損益分岐点
2008年12月13日、土曜日。神保町の貸会議室を借りて、ライフネット生命の「ご契約さま感謝Day」なるイベントが行われていた。ゲストには経済評論家の山崎元氏と、マネー誌「ダイヤモンドZai」編集長の浜辺雅士氏が招かれていた。
当初、参加者は50~60名を目標にしていたが、いかんせん、師走の忙しい時期に入った土曜日。契約者向けに案内メールを出してもなかなか返信が来ない。葉書に洒落たデザインを印刷して送ってみたが、結果は余り変わらなかった。
そこで、開業直後から真っ先に契約を結んでくれていた友人たちに電話を片っ端からかけて、パートナー同伴で来てもらうことにした。もちろん参加者が少ないと寂しいからということもあったが、彼らにもライフネットの仲間に会ってもらい、どんな会社に家族の安心を託したのか、直接見て欲しいという気持ちが強かった。保険会社という何か抽象的な存在が大事なのではなく、それを動かす一人一人の生身の人間の表情を見て、会話をして、各自の視点からもこの会社を選んで良かったと感じて欲しかった。
小ぢんまりとした手作りの集まりが無事に進行していた。その雰囲気が変わったのは、社長の出口が「黒字化はいつか?」という問いに対して、以下の回答をしてからである。
「15万から20万件に達することができれば、黒字化できると考えています。」
出口はいつもマスコミに答えるように堂々と答えたが、その時、友人の奥様方の間がザワザワし出した。中の一人が促されるように振り返ってこう訊ねた。
「岩瀬、さっき、現時点の契約数が数千件だと言っていたよな。本当に黒字化できるの?大丈夫?」
一瞬、言葉に詰まった。もっとも親しい友人たちでさえ、このように不安に感じるのだ。一般の方々が契約件数の少なさを見て、加入を躊躇するのも無理がなかった。
「ほら、生命保険っていうのは息が長いビジネスだから、じっくりやって行くしかないんだよ。」
お客様としてよりは友人としてしか、この時ははっきりと返せる言葉はなかった。
「覚悟の告発」
ヤフーニュースに大きく取り上げられた余波で幾つもの取材の依頼が来たが、特に印象深かったのが「週刊フラッシュ」。写真週刊紙というとどうも政治スキャンダルや芸能ニュース、そしてグラビアといった印象が強いが、よくよく見ると、時折、保険の選び方といったマネーに関するマジメな記事も掲載されている。
当時知り合った辣腕週刊紙編集者が次のように教えてくれた。
「岩瀬さん、我が国では我々週刊紙が果たす役割は大きいです。例えば、90年代後半、多くの人が財政と金融の分離を主張しましたが、それだけでは大きな石は動かなかった。しかし、フライデーがその問題の象徴であった『ノーパンしゃぶしゃぶ』を大きく取り上げたことがきっかけで、一気に世論は動き、大蔵省から金融庁が分離することになったのです。」
確かに大手メディア、特にテレビや新聞が権力に対してどれだけチェック機能を果たしているのか、疑問に感じることはあった。新聞記者は貴重な取材源としての官庁に対して強く批判的な記事を書くことをためらう。テレビは政治スキャンダルをワイドショー化するのは得意だが、「絵になる」映像が作られて視聴率が大きく見込める内容以外は積極的に取り上げたがらない。
加えて、民放のキー局の場合、特に大口広告主である保険会社に対する配慮が欠かせなかった。余り知られていない事実だが、保険業界は自動車業界に次いで2番目に出稿量が多い業界だった。自然と、スポンサーに対して批判的となるような番組は作りづらくなる。
ある時、キー局の若手プロデューサーがオフィスを訪れて語ってくれた。ライフネットの挑戦に感銘を受けて大きく取り上げたいと提案したが、上司に他の生命保険会社に批判的となるようなものはできないと言われた。自分としては諦めたくないので、継続して話は伺いたい、とのことだった。
少し話が脱線したが、2009年1月に掲載された週刊フラッシュの記事。中国人のハリウッド女優がビーチでお忍びのバカンスを取っている様子をパパラッチが盗撮したものが袋とじになっていたが、その数ページ後にライフネットの付加保険料開示が取り上げられていた。
