ネット生保立ち上げ秘話(31)中国人インターンの涙 

岩瀬 大輔

対面vsネット

「機械は優れた人間の提案力には勝てない。ただ、1年から1年半で営業職員が総入れ替えとなる『大量導入、大量脱落』の日本の営業職員の現場を見ていると、機械に勝てるだけのコンサルティングセールスをしているのか疑問だ。」

 東洋経済2010年10月23日号。保険特集の冒頭を飾ったのは、出口のこのような辛辣な言葉。「どちらがいい?対面vsネット」と題されたページで、出口と対談したトップセールスマンも

「年金や税制を活用した保険などに興味があり、営業職員のコンサルティングを望む人もいる。対面とネットはすみ分けが可能だ。」

と述べるに止まった。


当初は銀行の窓口販売、乗り合い代理店等と並んで「新しい流通チャネル」の一つに過ぎないと看做されていたネット生保も、今やすっかりメジャーな存在、有力なマネー誌・経済誌上で「生命保険の賢い選び方」を論ずる上では伝統的対面セールスに対抗する、有力な存在となった感がある。今回の保険特集号での取り扱われ方も、そのようなプレゼンス向上を象徴していた。

実際の新契約件数の規模でみると、ネット生保2社で10万件に達していない状況では、毎年1千万件あると言われる生命保険市場全体でみれば、まだ大手生保からすれば無視すべき存在とも思われる。

しかし、大きな数字に惑わされてはいけない。ライフネット生命の2010年10月末の保有契約件数は、4万3千件。読者の皆さんは、4万3千の人が並んだらどの程度の規模かイメージできるだろうか。私は先日久しぶりにサッカー観戦に行き、スタジアムに溢れんばかりの人の波に圧倒されたが、その人数が4万人に満たなかったことを知って驚いた。このスタジアムを一杯にするだけの契約者の方々が、ライフネットの理念に共感し、自身と家族の安心を預けてくれているのだ。その責任の大きさを痛感すると共に、「生保はネットでは売れない」と言われていた業界の常識は既に過去のものになっていることを確信した。

事業が進むに連れて、ネット生保に関する世間の理解もどんどん深まっていった。「ネットだと、きちんと支払ってもらえないのでは?といった誤解めいた見方もどんどん減っていき、今や著名FPの方々の間ではネット生保の商品はお勧めするポートフォリオにとっては無くてはならないものとなっていた。

「ネットで保険に入ることを、一つのファッションのようにしたい」

そんな出口の当初の話は夢想のように思っていたが、今となっては「ライフネット生命に加入しました!」と嬉しそうにブログに書いたり、ツィッターでつぶやく人が増えていて、ファッションとまではいかないかも知れないが、普通の保険加入とは性質が違う存在になったような気がする。

素人こそ革新者

ライフネット生命は私を初め、生命保険業界外の出身者が多く在籍する会社である。このことについて、業界の常識に慣れ親しんだ人からは「保険を知らない人が多いのでは」と指摘されることがある。

しかし、この点についてはセブン&アイ・ホールディングスCEOの鈴木敏文氏が書かれた「素人こそ革新者」と題した文章で、とても勇気づけられた。

曰く、セブン-イレブンを創業した際に集まった社員のほとんどが流通業の経験がない素人ばかりだった。だからこそ、玄人達からは「流通かくあるべし」とされてきた既存の常識や慣行を打破し、コンビニチェーンという新しい仕組みを作り上げることができた。人間はとかく過去の経験に縛られてしまうから、それがない素人の新鮮な感覚こそが革新を生む、というのである。

確かに我々の多くは、生命保険の販売をしたことがない。それがどれだけ泥臭く、大変な営みであるかを知らない。家庭ごとに細かいニーズの違いがあり、それらを画一化してネットで提案するようなことがいかに難しいかも知らない。

知っていることは、ネット社会に生きる現代の消費者として、金融サービスを含む様々な商品、サービスがネットに移行しつつあり、我々の生活を便利で豊かなものにしつつあること。十分な情報を提供してくれるのであれば、必ずしも対面で接触して強固な人間関係を築かなくとも、自分にとって最適な購買意思決定をできること。そして自分たちよりも更に若い世代に目を向ければ、「保険ってネットで買えないのですか?」との疑問を提示し、むしろ原則・例外が逆転している、ということである。

金融業界以外にも、目を向けてみよう。ユニクロ、IKEAと、高い品質を保ちつつも、サービスを合理化することで低価格を実現し、消費者から絶大なる支持を受けている例は幾つもある。長引く景気低迷だけが原因ではなかろう。消費者の購買行動は明らかに変化している。ブラックボックスとなっている価格、付加価値の対価をきちんと説明できない価格はもはや認められない。同時に、安さだけではないセンスやこだわり、ないしその商品の背後にある理念や物語を求めるようになっているのではないか。

