厚生労働省の推計によると、我が国の人口は2055年には9千万人を割り込み、然も、高齢化率は40%を超える見込みとなっている。この人口動態予想は、年金の負担に加えてGDPの2倍の借金をしている財政の現状を考えると、背筋が寒くなる程恐ろしい話である。
国富の40%を破壊された第二次世界大戦後の日本に、600万人と言われる引揚者、復員者が帰国してきたのが、今から60年前の日本であった。その為もあり、当時の日本は人口過剰と資源不足にインフレが加わる大難問に直面し、東京は失業者や浮浪者で溢れ,街には「闇屋」が横行した。それでも当時の日本人は、老若男女を問わずひたすら働き続け、奇跡の復興を成し遂げただけでなく、世界でも有数の豊かな国を作り上げた。
敗戦と言う特殊事情はあったにしても、国民所得水準が当時のフィリピンを下回る貧困国家から、前例のないスピードで世界トップクラスの富める国に変貌させた「秘密兵器」が、過剰人口であった事は皮肉である。
資源に恵まれた発展途上国が経済的に低迷し、人口過剰と資源の貧困に悩んでいた日本が奇跡の発展をしたのは何故か?
朝鮮戦争やベトナム戦争などの神風が吹いた事は否定出来ないが、最大の功績は、訓練された良質で豊富な「人口」であった。大前研一氏はその著書のなかで「産業の変化は資源の意味も変え、自然資源より付加価値生産性の高い人口が真の資源になってきた」と優良な人口の重要性を強調している。
現在の人口減少問題の深刻さは、数の問題より日本人の質が時代の要請にマッチしていない事である。日本人の質が時代の要請とミスマッチを起している事は、80年代まで世界のトップクラスであった生産性が、今や世界の先進国の最下位レベルに転落したことでも明らかである。
問題は質の劣化に留まらない。国内でも労働力の需要と供給のミスマッチが起こり、一方で人不足、他方は就職難と言う現象が恒常化している。この事自体は、個人の職業選択の自由が実現したと言う意味で喜ぶべき現象であるが、自分で選択した不就労を、失業と誤解して公的資金で補助する事は厳禁である。これが横行すれば、社会全体が衰える事は、大失敗した北欧のモデルを参考にするまでもない。
社会、文化の発展と共に教育期間が増し、就労時期が遅くなる事も当然である。逆に言うと、今の大学卒は昔なら高校卒だと考える方が正解であろう。又、先進国の就労時間は急速に短くなり、有給休暇は増える傾向にある。週30時間労働の時代が来るのは眼と鼻の先である。移民受け入れ一つとっても、優秀な移民の確保には、日本のインフラの遅れは悲劇的である。
職業に貴賎は無いが、付加価値の差は否定できない。教育を受ければ受けるほど、高収入で楽な職業を選ぶ競争が激化するのは、人種、国家を超えた当たり前の現象である。だからこそ、欧米先進国では介護要員やお手伝いさん、食品やレストランなど、国内では人気の無い産業に多くの海外移民を迎えいれて、国民の豊かな生活を保障してもらっているのである。
過去50年間に、世界では2億人近い数の人が移民をし、その内1億2千万人は発展途上国から先進国への移住であが、先進国で唯一日本だけはこの流れから離れている。
移民問題にはプラスもマイナスも無数にある。移民の国と言われる米国でも、常に人種、宗教が絡んだいざこざは絶えなかった。(現在、米国を2分して争われている移民問題は、反移民と言うより、南米からの不法移民の大群とテロを恐れる回教徒に対する反感が強く、フィリピンからの介護者移民などは、家族にも移民ビザを発行するサービスぶりである)。
ましてや、移民に慣れない日本では、心理的な抵抗も多いであろう。移民が持ち込む疾病問題も無視出来ない。次は犯罪である。そして、日本人には馴染みの無い生活慣習の持ち込みも、ゴミの処理の仕方一つとっても、倫理や価値観を崩すと言う論議も起きてこよう。移民相手に日本人が犯す人権侵害犯罪の増加とその対策も用意する必要がある。
何処の国でも、組合は給与の圧迫要因になるとして反対する。低賃金で子沢山の移民が増えると教育や保険など社会的費用が増大し、税負担が増えると反対する向きも多い。宗教の違いも無視できない。
