確率といういかがわしい概念 - 『強さと脆さ』

池田 信夫

強さと脆さ強さと脆さ――ブラック・スワンにどう備えるか
著者:ナシーム・ニコラス・タレブ
ダイヤモンド社(2010-11-27)
販売元:Amazon.co.jp
★★★☆☆


世界的ベストセラーになった『ブラック・スワン』の第2版につけられた付録が、日本では独立の本として来月、出版される。英文のドラフトの一部はウェブサイトにも出ており、私もこの部分だけコメントした。

付録なので170ページ程度の小冊子だが、論じているテーマは重い。根本的な問題は、現代の統計学や経済学が扱っている「確率」という概念がいかがわしく、これが人々をミスリードして危機をまねくということである。ケインズやラムゼーが1920年代に指摘したように、社会の出来事を統計力学のモデルで語るのは誤りである。なぜなら、そこには主観から独立に決まる存在論的確率がないからだ。

たとえばサイコロを繰り返し振れば、1の出る確率は1/6に収斂するだろうが、ドル円レートがあす上がるか下がるかは誰にもわからないし、同じ条件で繰り返すこともできない。社会科学で確率と呼ばれているものはすべて主観的確率であり、Gilboaも指摘するように、無知の上品な呼称でしかないのだ。主観的確率の理論を最初に定式化したラムゼーはこれを明確に認識しており、確率論は彼の構想した「真理の理論」の第一歩でしかなかった。

しかしラムゼーは夭折し、それを引き継いだ統計学者たちは、彼の理論そのものを確率的真理を述べたものと取り違えた。ラムゼーが別の論文で書いた「最適成長経路」の理論はDSGEによって実際の成長経路にすり替えられ、各人の信念(事前確率)の違いはベイズ更新によって「代表的家計」の知っている客観的真理に近づいてゆくというお話になった。

タレブも指摘するように、こういう話は論理的に破綻しており、現実にも2008年の金融危機で粉々になった。物理学のようなエルゴード性を満たす系は「長期」の平衡状態に収斂するが、経済のような非エルゴード系には経路依存性があるため、長期の概念がもともと存在しない。これは数学的には自明であり、それが近似的に安定しているように見えるときがむしろ危険なのだ。

その意味で今回の金融危機はブラック・スワンではなく、理論的に予想できた(タレブのファンドも大きな利益を上げた)ホワイト・スワンだった。危機を防ぐために必要なのは、インチキな経済学で未来を「合理的に予想」することではなく、未来は予想できないもので人々は不合理に行動するという事実を勘案した、冗長性の高い制度設計にすることである。

追記:本書は書評用のプレプリントで読んだので定価がわからなかったが、正味140ページで1500円は高いので減点した。

コメント

  1. jij999 より:

    financeの自由化・民主化が必要でしょう。巨大投資銀行とか独立系ヘッジファンドを規制するより、個人投資家や投資組合、プライベートバンク、マーチャントバンクを前面的に優遇すればいい。まあ、フィナンシャルエンジニアが潤沢にいることとインサイダーの自由化が前提ですが。

  2. bobby2009 より:

    >確率といういかがわしい概念
    メカニカルな自然現象(物理的あるいは化学的な現象で何回でも再現可能)以外に適用するのは間違いではないかと、私も以前からそのように「感じて」いました。
    統計は「科学的」な道具であるが、対象がメカニカルな自然現象でない場合には、道具を用いた結果は「科学」ではないという事かと思います。
    現在、確立という言葉で、いかがわしい結論を科学的に装っているのは、たとえば地球温暖化や臨床医療の分野などかと思います。

  3. cocktailnoshin より:

    最適を目指そうとしてはいても正しいとは限らない評価関数でゲームをするプレーヤの集まりに対し、
    意思(というか煩悩)を持たない粒子にアナロジーを求めるのは間違いだ。
    その間違いを仮定して確率的に危険分散したはずのサブプライムローンへの分散投資は、
    実は危険分散になっていなかった。
    いっせいに動いてプライムローンまでサブプライム化してしまった。