命題1:財政スタンス(財政赤字の累積額)が一定である限り、中央銀行がどれだけバランスシートを拡大させても、民間金融機関の貸出が増加しないならば、マネー・ストック(貨幣供給量)は増大しない。
上記の命題1には重要な前提条件が隠されている。その前提条件とは、中央銀行のオペレーション(資産の売買)の相手方を民間金融機関に限定する、言い換えれば、中央銀行は中央銀行システム(中央銀行及び民間金融機関)の内部取引のみ行うという意味で、あくまでも伝統的な金融政策の枠内に留まるということである。
実は、この隠された前提条件を守るか否かによって、政府の財政スタンスが一定、民間金融機関の貸出が一定の場合に命題1が成立するか否か、すなわち、中央銀行のバランスシートの拡大がマネー・ストック(貨幣供給量)の増大をもたらすか否かが決まる。
2001年3月から2006年3月にかけて日銀が実施し、自ら「量的緩和」と呼ぶ「超過準備ターゲット」政策は、この隠された前提条件を忠実に守った実例である。日銀は、民間金融機関に義務付けられた預金準備率を大幅に超過する日銀当座預金残高を政策目標とした。しかし、「超過準備ターゲット」政策では、日銀のベースマネー(日銀券発行残高+日銀当座預金残高)は拡大するものの、民間金融機関から市中への貸出・投資は必ずしも増加しない。
これを会計的にみると、民間金融機関の資産(国債や貸付金など)が日銀当座預金に置き換わるだけで、日銀のベースマネーと市中に流通するマネーストック(貨幣供給量)の関係、すなわち信用乗数は日銀のベースマネーの伸びに反比例して低下する。
実際、日銀のバランスシートは巨大化し、ベースマネーもほぼ倍増したが、民間金融機関の側ではむしろ不良債権処理のために貸付金の回収(俗にいう貸し渋り)が多発し、その間、市中に流通するマネーストック(貨幣供給量)はほとんど増加しなかったことが統計的にも確認されている。
では、隠された前提条件を守らない場合、すなわち中央銀行がオペレーション(資産の売買)の相手方を民間金融機関に限定することなく、中央銀行システム(中央銀行及び民間金融機関)の外部にある非金融法人企業等から幅広い範囲の資産(国債、REIT、ETF、株式等)を買入れる非伝統的な金融政策に踏み込む場合はどうか。
この場合、政府の財政スタンスが一定、民間金融機関の貸出が一定であっても、中央銀行のベースマネーの拡大に伴い、マネー・ストック(貨幣供給量)が増加する。これは、あらゆる取引・会計事象を複式処理(仕訳)することによって得られる社会会計上の論理的帰結である。
現在、筆者は参議院議員(みんなの党)として日銀法改正を含む政策立案や法案作成を担当しているが、元来、そのような政策や法案を支えるロジックとしての公会計、社会会計を専門とする学者の端くれである。社会会計の論理的帰結としては、命題1はより一般的な命題2に書き換えられなければならない。
命題2:中央銀行システム(中央銀行及び民間金融機関)から外部に対する貸出が増加しないならば、マネー・ストック(貨幣供給量)は増大しない。
二つの「量的緩和」がある。一つは2000年代前半に日銀が実施した「超過準備ターゲット」としての「量的緩和」。社会会計の論理的帰結としても、現実の結果としても、マネー・ストック(貨幣供給量)は増大しないことが確かめられた。もう一つの「量的緩和」は、非伝統的な金融政策の領域に踏み込む。現在、政策論として問われているのは後者の「量的緩和」の是非である。
2010年10月5日、日銀の金融政策決定会合で創設されることとなった「基金」は、その買入資産の範囲(国債、REIT、ETF等)の広さ、国債購入限度額(銀行券ルール)の撤廃等、2000年代前半の「量的緩和」とは異なり、現実にマネー・ストック(貨幣供給量)を増大させる非伝統的な金融政策に第一歩を踏み出したものと評価できる。
本来、このような非伝統的な金融政策は、政策金融または財政政策(中央銀行による直接的な財政ファイナンス)の領域に踏み出すものであるから、買入資産の範囲や基金の規模については、日銀というよりも、政府が意思決定の権限と責任を持つことを明示すべきである。
政策論・立法論としては、政府と日銀との間でアコードを締結することにより、政府が基金の設置、買入資産の範囲、基金の規模等について意思決定し、日銀が実際のオペレーションを担当するとともに、基金に政府保証を付すこと等により、その責任を明らかにすることも検討に値すると考える。
(桜内文城 参議院議員(みんなの党)tweitter:@fsakura)
コメント
ご主張は、論理的には全く真っ当なものだと感服いたしております。