この様に.移民の受け入れには、多くの問題はあるが、働く人間を増やさずに借金の返済と年金問題を解決し、国民の「安心、安全」を確保する方法はあるのだろうか?私の答えはノーである。
大前研一氏の「日本は世界一富める国になった。しかし、世界から袋だたきにあい、個人は少しも豊かではない。戦後40年のすべての矛盾をイッキに打破し、国際社会の一員として真に豊かな国家を実現する衝撃の政策が求められている。国が豊かになることを目的にいままでの国富論は書かれていた。新しい国富論は『その中に住むすべての人々が豊かな生活のできるような国』をつくる為には、働く夫人が安心して子供を養育でき、子供の高等教育(大学院以上の専門教育)が可能で、老後の父母は勿論、自分の老後にも安心できる社会が必要である。年金借金の支払いには『収入を伴う現役』を増やす他方法はない。」と言う言葉は正にその通りである。
日本の行政は、弱い産業を保護する事で、国民の一部に恩を売り政治的な力をつけてきた。今の世界は、弱い産業ほど自由化する事で力をつける時代である。中でも、農地規制の撤廃と経済の自由化は喫緊の課題である。この政策を補完する為にも、移民の受け入れは必須う条件である。この様な規制の緩和と自由化で、土地の価格は下落し、内需は拡大され、農業、水産、林業は跡継ぎの心配からも解放され、「匠」として働き手を指導する事で高付加価値を生産する立場に立てる。
日本人が豊かな生活をするために必要な、保育園、幼稚園、介護士から水産、農業、林業、レストラン業、小売を中心とした流通業、土木などから家政婦にいたるまでの諸産業は、ドイツや米国にある契約移民の導入など、適正な移民政策を採用する事で再生される事は間違いない。
一番心配されるのは、同じ日本人の血を引く日系ブラジル人に対する冷たい処遇に見られる、日本人の偏見である。日本人は「懐が豊かになるに従い、心が貧しく」なってしまった。これまで「人も物も出す事」ばかり考えてきた日本の行政も、今後は「人も物も受け入れる」事に転換しなければ日本の未来は無い。
コメント
移民の導入は危険です。と言うより、全く何の問題解決にもならないと考えます。
今此の国か抱える深刻な問題は、この今現に存在する国民を扶養する仕掛けが崩壊してしまっていることです。現状の賃金水準は、単純工の工賃が既に、中国などの10倍の水準になっていて、その単純工を雇用するに足る産業を持っていないことです。だから、景気は回復しないし、明るさも生まれないのです。そこに、より賃金の低い労働者を受け容れれば、今現に失業している人々をより深刻な境地に追い込んで、現に存在している単純工の仕事を奪って失業を増加させるだけです。
此の国が豊かに、安定を取り戻すためには、今現に存在する国民の賃金水準を下げることなく雇用を回復させる産業構造の転換、高付加価値化しかありません。
その為には、研究開発の強化、新規技術開発、産業構造の高度化などが必要です。
単純工である大多数の国民を、高賃金で扶養するためには、もの作りの再開発しかありません。
この10年は、工業力の敗退の歴史でもありました。其れは、単に途上国に追いつかれたと言うだけでなく、此の国が、進歩や高度化に自信を失い、懐疑して成長を軽んじてきたことです。
菅総理・・ほとんどの失政に賛成できないが、一つだけよかったかも・・・それは硫黄島を自ら訪れ戦死者の納骨は国家の責任であると厳かに宣言された点です。国家の責任・・それは国民ひとり一人の責任でもあります。
私は戦後生まれで、決して右翼ではありません。しかし硫黄島やオキナワ、シンプウは世代を超えて語り継がなければならない、思想とは何の関係もない、日本の負債でもあります。あの絶望的な戦闘でほとんどの若者は、普通のヘイタイサンは一体ミライの私たちに何を託して戦闘に赴き、死んでいったのだろう・・
それから、あの高度経済成長が起こりました。過去を懐かしむ気はありません、当時は確かに仕事はありましたが、このままではいつか過労死するだろう・・狂ったように人は働きました。いや本当に狂っていたと思います。
そして、イマ・・・
こんなはずではなかった・・・若者は特権のように夢や希望を語れた。努力すれば、きっと希望の仕事で活躍できる・・希望がかなわない事もあったが、少なくとも希望はもてた。
