これまでの教育をよりリッチにするもの - 池田順一

アゴラ編集部

まず「デジタル教育」という言葉が誤解を招きやすい。田原総一郎氏のように○か×かという教育かという勘違いを生み出す。そうではなくて、デジタルならではのメリットも利用した教育に転換しましょうということ。ノートがなくなる、黒板がなくなる、教師がいらなくなるなんてことはない。教師がこれまでできなかったことが教科書や教材をデジタル化することによりできるようになったり、採点など時間が取られる業務等の負荷軽減による時間創出の効果も期待できるということ。


○か×かといっても効果的な利用場面もある。いわゆるドリル型の教材は問題の反復演習によい。その子に合ったペースや難易度で取り組むことができるだろう。またこうした小テストのようなものは、デジタル教科書が自動的に採点することにより先生による採点作業時間が削減され、他のことに時間を使うことができる。(もちろん結果は閲覧できる)

デジタルならではの活用法としてもっとも期待されているのがコミュニケーションの促進を狙った授業であろう。これも勘違いされやすいが、ゲーム機などに向き合って黙々としている子供を見ているとコミュニケーションがなくなるのではないかという危惧を持たれる。しかし、授業では活用の仕方によってはコミュニケーションを活性化させるツールとなりえる。たとえば各自の意見を自分のデジタル教科書に書く。それを教師がピックアップし議論の題材として取り上げ、そこからコミュニケーションが生まれる。

あるいは「協働作業」というものもデジタル教科書ならではの使い方でコミュニケーションを創出させるだろう。あるテーマについて3,4人のグループで話し合うときに1つの画面を共有し通信でお互いに同じ画面に話し合いながら書き込んだりすることもできる。

理科や社会などでは実体験や観察などが重要ではあるが、それらができない点をシミュレーションや動画、アニメなどで補うこともできる。

ネットワークを利用すれば、コミュニケーションは地域や他の遠くの地方ともつながる。

これまでの教育をよりリッチなものに変貌させる可能性を秘めたものがデジタルを利用した教育であろう。

(池田順一「みんなのデジタル教科書教育研究会」会員 twitter:@junike)

コメント

  1. galois225 より:

    デジタル教科書も使い方によっては有効なのかも知れません。 大学でもパワーポイントや電子機器を使った授業は一般的になっていますが、問題も出てきています。 

    (1)知識をまとめるにはよいが、学生を考えさせるのには向か  ない。
    (2)授業内容が黒板よりハイペースで進められるため、ノートをとらずにデジカメや携帯で写真を撮ってノート代わりにする学生がいる。 

    といったことです。 確かに簡単な設問の採点などは効率化できますが、学生が自ら考えて、それをきちんとした文章にまとめるというプロセスが今の学生にとって一番欠けている点で、これはデジタル化に一番向いていない部分ではないかと思います。 インターネットで取り敢えず必要な情報は得られる時代で、学生もそれを鵜呑みする傾向もあります。 またマニュアル化したノウハウを好む傾向が強まっています。 学生が主体的に考えないのが、現在の教育の大きな問題点だと思います。 本当に主体的に学生を考えさせるには、どういう環境づくりをすべきか、悩みは深いのが現状です。 恐らくデジタル化はそういうことには向いていないのではないでしょうか。 

  2. shuu0522 より:

    >たとえば各自の意見を自分のデジタル教科書に書く。
    >それを教師がピックアップし議論の題材として取り上げ、そこからコミュニケーションが生まれる。

    自分の意見をコソコソと自分の教科書に書くコミュニケーションが本当のコミュニケーションでしょうか?
    海外の学校のように円になってディスカッションするほうがよほどコミュニケーション能力の発達に役立つでしょう。
    デジタル教科書にも利点はあるのでしょうが、現状ではまだ弱い提案しかないように思います。

    むしろ、デジタル教科書を使えば良くなると、一種の魔法かなにかのように考えられることのデメリットが目立ちます。新しいことをすれば良いわけではなく、もっと知恵を絞って利用しなければ、デジタル教科書の利用もムダとなるでしょう。

  3. 人間はアナログ的な存在として生まれてくる。自然は全てアナログでできている。人間の意識の世界だけが、アナログとデジタルを区別できる。しかし、人間の意識の始まりもアナログであり、そこから後天的にデジタルを学べるのだ。アナログからデジタルという順番が逆転することはない。同時進行もない。デジタル世界は、アナログという原点や座標軸が整備された後で、そこからの相対的に広がるランダムな点として意識される。アナログの座標軸がしっかり整備されていなければ、デジタルな点も足場を失い意味を為さない。問題はどの時点からデジタルを学習し始めるかだけである。私はアナログの座標軸がしっかり整備される時期というのは、10代前半くらいだと思っているが、少なくとも小学校入学時ではないと思っている。

  4. junike より:

    情報を鵜呑みにする、レポートはコピペする、これらは憂慮されることですね。

    「主体的に考えさせる」ことそのものはアナログなディスカッションでするものでしょう。デジタルはあくまできっかけツールです。

    「デジタル教科書に自分の意見を書く」だけではコミュニケーションにはなりません。通信によって他の人の意見を見ることも技術的には可能でしょう。それに触発されて自分の考えもより深まるかもしれない。そういった活動を前提に、ディスカッションすることそれ自体はフェイスtoフェイスでするものだと思っています。

    またいつからデジタル教科書を持たせるかというのは、大いに議論の余地があると思います。私自身、小学校の低学年はまだデジタルが有効であろう場面は少ないと思います。「アナログの座標軸」を育む時期とも思います。

    全部の授業にデジタルを導入しましょうという主張ではありません。

    デジタルが得意とする場面においてその利点を活用した授業を構築しましょうという提案です。

    それにはデジタル化への対応というよりも教師の授業構成の力量が問われると思います。