戦後の65年とは、一体如何なる時代であったのだろうか。科学文明が頂点を極め、物的には随分と豊かに成り、経済規模も随分と膨れ上がった事は事実だろう。
今一つの特徴は、此処20年に及ぶ経済の停滞と、デジタルの台頭に拠る生活の変化であろう。私の様な物でも、従来同様日本国民としての私が存在すると同時に、アゴラに投稿する事で、顔と名前が少しは認知された。国家の関与しない所に、今一人の自分が誕生した訳である。
「失われた20年」と言うのは、言い尽くされた言葉である。問題は、この先更に何年が失われ、我々が職を求め、街を漂流する若者を何時まで見続けるのかと言う事である。
最近IMF発表の今年度経済予測観たが、中国と中国に雁行する新興産業国の成長は際立って良い。反対に、EUと日本はまるで駄目だ。
何事も上手く行かない時、非難の矢面に立たされるのは政府である。確かに、菅首相や側近の顔ぶれ見れば納得する。唯、本当に政府と政治の責任だけなのか。
ここらで、一度立ち止まり、戦後日本を成功に導いた、日本の国の形に就いて考えるべきでは無いだろうか。企業を、国民を、成功に、幸せに導いた国が、最早、何の役にも立たず、成長のブレーキに成り果てて居るのでは無いか、と言う疑問に就いてである。
政府は社会保障を理由に、増税を考えているらしい。良い機会では無いか。
増税で予想されるのは、更なる行政の肥大化と、此れに伴う、財政支出の増加である。増税分等、あっと言う間に食い尽くされる筈である。当然、更なる増税路線に舵切る事に成る。景気も悪く成る。不況に突入するかも知れない。
増税を無理やり決めたとしても、実行の段階まで現政府が持つとはとても思えない。此の辺り、国際的投機筋に狙い撃ちにされ、国債価格の暴落とか有り得る話では無いか。
どうも2011年は、国が許容可能な必要悪から、許容出来ない必要悪に転換する分水嶺に成るのではと考えて居る。その当事者が菅内閣と言うのは何とも歴史の皮肉である。
個人が国民であると同時に、ネットの中の私人に成ろうとする今日、悪でしか無い国の機能を大胆に縮小してはどうだろうか。
その為の第一歩は、地方分権である。当然の事であるが、此れに伴い、公務員改革を中核とする、行政改革を断行し、財政支出を抜本的に削減する事に成る。
次いで、社会保障に大鉈を振るう事である。来たるべき、日本の超高齢者社会に、対応可能な社会保障制度等、若者の犠牲無にはあり得ない。そして、最もやっては成らない事は若者を犠牲にする事である。
最後は国民の自覚である。常に国に依存する、国民の国依存症こそが、国を結果必要悪にしている元凶である。此の機会に国民は経済的にも、精神的にも、国から自立する必要があると思う。
政治がお粗末なのは事実である。しかし、謙虚に考えれば、政治は国民の実態を映す鏡でしか無い。政治を詰る事は暫し休み、国民こそが自己改革すべきでは無いだろうか。そうしないと、国の劣化は朽ち果てる迄止まらない。
コメント
全くその通りです。身体が悪くない限り人間は死ぬまで働いて自分の食いぶちは自分で得るべきである。人様が働いた金で食べてゆっくり暮らそうというのは、おかしな話しです。老後の暮らしは自分でこしらえるべきです。できなければ、野垂れ死にを選ぶべきである、少なくとも私はそうします。死ぬ時は山に行くかなとか考えてます。若い芽が成長させないように、枯れ葉がしがみついてるのは自然の理に背くことだろうと考えてます。私は健康も考えて、糖尿病になっても、透析は受けません。糖尿病もコントロールしてます。自分の不摂生で月々40万円も保険から出して貰うなど、とんでもない話しである。ずっと前の段階で阻止出来たはずです。一型糖尿病は仕方ないですが。ともかく甘ったれるのは止めましょう。若い人が気の毒だ
前項の「消費税を上げる時に注意したいこと」に比べて、論旨が一貫して内容も素晴らしい。
しかし、国民が経済的に国から自立するというのはなかなか難しいと思います。
起業するにも、漁師をやろうとすれば漁業権が、農業をやろうとする農地法が、土建屋を始めようとすると建設業許可の問題が、個人タクシーなんて初めから論外等々、この国は規制で雁字搦めなのですね。
