象となるものの、高齢世代向けの社会保障予算のみが聖域化されているのは、はやりどこか不公平であろう。日本は、いつから高齢者の意見のみが反映されやすい「シルバー民主主義」の国になってしまったのか?
もし国際的なハブ空港の構築や都市再生など、将来の成長につながる投資的予算までが削減の対象になるならば、拙書「2020年、日本が破綻する日」(日経プレミアシリーズ)でも言及しているように、それは二重の意味での若い世代や将来世代への「ツケ」先送りに他ならない。
また、いまの社会保障予算は、年金や医療などの特別会計で管理されているから、見かけ上、教育などの予算を管理する一般会計と区分経理されているようにみえるが、厳密にはそうなっていない。というのは、社会保障予算は一般会計からの公費補填(例:年金の国庫負担)を受けており、その補填は社会保障予算が膨張するほど増加する仕組みとなっている。
このような構図を断ち切るためには、膨張する社会保障予算(年金・医療・介護)とそれ以外の予算をハード化(厳格に区分経理)する必要がある。
社会保障予算のハード化は、年金・医療・介護の財政収支を均衡化させる方向に働く。もし、社会保障予算が赤字であれば、社会保険料や消費税などによって負担を引上げるか、給付の削減を迫ることになる。負担と給付の関係が明確化されば、できるだけ負担を抑制し、無駄な支出は見直すような力が働くから、社会保障予算の効率化を促すメカニズムをもつ。
つまり、社会保障予算を聖域化させず、その効率化を促すためにも、社会保障予算のハード化は不可欠なのだ。