だとすれば、自分達の一生活者としての素直な感覚を頼りに、「あったらいいな」と思えるものを実現していけばいいのではないか。そのために、生命保険業の玄人としての長い経験が必ずしも不可欠な訳ではない。

小さな石を投げ込む

私がライフネット生命の起業を通じて実現したいと考えることは、いくつもある。

シンプルで合理的な保険商品を世に送り出し、生命保険の仕組みや構造について積極的に情報提供することで、一人一人が自分のお金について能動的に考えて行動するようになり、年間40兆円という生命保険料の流れを適正化し、ひいては1400兆の個人金融資産の流れを変えることで、日本経済に活力をもたらすこと。

医療・年金という社会保障の一翼を担う民間保険会社として、人口構造の変化に対応した新しいソリューションを考えて行くこと。

60代と30代がパートナーシップを組み、大企業の後ろを循を得て新たなベンチャー企業を起こし、ベテランの知恵と若手の創造性を組み合わせることで、新しいスタイルの起業の在り方を世に示すこと。

日本発で世界でも競争力を持つ金融機関を作り、国際的にも日本のプレゼンスを高める一助となること。

開業して2年半、準備期間も入れると4年になるが、これらの目的のどこまで実現できただろうか?残念ながら、まだ小さな一歩を踏み出したに過ぎない。しかし、それは同時に、力強く踏み出した一歩でもある。

少しずつではあるが、「ネット生保」という新しい生命保険の加入方法が、市民権を得つつある。それは従来のように売り手に言われるがままに受け入れるのではなく、自らの手によって自身の人生のあり方、必要となる保障の内容について真剣に考えることを余儀なくされる。考えてみれば、それが本来あるべき姿ではないだろうか?

我々は業界の中で見れば小さな存在に過ぎないが、世に無かった新しい選択肢を提供したことで、消費者自身で生命保険を選ぶ幅が広がった。業界他社にも少なからずその影響は及び始めたように感じる。シンプルで低廉な保険料の商品設計。分かり易さを追求した情報提供の姿勢。そして、自社の販売モデルへのインターネットの活用。もちろん、いずれも各社内で長らく検討されてきたテーマであり、ライフネット生命が世に登場するか否かを問わず実現されていた可能性が高いが、我々が生命保険業界という池の中に投げ込んだ小さな石によって波紋が広がり、その流れを加速させたところがあると信じたい。

中国人インターンの涙

2010年9月。2か月のインターン生活を終えた中国人の大学院生が、社員に向かってスピーチをしていた。

「この会社に来てびっくりしたことがあります。それは、ライフネットの皆さんがお喋りがとっても好きなこと。あと、おやつが大好きなこと(笑)。

それは冗談ですが、2ヶ月間、本当にお世話になりました。とても緊張してきましたが、皆さんには、仕事を教えてもらっただけでなく、山登りに連れて行ってもらったり、デパートにお化粧を習いに連れていってもらったり、浴衣を着て花火に連れていってもらったり・・・皆さんは、素敵なお兄さんお姉さんでした。

最後に、皆さんにお礼の気持ちを込めて、中国語で歌を歌いたいと思います・・・」

お礼の気持ちを込めて歌ってくれているうちに、涙があふれて、声にならなくなっていた。それを見守る社員たちも、微笑みながら目には涙が流れていた。

それを見ながら、本当にいい会社を作ることができたなぁ、と胸がいっぱいになった。各自が忙しい中でも、新しく来た外国人学生を思いやり、必要な範囲を超えて手を差し伸べられる会社。その誠実な姿勢があれば、保険のお客様にも最高のサービスを提供し続けられるに違いないし、チームワークもよくやっていけることは間違いない。

また別のインターン生が残した言葉が、いまのライフネットを物語っていた。

「インターンに来る前は、ライフネット生命というのは出口さんと岩瀬さんが強いリーダーシップを発揮している会社かと思いました。

いざ席を並べて仕事をしてみて驚いたのは、社内でお二人の影が薄いこと・・・(笑)。それはすなわち、一人ひとりのプロフェッショナルの方が自信と誇りを持って、自分で判断をしながら仕事を進めていることであって、それがライフネットの真の強さなんだな、ということが分かりました」

これは、経営者としては最高の言葉だと、出口と二人で話した。自律的な組織を作ることこそが、経営者の仕事だから。

たった4年前にはまだ一人の業界ベテランの頭の中にしかなかった構想が、いまやしかと形になり、少しずつ業界を変革しつつある。

生命保険というのはとても息の長い事業であり、10年、20年スパンでゆったりと変化していく。その意味で、ライフネット生命の挑戦は、まだ始まったばかりに過ぎない。

僕らは、全力で走り続けたい。金融業界の小さなベンチャーを通じて、よりよい社会を実現するために。

(このシリーズ、今回で最終回です)

コメント

  1. 松本孝行 より:

    ネット生保立ち上げ秘話、大好きでした。
    すごい参考になる話も多く、私も力が湧いてくるような感じがしました。

    ありがとうございます。これからもがんばってください。