飲食業とか運送業(荷物のみね)とか小売業くらいかな、かろうじて何とかなるのは。(それでも規制だらけだが…)
不必要な規制を撤廃することから始めなければならないが、規制改革には反対が続出するに決まっている。
結果的に、経済的に自立なんて無理だという結論です。
まさにザッツライトです。
あなたのこれまでのメッセージ群とは全く方向性が違う今回の発言は柔軟性に富んでいて脱帽です。
ただ、コメントににある老いたものが死すべきという考え方は賛成しかねます、コメント者に問いますが、あなたが老いたときに同じことが言えますか?という気持ちです。
また、自立が無理だという意見は、ほっときましょう、70年前あたりから進化できない意識は、どうやっても変わることができないみたいなので、そんな考え方で生きているなら、やがていつかある日ミイラとして発見されるのがオチだと思います。
いわゆる「世論」で社会保障の範囲が定まらず、結果、考えが進みません。とりあえず、単純に医療費を削る、ということで考えるのですが、結論は「合理化」しかないと考えてます。
「薬はICカードかなにかにして自販機でもらってくる」「検温は自分で機械で計って端末に送信、しなければ医療ミスは免責」など、医療の人間がしなくていいことはとことん病人が自分でやる、のです。(当然問題あります。動けない人、認知症の人)
これを、「サービスによっては有料で」「医療は自由競争で」という方向(医療でいう混合診療)にすすむとき、一歩間違うとアメリカのようになるのでは、と危惧します。
参考:京大医学部OB、李啓充さんのコラム
http://www.igaku-shoin.co.jp/paperDetail.do?id=PA02718_06
なぜならば、今の日本のでは、自由化した場合、病人の支払いが増えて、医療側の待遇がよくなる方向に行くと思われるからです。
(ただし、それが悪いともいいとも、いいたいわけではありません。野口先生も内需を増やすなら医療との意見です。)
http://diamond.jp/articles/-/10845
同意はしますが、虚しく響きます。 マスコミに期待は出来ない。 一方、ウェブはどうかと言えば、一部の言論系サイトは別として、コメントのレベルの低さには唖然とする。 この記事の主張など、到底平均的な層に受け入れられそうにない。
東知事が「博士の異常な鼎談」という番組で、一度皆でどん底を経験しない限り、この国は変われないのではないか、といっていましたが、私もそのとおりだと思います。 一度皆で失敗体験を共有しない限り、明確に舵を切ることは出来ないと思う。 それも、因果関係が明確なように失敗しないといけない。
だから、民主党にはがんばって欲しいと思っています。 声高に、既得権の擁護、規制強化を叫びながらどん底まで引っ張っていって欲しい。
拍手を送りたい。全く賛成だ。
自分が支払った保険料(税金)以上の対価を得ようとすれば、誰かを犠牲にするしかない。
借金は、一見取り分が増えたように見えるが、次の世代の取り分を犠牲にしているだけだ。
いずれにせよ、社会保険料や税金は国民同士のカネの取り合いでしかない。
そして全体のパイから、公務員の人件費という世界一高い間接コストが引かれるのだから、
官製の社会保障システムは全く割りに合わないシステムだ。
こんな不条理な社会をどうして日本人が支持しているか分からないが、
どうも日本人は、自民党にせよ民主党にせよ首相の首をすげ替えることで満足しているようだ。
多くの日本人は自分の血税や社会保険料の使われ方に関する単純な足し算、引き算もできないのだから、衰退するのは尤もだと思うし、算数もできない馬鹿が多いから、自分が稼げているのだとも思う。
ただひとつ悲しいのは、自分も日本人ということだ。
しかしまぁ、自分を育ててくれた親を育ててくれた人達へのリスペクトがまるで感じられない記事とコメントの山ですな。
人は金が絡むとこんなにも冷酷で悲しい思考が形成されるのかと驚愕しています。
あなたの親が認知症になったらどうしますか?
