モノづくり神話はそろそろ捨てるべきです

大西 宏

つい最近まで、日本には技術力がある、もっとモノづくりの技術を磨いていけば日本はやっていけるというマスコミの論調があり、またそう思っている人も多かった思います。
それは過信であり、モノづくりに偏った成長戦略を描くことは、時代に逆行しており、それでは国際競争力を失うだけだと書くと、まるで国賊扱いの批判を受けたこともあります。しかし、今年に入って、技術でリードしていたはずの部品や素材で日本の企業のシェアが低下し始める異変が起こってきており、いよいよ日本の産業が直面している現実を直視しなければならなくなってきています。


このところ、日本が強かったはずの部品や素材でも韓国勢の攻勢にシェアを落としはじめてきています。今日の日経の社説も、リチウム電池も、液晶用の偏光フイルムも、日本はシェアを落とし、日本勢がほぼ独占してきた半導体用のシリコンウエハーも4~5年以内に韓国勢が首位に躍り出る可能性もあると危機感をつのらせています。
政策と経営で韓国への巻き返しを急げ:日本経済新聞

追い上げてくるのは、なにも韓国だけではありません。台湾や中国の企業も手ごわいライバルになってきます。iPhoneやiPadの生産を握っている台湾資本の鴻海精密工業は、来年は10兆円企業になると予測されていますが、一昨年からのSONYの米国向けや欧州向けの組み立て工場買収につづいて、日立製作所の子会社である日立ディスプレイに1000億円を出資し経営権を握ることになりました。

日立ディスプレイは小型デバイス向けの液晶で高い技術を持った企業だそうですが、海外でのマーケティングに遅れ、納入先の日本の携帯メーカーが海外で敗北してきたために、赤字が続き、資本を入れていたキヤノンも、自社の需要ではカバーできないために支援を諦め、鴻海精密工業が資本を入れることになったといいます。鴻海精密工業は着々と液晶のノウハウを手に入れてきているのです。

まだまだ、韓国勢に限らず、台湾、また中国企業の追い上げが起こってきます。その背景には、デジタル革命が起こり、製造の高度な自動化が急速に進んだことがあると思います。

かつて、80年代に日本が世界市場を席巻していた頃は、日本の工場のロボット装着率は群を抜いて世界のトップでした。しかし、製造拠点が途上国に移るにつれ、最新の製造設備が当然はいっていきます。最新の製造設備は、製造のノウハウの塊です。だから、中国の工場でも、iPhoneであれ、iPadであれ高品質で製造できるのです。しかも皮肉なことに、そのノウハウの詰まった製造設備は日本から輸出されているのです。

電子部品で日本のシェア低下が問題になりはじめましたが、しかし、同じ構図は過去にもあったことです。かつて、日本は世界でトップの造船王国でした。しかし、韓国の造船業は積極的に製造設備投資を行い、設備で日本を凌駕したため、品質もコストでも日本を上回り、一躍韓国の造船業が伸び、古い設備を抱えた日本の造船業は遅れをとるようになってしまいました。

そして、途上国での製造は、最初は組み立て工場でしかなくとも、部品や素材を日本から調達することになると、技術の詳細なデータの入手や工場の視察によって技術情報を手に入れることが可能になってきます。

イノベーションは生み出すことには長年の積み重ねが必要ですが、いったん手の内がわかってしまうと、技術開発の目標も立てやすく、効率的に模倣を行うことも可能です。日本は欧米のイノベーションに追いつくことを目標にして、キャッチアップの戦略で、製造業は急速に発展し、高度成長を遂げてきました。
技術移転は、技術を独占し、さらによほどブラックボックス化しなければどんどん起こり、防ぎようがないのです。あるいは鎖国するかですが、それでは産業が成り立ちません。

モノづくりといえば、よく、中小や零細の企業の経営が厳しいというと、マスコミは東京の大田区の町工場を取材し、その映像を流します。政治家も町の声を聴くために、大田区の町工場を訪れます。

しかし、今日のように経済がグローバル化してくると、世界でその会社しかできないという技術を持っていれば別ですが、下請け工場は、製造現場に近いところに立地しなければ成り立ちません。