中年は、社会の主人公として現実の仕事にまい進し、老年は老いていくということを誇りとも楽しみとも感じられた方も多かったはずだ・・・
願った社会とはずいぶんとかけ離れてしまった・・・しかし日本人が、世界から特異とも思われた「レイセツ」だけは、わすれないでおこう。たくさんの優れた世界の人々に、この社会をイマ開放しよう、見てもらおう、失うものも多いと思うが、得る物だってあるはずだ。
ゆっくりと衰えはじめた大国の、一つのあり方を世界にしめす・・・最後のチャンスであると思う。
外国の人に足りない部分(人口や労働)は助けてもらい、日本人は感謝の念と「レイセツ」をしめしましょう。先生の意見、賛成です。
ご意見には賛成ですが、単純労働者を受け入れるというだけでは、いろいろな問題があると思います。 単純労働はどうなるか分かりませんが、ロボットなどで済む可能性もあります。
国力ということで見れば、むしろ高度な頭脳労働者(研究者、技術者)を沢山海外から移入した方が効果的ではないでしょうか。 もちろん高給を払って。 これからは本当に一握りの人の存在が国の命運を左右する可能性もあります。
日本人だけから出てくる発想と、様々な文化、知識を持った人たちを含めたグループから出てくる発想では、明らかに後者の方が優れているのではないでしょうか。 優れた人材発掘のために、中国、インド、中近東、東欧といったところで、人材の公募、選抜を常時行う体制の構築を早く作るべきではないでしょうか。
言いたいことはわかるんですが、結局のところネズミ講システムの維持のための移民受け入れ論に過ぎません。ようするに、高齢者が自分達はあまり社会保障を負担せずに移民受け入れでなんとかしようとしているとしか思えません。現在の高齢者だけが得するネズミ講が大前提の社会保障を維持するための移民受け入れなら大反対です。
最後の一文は偏見そのものです。それを言うなら今の老人は若い人のことを考えない心の貧しい強欲です。年金支給額を総額で半分以下にし、医療費負担も年間で11回目の診療以降は10割負担にすることを提案します。医療費たったの1割負担なんて若者を舐めすぎです。いつまで搾取を続けるのでしょうか?
国籍を取らずに日本の教育も受けていない移民も50歳を過ぎたら強制送還でいいでしょう。そうすれば働かすだけ働かして社会保障もあまり与えずに済みます。無論超資産家は社会保障抜きを条件に永住ビザ発行の特別扱いでいいと思います。それには世界一高い相続税みたいな国家による強盗税制を廃止しなくてはなりません。そうしなければ金持ちは移住してきません。もちろん大前さんの資産課税なんて問題外です。
>>4
移民がなかったら、ますます若い世代が苦労するだけです! もう、ぜひとも来ていただきたいのですが、問題は、日本に済みたいという奇特な人が果たしてどれだけいるのか。
政府があまりにひどい財政で税金が高くなるのが確実、地域コミュニティが閑散としていて、生活に支えになる中間集団が無く、そして、英語が使えない人ばかりとなると、集団生活の中で孤立してしまうことが確実。
私は、宗教の違いとか、人種による偏見とかは、あまりに心配してません。そんなの、一緒に生活してればすぐ慣れるではないですか。日本人はその種の適応力はあります。ただ、言葉の問題、中間集団を支える人の不在で、地域の中で、移民が孤立してしまい、住みにくい町と感じる人が多くなることが心配です。
移民の問題については、職を奪われる若者は反対し、年金を心配する老人は賛成するという図式になっているように思います。短期的に移民は納税者を増やすのでプラス面がありますが、長期的には高齢者となった移民を養っていかなければならなくなるのでマイナスも無視できません。これでは赤字国債と同じで借金の先送りのようなものではないでしょうか?
また、移民の質も問題です。優秀な移民であれば比較的問題は少ないと思いますが、産業界が求めているのは、日本人が嫌う職場で安い賃金でも働いてくれる移民だったりします。こういう人達を大量に抱えるというのは、将来の借金に等しいのではないでしょうか?
