今年は、私にとっては「モビリティの年」だった。ささやかな電子出版事業を始めてiPadを買い、本を「自炊」して家庭争議の原因だった書庫を整理し、本をiPadに入れて読むと、移動中でも時間を持て余すことがない。机に座ってデスクトップPCを使うのは仕事のときだけで、リビングルームではウェブもソファで見るようになった。これからのコンピュータは、孫正義氏の
iPhoneを使うようになって、インターネットに接続する時間が3~5倍に増えたが、PCを使ってインターネットに接続するケースは1/10に減った。そう考えると、光ファイバーは必要なのか。むしろ少し遅れた人が光ファイバーを使っているのではないか。
という予想どおりになるだろう。その彼が必要もない光ファイバーを強制的に全世帯に敷設しようと主張したのは、今年最大のジョークとして忘れよう。
経済的な意味でも、労働のモビリティ(流動性)がこれまでになく重要になった年だった。ベストセラーになったサンデルの重要なテーマも、自由に動く個人という概念の批判である。市場原理はすべての生産要素が動ける完全移動性を前提にしているが、人々が地域も会社も家庭も捨てて最適な場所に移動することは現実的でもなく望ましくもない、というのがコミュニタリアンの思想だ。
しかし永遠のコミュニティなんて存在しない。いま日本が直面しているのも、会社というコミュニティが崩壊に瀕しているという問題だ。農村は出て行く人を拘束しないが、会社は終身雇用や年功序列によってサラリーマンを囲い込み、よそものを排除する。日本のサラリーマンは、近代社会の農村よりも江戸時代の土地に縛りつけられた百姓に近い。
しかし、これは過渡的な状態だろう。山岸俊男氏も指摘するように、古い「集団主義的秩序」が崩れ、新たなゲームのルールを模索する動きが始まっている。日本人は農耕民族だから「定住本能」があるというのは間違いで、人類の遺伝子は数十人の集団で移動する生活に適している。会社という封建的共同体が崩れれば、モビリティに慣れた若者がネットワークで新たなコミュニティをつくる時代がくるのではないか。それにしか日本の希望はないと思う。