海外への製造の移転は、ただでさえ人件費やインフラコストの有利さ、また需要地への物流の合理性、さらに関税がかからないこともあり、その流れを止めることは不可能で、海外に製造拠点が移っていけば、下請け企業に求められる納入までのリードタイムを短縮するためには、海外に進出するしかありません。

これから日本に求められてくるのは、急速に進んでいく海外への技術移転を前提とした競争戦略の構築です。それはイノベーションとマーケティングを一体化させた戦略になってくると思います。マーケティング戦略を抜いた技術のイノベーションは、過剰技術、過剰品質に陥り、コスト競争で負けていってしまいます。

日本はモノづくりを中心にして生きていけるという神話はもうそろそろ捨て、どうすれば国際競争に勝てるのかの議論をはじめることです。しっかり成長戦略の構想を持ち、産業転換をはかることは待ったなしです。

コメント

  1. izumihigashi より:

    モノづくり神話を捨てると言うこのタイトルを読むと、条件反射的に噛み付く人も出てくるかもしれませんが、日本が誇る超精密加工技術なども含めて全て捨て去るベキと書いてある訳でもないんですね。日本全国モノづくり一辺倒ではやっていけない事は明々白々なのに、技術畑の人は、日本の生きる道はモノづくり立国しかない!みたいな論調を展開するので、この様なタイトルをつけたのではないでしょうか?
    現在、アドバンテージを保っている技術分野は沢山あります。
    それとは別に、とうの昔に追いつかれた分野もあるでしょう。
    それらをひっくるめて一律にモノづくり立国などと言わないで、一流の技術が生きる様な他の分野、マネージメントの強化とか、流通の強化とか色々やる事あるでしょうね。
    全員が全員、職人気質になって、良いモノを作れば黙っていても売れるんだなんて意識ではやっていけない世の中ですものね。

  2. minourat より:

    問題はわかりました。 それでは、 具体的にはどうすればよいのでしょうか?

  3. minomi66 より:

     ものづくりというあいまいな言葉を使うととても話がぼやけます。例えば、ものづくりを水平、垂直という分類にした場合、それではなぜかものづくり外に割り当てられるソフトウェアはそういった部分がないかといえば、いわゆる水平でできる部分は下請け、あるいはコンポーネントを組みあわせて行うSIのような分野で本来の意味であるソフトウェア要素の開発においては論理の複雑さから職人的技能が必要となるからです。
     またサービス産業においても料理などは、ファストフード等は水平ですが、レストラン等ではものづくり的側面が強いでしょう。
     さらにものづくりという言葉を他の意味で使っている人もいると思います。

     内容を読ませていただくとものづくりがどうこうというより、シーズかニーズのどちらを優先すべきなのかという問題にしたほうがわかりやすいと思います。

     今のように個々人がお金がないが全体としてお金がある新興国の方が市場として期待できるのであれば、シーズ型より、ニーズ型にした方が確かに有利でしょう。技術的にはネタがそろっていてそれをいかに安くするだけの問題なのですから。
     
     ちなみに私はこの手の話で、いつもソフトウェアというものをあっさりとものづくりとは違う分類にされるのは大変な違和感を覚えます。あれほど水平分業に向かず、それゆえウォータフォールからアジャイルまで何とか水平に必要な共同作業を実現すべく苦悩している分野はないのですから。

  4. ksmo2011 より:

    情報化時代、脱工業化社会といわれてものつくりから情報へといわれたのはもう50年近くも昔のことです。
    ものつくりに行き詰まると「ものつくり神話はそろそろ捨てるべき」との論調が出てきます。しかしです。
    此の国のものつくりといっても、所詮は、重厚長大から、白物家電を経て、半導体はと言えば、メモリーを大量生産する技術水準にしか至らなかった。インテルにも、モトローラーにも敵わなかったし、ロケット技術などアメリカの足下にも及びも付かない。つまり、今年のノーベル賞でもそうだけれど、本質のところは、此の国の技術は誇るほどの水準にすらなっていない。
    そんな実態に目をつむって、「捨てるべきとは」聞いて呆れる。
     此の国が生きる道は、貿易立国しかないし、先端の技術力によって他の追随を許さない高みに置くことによってしか生きられないことを国の指導者達や、オピニョンリーダー達が失ってしまえば間違いなく此の国は衰退します。
     ものつくりを失えば、何より、此の国の六〇%を占めるラインワーカーの生きる術を奪ってしまうのですから。
     韓国や、その他の後進国に追いつかれる技術などくれてしまえばいいのです。その先を行く気概と意気込みこそが国を救います。
     何の担保も無しに、ものつくりを捨ててどうやって、生き延びるというのでしょう。無責任としかいいようがありません。

