日銀は開き直れるかどうか、そこが今後の日本経済の大きな分かれ目になると思われる。もし開き直りに成功すれば、与野党及びメディアがどんなに日銀を批判しても、何も日銀は動かず、そのとき始めて、与党は、自分のこととして不況を捉え、何かをしなければならず、自分の頭で始めて考えることになるであろう。そこで打ち出される政策に期待するべくもないが、与党が失敗して始めて経済政策の失敗を官僚のせいでもなく日銀のせいでもなく、与党の責任として受け止めることになるだろう。こうして始めて日本の与党は、経済政策に対して責任があることを認識することになるだろう。しかし、残念ながら、日銀は開き直れないと思う。
日銀が開き直れないのは、それは日本経済に対して責任感がありすぎるからで、メディアや政治家の批判と異なり、日銀に良心が残っていることが、日本経済にマイナスとなると思われる。
改めて、10月5日に公表された日銀の金融政策の変更点を整理すると、4つのポイントにまとめられる。
第一は、ゼロ金利への引き下げだ。第二は、時間軸効果と呼ばれるもので、将来に分かって明示的に状況の変化が明らかになるまで、現在の政策を維持するというコミットメント。これは、現在がいかに緩和的であってもいつ引き締めに転じるかわからないと現在の緩和スタンスの持続への信頼性がなく、効果が限定的になってしまうことを回避したものだ。第三は、この時間軸効果の関係で、物価上昇率がプラス1%になるまでは、緩和姿勢を続けるというコミットをしたことで、実質的に物価上昇率1%のインフレターゲティングを受身的にではあるが、採用したことである。そして、第四が、量的緩和に明示的に踏み込んだことである。
これらの4つのポイントのそれぞれの論点には触れない。個人的には、どれも理にかなっており、今するべきかどうかは意見が分かれるところだが、選択肢としてはありうるもので、合理的だ。
今回の政策変更、措置を日銀白川総裁は包括緩和と呼んだが、そのこころは、この4つのポイント(日銀としては第二のポイントと第三のポイントを一体として考えているが)が相乗効果を発揮し、全体で大きな緩和政策になるというものだろう。しかし、白川総裁自身が意識しているか否かは分からないが、この包括緩和とは、もうこれ以上出来ない、やれることはここに全部入れました、という戦闘終了宣言なのである。
理にかなう政策でとりうるものはこれで全部だ。その通りだ。そして、それを一気に打ち出してしまうのは、切り札を一変に切ってしまうことであり、後にはもう何も残っていない。当然、日銀の狙いはそこにあり、これまで慎重に対応してきたのが、小出しにしすぎと批判されてきたことに対する回答であり、反発である。
だから、相当に思い切っているどころか、完全に開き直ったといえるのである。全部自分で出来ることはやりました。後は、いままで私達を批判するだけで、自分達では何もしてこなかった、貴方達の番ですよ、という宣言である。つまり、玉は政治に投げ返されたのだ。
しかし、この戦いは、日銀の負けになると思う。なぜなら、いわば、ここでもはや政治との戦闘を放棄し(経済とではない。緩和政策は決定よりもインプルメンテーションが重要であり、日銀はこれにきちんと取り組むはずだからだ)、負けるが勝ちといわんばかりであるが、政治の方が、鈍感力で大きく上回るからである。
政治サイドは、これが理にかなうギリギリの線であることを理解しないだろう。米国の政策によるドル安進行であるにもかかわらず、見かけ上はドルに対する円高に見えることから、この日銀の緩和しすぎの政策の危険性に政治は気づかない。
第二に、政治は気づいたとしても、気づかぬ振りをsることになる。なぜなら、日銀を叩き続けることは、官僚を叩き続けること以上に魅力的だからだ。なぜなら、官僚は自分達の部下だから、政治に監督責任があるが、日銀は独立しているから、言うことを聞かないのは、日銀自身のせいにできるからだ。
そして、量的緩和的な政策が量で見ると5兆円に過ぎないことから、もっと多額の買取を要求してくるだろう。政治は、金融政策の怖さを知らないから、この鈍感力に対しては、金融の怖さを知っている日銀は屈せざるを得ず、良心から、無知の政治を、ある程度、経済が破綻しなうような地点に導くために、妥協した政策をとって、政治的にも経済的にも破綻だけは避ける場所へ政治と経済を誘導することになろう。
したがって、どうせそうなるのであれば、今回、早くも白旗を揚げて、負けるが勝ちで、カードを全部切ってしまったのは失敗で、いつまでも少しずつ抵抗しながらカードを切った方がましだったということになることを危惧している。
やはり今回の日銀の政策変更は失敗だったと思う。