しかし、その記事のセンセーショナルな見出しには、少しびっくりした。
「業界の異端児、覚悟の告発!」
まるでスポーツ界の不正か、芸能スキャンダルを暴いているようではないか。自分たちの手数料を開示しただけなのに・・・いずれにせよ、先の「財金分離」のケースと同様、国民に広く、分かり易く伝えるためには一筋縄ではいかないのだなぁ、と考えさせられた。
生命保険のユニクロ
「昨日、千原ジュニアが深夜番組で岩瀬さんとライフネットの話をしていましたよ。」
ブログのコメント欄にyoutube動画のURLと共にかかれていたので、クリックした。番組はケンドーコバヤシと2人でやっている「にけつ!」というトークショーだった。「ある副社長の話」と題されたそのエピソードで、ジュニア氏はライフネットの話をしていた。
ジュニア:「昨日、面白い人にあったんですよ。俺より年下の、確か32歳だったかな、その人が副社長で、60歳の社長と共同経営をやってる。それって俺が(笑福亭)仁鶴師匠と組んで漫才をやるようなものじゃないですか(笑)。その会社が、『生命保険のユニクロ』みたいな会社をやっているんですよ。」
ケンコバ:「それって、割とカジュアルな気持ちで買える保険ってことですか」
ジュニア:「なんかネットで買えて、『ザ・テレビジョン』とかを持ってきてくれる保険の営業マンとかがいなくて。で、その会社がいま急成長してるらしくて。それで2人がどこで知り合ったかというと、副社長が留学中に書いていたブログを社長が見つけて、スカウトしたって。」
ケンコバ:「へー、俺もブログやろうかな」
実はこの少し前に、東京MXテレビというローカル局の就職活動中の学生向けの番組で、千原ジュニア氏を相手に出演する機会に恵まれていた。よほど我々の立ち上げ話が印象に残ったのか、ジュニア氏はかなり詳細に僕の経歴から立ち上げの経緯までを語ってくれていた。
この晩、『保険のユニクロ』というキーワードでの検索が著しく増え、ウェブサイトにアクセスが流入していた。テレビの影響力を改めて知った出来事だった。
ゲリラ戦
それ以外にも、2009年が明けたばかりのこの時期は、とにかくお金を掛けずに様々なマーケティング施策を試してみようとした。まさに、「ゲリラ戦」である。
その一つが「調査PR」というもの。旬な話題についてアンケート調査を実施してその結果をマスコミに配布し、それが「ライフネット生命調べ」という形で名前の露出に繋がるというものである。
初期にやって大当たりしたのが、「オバマ大統領の支持率」という調査。就任直後であったことで、日本国内の支持率は89パーセント、時の首相の麻生総理の支持率が4割台だったこともあって、両者を対比する形でテレビやスポーツ新聞、雑誌で大きく取り上げられた。読み上げる度に「ライフネット」という音が視聴者に刻まれることになる。調査費用は数十万円だがら、投資対効果は抜群だった。
その後も調子に乗って「情報開示に関する調査~一番開示して欲しいのは彼氏の年収」とか、「おくりびとに関する調査~お葬式代は生命保険で準備する?」などと、毎月のようにPR狙いの調査を実施し、発表していった。
また、この時期、有力ブロガーの皆さんを会議室に集めて話を聞いてもらうブロガーイベントも実施した。
しかし、もっとも大きな影響力を発揮したのが、年に1回、週刊ダイヤモンドが実施している生命保険のランキング調査だった。これは保険に詳しいFPの方々を対象に、「自分が入りたい保険」ということで、死亡保障・医療保障などのカテゴリ毎に商品をあげてもらうもの。
これの死亡保障部門で、ライフネットの「かぞくへの保険」が1位に選ばれたのである。毎年、この生命保険の特集号はたくさん売れるらしく、この効果が絶大だった。雑誌を読んだ人からの申し込みはもちろんのこと、これまで第三者による「お墨付き」がなかった我々にとって、少なくとも1年間は、「週刊ダイヤモンドの自分が入りたい保険、1位!」とマーケティングで使えるわけである。
ヤフーニュース、テレビ出演、調査PR、ブログ。そして、再び麹町駅付近でビラ配りも行った。このようなゲリラ戦を続ける中での、ランキング1位。いよいよ、潮目が変わってくるのを感じることができた。
(つづく)