どこに消えた? - 鳩山「友愛外交」と小沢「安保論」

北村 隆司

日本を取り巻く東北アジアの安全が危機的状態を迎えているにも拘らず、鳩山「友愛外交」と小沢「安保論」が一向に聞こえてこない。今更、あの論議は「対岸の火」を前提にした論議で、不測の事態には役立たないとは言えますまい。


野党時代に「われわれが与党になったら領土問題にケリをつける」「歴史的に日本固有の領土である尖閣諸島問題を、自公政権のように弥縫策で先送りすることはしない」と豪語していた小沢氏は、今こそ、その具体策を示すべきで、政局に血道を挙げる時期ではない。

経済でも外交でも中国無しには進まない世界情勢と、北朝鮮問題も中国がキャステイングボートを握った感が深い現状を見ると、早くから中国に特別な関心を寄せていた小沢氏の先見性は評価出来る。

然し、普天間を巡って日米関係に隙間風の吹く最中に、600人近くのギャラリーを率いて中国を訪問して「中国重視」を鮮明にした小沢氏だが、折角の胡錦濤主席との会談で、日中間の懸案事項は一切話題にせず,胡主席とギャラリーとの握手や記念写真を優先した行動は理解に苦しむ。

日米関係を疎遠にするだけで、「日米安保」に代る具体策を示さない事も誠に遺憾で、日米同盟が切れて、日本が世界の孤児になったら一体如何する心算であろうか?小沢氏の「従米」から「反米」?への賭けのリスクは大きい。

小沢氏は「日本改造計画」の中で外交に関する信念として「アメリカとの同盟関係を堅持すること」と明言し、当時の鳩山民主党幹事長代理から「アメリカに魂まで抜かれた」とまで批判された事を思うと、その変質振りは驚くばかりである。

小沢氏の変質は安保、外交に留まらない。小さな政府路線を標榜していた筈の小沢氏は、何時のまにか「大きな政府」路線に急転換し、税制面でも、早くから消費税の10%への引き上げと所得税の半減を主張する勇気を持ちながら、菅首相が今年の参院選で同じ主張を持ち出すと、口を極めて菅氏を非難した事も褒められた事ではない。

彼は又、「全世界でFTAを実現する」ことが夢であると明言していた徹底した自由貿易論者だったが、現在では「TPP」を論議する事すら反対するなど、政局の為には恥じも外聞もない、偉大な「地方」政治家に過ぎない事が判ってきた。

鳩山氏の「友愛外交」に目を移すと、支離滅裂で論評する事すら難しい。その様な時に、成る程と思えるブログが目に留まったので、その一部を引用させて頂く事にした。

「自分が政権を担っていた時代に対米関係を悪化させ、その隙を中国に利用されたばかりでなく、自称『得意課目』のロシアまでが『対日戦勝の日』を設けて我が国を挑発し、大統領の北方領土初訪問を発表するなど、鳩山外交は失敗の連続でした。その鳩山氏が『私だったら恩家宝首相と直接話せた』等と、外国で同じ政党に属する自分の後任を批判するに至っては、余りにも異常です。如何に自己顕示欲が強いとは言え、この発言は許されません。普天間基地移転問題で 最低でも県外移転など と寝ぼけた対応をした鳩山前首相は『やはり勉強不足でした』と従来案へ回帰。しかし、今でも『東アジア共同体』とか『友愛の海』とか言っていますね。民主党政権の外交能力のなさ、全ては鳩山前首相から始まったのでした。」

全く同感である。

日米関係強化を外交の柱とした小泉内閣に対抗して、対等な日米関係を目指す安定した友愛外交を展開する筈の鳩山外交であったが、残されたのは負の資産のみであった。

鳩山内閣発足に際して「VOICE」に寄稿した「私の政治哲学」が「けち」の始まりで、それ以降は「鳩山首相は『日本の盧武鉉』みたいな人物で、同盟国の指導者としては扱えない」とか「頭がいかれた人物」と言う会話がアメリカ政府高官の間でささやかれていると有力紙に報道されたり、「Trust me」発言が冷笑を買うなど、最後まで失態が続いた。

孤立を深める今の日本は、悪魔の手も借りたい程の困難に直面している。内外から嘲笑された「友愛外交」であるが、鳩山氏に誇りのかけらでも残っているのであれば、愚痴に聞こえる唐変木な与党批判は好い加減にして、「友愛外交」が国益に適う事を合理的に説明すべきである。

第二次大戦勃発時に見せたルーズベルト大統領の狡猾さや、その背後に存在した「ハルノート」の秘話、戦後の日本の運命を決めたヤルタ会談での列強指導者のしたたか振りなどを知るにつけ、日本の外交や安保の担い手の稚拙さには切歯扼腕の想いである。

ウイキリークスの暴露でも、現実外交の厳しさを垣間見る事が出来る。小沢氏の十八番の戦術である「人の陣地に手を入れて、誘惑してその気にさせて、壊す」手法を、政局ではなく、外交、安保に活かせば、狡猾で信用出来ない性格の小沢氏も、国益に寄与出来る可能性は残されている。小沢氏の再度の変質に期待したい。