認知能力が低下したことをいいことに資産を無心するのでしょうか?
失禁しても保清もしない、寝たきりになっても体位変換もせず褥瘡だらけにするのでしょうか?
お前が俺らの金を貪ってるのだと言い聞かせて心理的虐待を加えるのでしょうか?
迷惑だからと、そしてそんな状態でも食いぶちは自分で稼げ、と言って食事も与えず餓死させますか?
下手したら葬式さえもコストだとしてやらないのでしょうか?
「因果応報」という言葉があります。先人を粗雑に扱った者は、後人に粗雑に扱われるのです。
病気になったら人に早く死ねと言う以上は自分も早く死ぬ、なんて人がいますが、人を粗雑に扱う者に限って自分には甘いものです。
>リスペクトがまるで感じられない
冷静に考えると、この非効率で後ろ向きな社会システムを創り上げた世代の一員で有るという現実がある以上、無条件にリスペクトしたりその逆の行動は無意味だと思います。亡くなればみな聖人のような考えでは、進化なぞ絶対に始まりません。
問題は、’高齢者は認知症や寝たきりになることが普通だからしょうがない’という、誤った常識を抜けだしていくことです。認知症は、頭を効率的(発想や発案などの前向き思考)に使わず、非効率(記憶などの過去思考)なまま使わなかった結果だと思います。ただわれわれ日本の教育も社会も記憶最重視ですので、なかなかその視点に気づく人はいないようですが。
>非効率で後ろ向きな社会システムを創り上げた世代の一員
それを一度あなたの御父上御母堂御祖父御祖母に言って聞かせてご覧にいれればいかがでしょうか?
自らの人生を否定され、きっと落胆されるでしょう。
>亡くなればみな聖人のような考えでは、進化なぞ絶対に始まりません。
誰もそんなこと言っていませんが何か?
>認知症は、頭を効率的(発想や発案などの前向き思考)に使わず、非効率(記憶などの過去思考)なまま使わなかった結果だと思います。
脳血管疾患性認知症というものをご存知でしょうか?
認知症といってもアルツハイマーだけではなく、上述の脳血管疾患性認知症もあれば少数ではありますがレビー小体型認知症などがあり、原因は一概には言えません。
また、脳卒中や脳梗塞、脳血栓などの脳血管疾患と記憶型脳活用との因果関係は全く実証されておりません。
それを無視して認知症が全て非効率的な脳の使い方による症状であるという見解は驚愕すら覚えます。
rising629様
コミュニケーションありがとうございます。
ここはいいっぱなしの言葉の暴走族の通り道かと思ってました。
>先人を粗雑に扱った者は、後人に粗雑に扱われるのです
ここの判断に条件が無いので、どんな乱暴者や堕落者でも一律丁重に扱う必要がでてきます。それで
>亡くなればみな聖人のような考え
だと推測しました。この推測に問題あればご指摘ください。これは見え方・聞こえ方の一致不一致をうかがっているのではなく、考え方を別の視点で表現しただけですので本質でご判断願います。
>ご存知でしょうか?