一口に「移民」と言っても、過去のそれと現在のそれでは全く異なるものになっています。
数十年前までは他国に居住し仕事をしていると、母国の食べ物や情報など容易に手に入れることが出来なかったため現地に溶け込み現地人化する努力をせざるを得ませんでした。
しかし、現在では貿易とインターネットの発達により、容易に母国の食材や情報を仕入れることが出来るため、現地に溶け込む努力をすることを怠るようになって来ています。これでは現地人との間に摩擦が生じるのも当たり前です。
移民に限らず他国や他の文化を訪問するものは”When in Rome, do as the Romans do.”「郷に入りては郷に従え。」が鉄則です。この原則を無視して移民を推奨しても、将来に禍根を残すだけでしょう。
> 自分で選択した不就労を、失業と誤解して公的資金で補助する事は厳禁である。これが横行すれば、社会全体が衰える事は、大失敗した北欧のモデルを参考にするまでもない。
http://en.wikipedia.org/wiki/List_of_countries_by_GDP_%28PPP%29_per_capita
によれば、ノルーウェイ、 スェーデン、 デンマーク等の国々の一人当たりのGDPは高いですけど、 どこが大失敗なのでしょうか?
http://www.mypress.jp/v2_writers/yuigahama/story/?story_id=1695016
には、 参考になる記事があります。 ここで北欧社会が機能している理由としてキリスト教主義に基づく倫理観をあげています。 スェーデン映画を視ると、 カルビン派の厳しい教義を反映しているのにはびっくりしてしまいます。
また、スェーデンの夏期休暇というと都市の住民は、自然にかこまれた質素な湖畔のキャビンですごし、 それに満足しているとのことでした。 まるで、禅宗の雰囲気でした。
nnnhhhkkkさんの
>結局のところネズミ講システムの維持のための移民受け入れ論に過ぎません。
移民賛成論に対してもやもやするのはここのところです。際限のない豊かさを求めて無闇に膨張するのでは培養皿の上の細菌と同じでどこかで破綻がくる気がします。
「国民の豊かな生活を保障するために単純労働をしていただく移民を受け入れる」
この発想が理解できません。先進国の人間は人口が減り、働く時間が少なく、きつい仕事をいやがる。だから国民の嫌がる単純作業などを移民に「やらせる」を「やっていただく」に言い換えても。貧しい国から来た学のない人間は日本人の嫌がる仕事も有難がってやるだろうという差別意識がありませんか?
移民をずっと低所得で教育レベルの低いままにとどめておけるのでないなら結局は「豊かな生活が保障されるべき人」の総数が増えるだけのことで同じこと、そこに差別と摩擦と混乱が生まれるだけなのでは。
移民のプラス面というのは本当に自明のものとして証明されていることなのでしょうか?
例えばアメリカにおける移民の成功とは先住民族にとっての悲劇に他ならなかったのでは?
その後の歴史も流れ込む人口がチャンスを生んだというよりは、未開拓の広大な大地に付随したチャンスに大勢の移民が集まった、というように見えます。その結果できあがった現在のアメリカには多民族国家としての魅力があるのでしょうが、日本が第2の小アメリカを目指すメリットが大きいとは思えません。
アメリカですら常に後続の移民(かつてはアイルランド系やユダヤ系、その後は南米系など)は差別されてきました。より限られた土地、資源の日本においてはより大きな問題が起きるのではないでしょうか。
長い目で見れば日本文化の独自性や日本語そのものさえ消えていくのは避けられないかもしれないけれど経済成長だの「少ない就労時間で豊かに暮らすこと」のために日本社会を短期的に激変させる考えには疑問を持ちます。
移民は安い賃金で良く働き子供を沢山生む経済成長のための便利な活力剤ではなく、欲もプライドも彼ら自身の文化も宗教も持った人間です。
8 MINOURAT様
ご意見有難う御座いました。80年代までは、福祉国家といえば北欧と言われる一方、税率が90%を超える国民が増え、医者を始めとするプロフェショナルが大量に国を捨てるだけでなく、国民が勤労意欲を失い、企業も海外逃避する事態に直面した時期があります。これに危機感を感じたスウェーデンをはじめとした北欧諸国は、英米に遅れること10年以上の90年代初頭に、平和時の世界に前例の無い大減税を含む強烈な自由化を実行しました。この改革の徹底振りは小泉改革の比ではなく、現在では移民や経済規制を含めて、世界で最も自由化の進んだ諸国として、企業環境調査ではトップクラスに踊り出て、裕福な国家に復帰した経緯があります。」