ただし、ここでもう一つの「量的緩和」と呼ばれているものは、一般には「信用緩和(credit easing)」と呼ぶことが多いのではないでしょうか。少なくとも、私は「信用緩和」という用語で、それについては「日銀というよりも、政府が意思決定の権限と責任を持つことを明示すべきである」と全く同じ趣旨のことを過去に述べています。
やさしい「財政ファイナンス」の話(補足)
http://agora-web.jp/archives/1116486.html
財政的支援が欠かせない信用緩和
http://agora-web.jp/archives/1011994.html
また、命題1は、「財政スタンス(財政赤字の累積額)が一定である限り」という条件を含んでおり、狭義の「政府の」財政スタンスが形式的には一定でも、実質的にはその条件が変更される場合を議論されているので、命題1は成り立っており、とくに修正される必要はないと考えます。
--池尾
ここに提示された非伝統的な金融政策は、財政ファイナンスに当たるもので、本質的に日銀法の改正を必要とするものです。
勿論、その目的はデフレからの脱却ということなのでしょうが、こういった方法で、マネーストックを増大させることは、非常に大きなモラル上の問題、また副作用の問題があります。
まず、日銀にETF、REIT、国債などを買わせることは、政府による相場の操縦にあたります。 これは健全な相場形成を妨げるものですし、場合によっては、財産権の侵害に当たるのではないでしょうか。 デフレの脱却といっても、デフレが不況の原因であるというより、デフレは結果として表れているといった方が正確だと思います。 またデフレを脱却するというのは、膨大な既発国債約900兆円が極めて低い表面利率(約1.5%)で発行されていることからも、脱却の過程で既発国債に膨大な含み損を発生させる危険が大きい訳です。 従ってこういった強引な方法でデフレからマイルドなインフレに持っていくには、非常に困難なテクニカルな問題があり、かつ既発国債のホルダーに対する財産権の侵害である可能性が高いと思います。
財政の健全化のための増税が政治的に難しいから、日銀に非伝統的な金融緩和をさせインフレに持っていくようにしか私には受け取れませんでした。 私はこういった提案に反対です。
池尾さんの指摘にもあるように、狭義の量的緩和と区別される「信用緩和」は財政政策の領域に踏み込むものであり、国会で議論する必要があると思います。日銀法を改正するなら、こうした点の議論も必要でしょう。少なくとも「インフレターゲットを設定すればインフレ予想が起こるだろう」といった荒っぽい議論で改正するような簡単な問題とは思われません。
桜内さんは、みんなの党で日銀法改正を担当しておられるそうです。その当事者が、このように正確な認識をもっておられることは心強い。渡辺代表にも、ぜひ読んでいただきたいものです。
リフレ派の主張を聞く限り、デフレ脱却の目的は雇用の拡大にあると認識しています。
ですので、信用緩和で雇用が拡大するロジックを明確にしないと支持を得ることは難しいのではないでしょうか。
私は信用緩和は資産価格の高騰をもたらすだけで、雇用の拡大に結びつくとは思えません。
間違っていれば指摘お願いします。
他の方の投稿にもあったのですが、マネーストック(サプライ)とは、金融機関と中央政府を除いた経済主体(一般法人、個人、地方公共団体等)が保有する通貨の合計ですので、貸出なのかどうなのかに関わらず、市中に通貨として流通してしまえばバランスシートの拡大はマネーストックの増大に繋がらないのでしょうか?
日本の銀行の場合、自己資本比率が低く、どんどん厳しくなっていくBIS規制もある訳ですから、貸出以外の手段は難しいのですが、米国の銀行では明らかに違うはずです。
また、日本においても、日銀当座預金より良い運用先が見つかれば、可能な範囲でリスクを取れますので、その場合には、バランスシートの拡大はマネーストックの増大に繋がるはずです。
これがマネーストックの増大に繋がらないのは、日本の金融機関の資金運用ノウハウが欧米に比べて低い(ただし、堅実)なだけと思うのですが。
社会会計のロジック(複式仕訳)に従ってマネーストック(通貨供給量)の変動を考えていけば、自ずと命題2に達するのですが、通常、日銀や金融政策のあり方に関する議論では、そういった論理的帰結に達する遥か前の段階で「リフレ派」とか「インタゲ」といったレッテル貼りや感情論が横行しているように感じています。
池尾先生の数回にわたる論理的なご説明により命題1にまで議論をブレイクダウンしていただいたお蔭で、何とか私も議論に参加できたと感謝しております。
現実の政策決定の場では、ロジカルな議論はむしろ煙たがられることが多く、なかなか理解していただくのも難しいところもありますが、何とか頑張ってまいりたいと思います。どうかこれを機会に今後ともよろしくご指導のほどお願い申し上げます。