デフレについての誤解

池田 信夫

デフレについての議論を混乱させている一つの原因は、大部分の政治家や評論家が素朴ケインズ理論や貨幣数量説で考えていることです。この20年ほどの間にマクロ経済学は大きく変化しており、古い理論で考えているとデフレは理解できない。生産的な論争にするためにも、よくある誤解をリストアップし、最近の動学マクロ理論による理解をごく簡単に解説しておきます:

  1. デフレが不況の原因である:最近は「デフレ」を不況の同義語のように使う人がいますが、両者は別の現象で、好況でデフレになったこともあります。Mankiwなどの標準的な理論によれば、ΔYtをt期のGDPギャップ、Et-1を前期のインフレ予想とすると、t期の物価上昇率πtは次のように決まります(aは定数):

     πt=Et-1πt+aΔYt

    したがって(予想を一定とすると)ΔYtがマイナスになる不況では、πtもマイナスになってデフレになります。つまりデフレは不況の結果であって原因ではない。デフレになると実質債務が増えるなどマイナスの影響もありますが、他方で資産効果(ピグー効果)によって消費は増えます。全体としては、デフレは好ましくないが、1%程度のマイルドなデフレは測定誤差の範囲内です。

  2. デフレの原因は「お金の不足」であるデフレ脱却国民会議の設立趣意書には「お金の供給を長いこと怠ってしまうと、そのバランスが崩れ、お金が極端に不足します。すると、人々はモノよりもお金に執着する現象が発生するのです。この現象がデフレです」と書かれていますが、今どきこんな素朴な貨幣数量説を教えている大学はありません。上の式でもわかるように、物価上昇率を決めるのはGDPギャップΔYtです。ΔYtは次のように決まります:

     ΔYt ≡ Yt - Y*t = α(ρ-rt)+εt

    ここでYはGDP、Y*は自然GDP、rは金利、ρは自然利子率、εはランダムな需要ショック、αは定数です。Yt < Y*tとなるときデフレが起こるので、これを防ぐためには中央銀行は政策金利を下げてρ=rtにする必要があります。しかしρがマイナスになると名目金利rtはゼロ以下にできない。これがデフレの罠で、通貨供給を増やしても緩和効果がありません。

    boj10

  3. 日銀の金融緩和が足りないからデフレになる:図のように日銀のバランスシート(GDP比)は一貫して世界最大です。むしろ2000年代なかばの異常な量的緩和がアメリカの住宅バブルの一因になったという国際的な批判が強い。

    日銀の金融調節に問題があるとすれば、岩田元副総裁の指摘するように、こうした海外からの批判や政府からの圧力に弱く、「金融的産業政策」や「包括緩和」などのポーズで圧力をかわそうとすることでしょう。その結果、金融政策に一貫性が欠けて効果を打ち消してしまう。この点では、むしろ日銀の独立性を強める必要があるかもしれない。

  4. 日銀はインフレ目標を設定していない:日銀は以前から「2%以下のプラスの物価上昇率」という目標を設定しており、白川総裁は5日の記者会見で「物価安定が展望できるまで実質ゼロ金利政策を継続する」と表明しました。これは事実上の「時間軸政策」によって1%程度のインフレを目標としたことになります。FRBやECBも、同様のゆるやかな政策目標を設定しています。

    ただし、これを超えて法的拘束力をもたせる「ターゲティング」は金融政策の柔軟性を失わせるという理由で、日銀は反対しています。いま政治的に騒がれているのはこの点ですが、民主党の一部議員などが出そうとしている日銀法改正案も罰則はなく「総裁の説明責任」を定めるぐらいで、改正しても実質的な変化はほとんどないでしょう。

いずれにせよ、「デフレはお金が足りないのだからお金をばらまけばいい」というような単純な話なら、日銀が問題をとっくに解決しているでしょう。日本の場合に厄介なのは、デフレの罠が続いているため、通常の金融政策がきかないことです。これを超える非伝統的金融政策は財政政策の領域に踏み込むので、慎重な議論が必要でしょう。