  5. izumihigashi より:

    他国が追いつけない程の高い技術水準のモノづくりなら、
    それだけの利益を乗せなぎゃいけないでしょうね。利益を乗せる権利があると思います。

    日本は言う程の高付加価値製品を製造しているのでしょうか?
    その価値に見合う単価で販売できているのでしょうか?こうした点が重要だと思います。

  6. ririnn1616 より:

    ksmo2011さんの
    <本質のところは、此の国の技術は誇るほどの水準にすらなっていない。  欧米先進国は、他国の追随を許さない確固たる産業を持ち、しかも守ってきました。日本は繊維→鉄鋼・造船・電気→自動車と先進国の産業をコピーしてきましたが、新興国も同じ道を辿っているに過ぎません。果たして先進国の得意とする医療、エネルギー、航空宇宙、IT、金融・保険、商業、農業などに参入できるのか。 <此の国が生きる道は、貿易立国しかないし、先端の技術力によって他の追随を許さない高みに置くことによってしか生きられないことを国の指導者達や、オピニョンリーダー達が失ってしまえば間違いなく此の国は衰退します。  私もそう思うのですが、日本の貿易依存度は約17%(2008年)で米国(15%)に次いで低く、独(44%)、スウェーデン(50%)、韓国(53%)には比べようがありません。昔から「内需主導の経済」と称し国内の製造業を劣後にしてきた政策で、既に製造業の回復は不可能なのではないか。 <ものつくりを失えば、何より、此の国の六〇%を占めるラインワーカーの生きる術を奪ってしまうのですから。 既に、製造業の従事者は全産業の18%にまで低下してきていますよ。逆に第三次産業の従事者は約60%に達し、更に従業者3人に1人の割合で非正規雇用が増加しているのが現状です。バブル崩壊以降、約400万人の製造業の従事者がサービス業に移動してきたことになります。  世界と戦える産業を創造するしかないのですが、それが「福祉」、「環境」なのかそれとも「電気」、「自動車」なのか、いずれにしても明治維新なみの危機意識をもち殖産興業としての人(教育)、モノ(政策)、カネ(投資)を集中するしかないのではないか。

  7. tetuko_trail より:

    賛成です。
    日本は過去に、単純なモノつくりで、ある種の成功体験を持つだけでもよしとしなくてはならないと思います。
    今まで、外部経済(外部不経済)として、考慮に値しなかった環境問題が、急速に経済の主役に踊り出ようとしています。今後、日本型のモノつくり神話を、どの途上国も取りはじめたら、地球はあっというまに、生物が生存できない環境となるでしょう。
    二者択一ともいえる、環境かモノつくり経済か、という設問が、個人個人にごまかしようなく、ますます重みを帯びてくるものと思います。
    歴史的に単なる冷戦の偶然で日本が発展したように思われただけか、あまり意味のない行動として今後の世界の嘲笑として語り継がれるか、分かりませんが、少なくともあまり賢い行動ではなかったという評価を与えられるのは、ほぼ間違いないのではないのでしょうか。
    ゆっくりと衰退しつつある大国としての評価を甘んじて受け入れ、ソフトランディングを目指す事が、世界での尊厳を保てる最後の手段であると思わざるをえません。
    人口が多く資源をもたない、わが国が目指さなくてはならないのは、世界一になる成長戦略ではなく、弱者もキチンと経済に参加し、生存できる持続可能な経済成長モデルではないのでしょうか。