認知症にも、現在まだ発見されていないものも含めてその枝葉は限りなくあると思います。でもその本質は、自分の脳で自分の体の制御が出来ない事ですので、そうした過去の知識は有っても損はありませんが、今の科学で解決出来ていない認知症という問題に対して、過去の知識がいくらあったところで、問題解決に向けてあまり有効ではないということを、これまでの歴史からそう判断しております。記憶は機械にでもまかせておきましょう。
認知症に限らず、自分の体のどの部分であっても効率的に使ってなければ、老化は加速し、人体の条件と老化の状態は人それぞれ違うことから、ありとあらゆる種類の病変につながるのではなかろうか、というのが私の仮説で、記憶ばかりに頼る考え方ではなく、こんなユニークな仮説を発想することが、人間の本来の進むべき方向だと思います。
>しかしまぁ、自分を育ててくれた親を育ててくれた人達へのリスペクトがまるで感じられない記事とコメントの山ですな。
人は金が絡むとこんなにも冷酷で悲しい思考が形成されるのかと驚愕しています
現在の非効率で膨大な赤字を生み出し、若い世代や次の世代を不幸にしかしない官製のシステムを肯定することと、先人に対してリスペクトすることとは全く別の事柄なのだが。
リスペクトされるべき人には自然と人も金も集まるし、軽蔑される人には人も金も集まらない。
官製の社会保険システムはリスペクトされるべき人も、軽蔑すべき人にも同じような金額を配っているという事実だけでもおかしなシステムといえる。
年金の世代間格差のように若い人から年寄りがむしりとるというおぞましいシステムはリスペクトするに足るだろうか。何十年も自民党に投票し続けて膨大な借金を作り上げた先人はリスペクトすべきだろうか。
年寄りというだけでリスペクトされるべきだろうか。年をとるだけなら誰でもできる。何をなしたかではなく、年齢だけで人物の評価が決まるような社会だから衰退するんだろうな。
armedlovepower様
>どんな乱暴者や堕落者でも一律丁重に扱う必要がでてきます。
一律丁重に扱うというか、罪や堕落という結果のみを見て十把一からげで断罪するのではなく(罪は罪として償う義務がありますがそのこととは別として)、プロセスにも視線を延ばした上でリスペクトできるか否かを判断する必要があるでしょう。
罪に関しては、親鸞上人の悪人正機説ではないですが、罪に至った経過は罪そのものとは別に判断する必要があります。
堕落は本人の性格の問題もあるでしょうが、生育環境や教育環境が多大な影響を及ぼしている可能性もあるので、アーリー・スモール・サクセスを積み重ねてステージを引き上げる必要があるでしょう。
そこには本人の努力が必要なのは言うまでもないですが、誰かの力を借りる場面も必要かと思います。
>自分の体のどの部分であっても効率的に使ってなければ、老化は加速し(中略)、ありとあらゆる種類の病変につながるのではなかろうか
それはそのとおりです。
いわゆる廃用症候群ですね。
自由な発想ができればいいんですが、なかなかそうはいかない自分が情けない今日この頃。
老人ホームに八代亜紀とマーティ・フリードマンを呼んで「舟歌」をメタルバージョンで歌わせるなんて自由な発想というより無茶ですわな。
minaminoshima2010様
社会保険制度がむだの温床になっているのは確かかも知れませんが、今の賦課方式を思いついたのは投票選挙で選ばれることのない厚生省の官僚でしょう。
厚生省の回顧録にも「金の余ってる今のうちにジャンジャン使ってしまえ。足りなくなったら賦課方式にすればいいじゃないか」とする官僚の発言が記述されています。
>リスペクトされるべき人には自然と人も金も集まるし、軽蔑される人には人も金も集まらない。
麻原彰晃や円天の波会長、鳩山由紀夫、あのおせち業者はリスペクトされているのですかそうですか。
>何十年も自民党に投票し続けて膨大な借金を作り上げた先人はリスペクトすべきだろうか。
そのことと「人としてリスペクトする」こととは全くの別問題。
>年齢だけで人物の評価が決まるような社会だから衰退する
歳を重ねたことで醸し出される年輪もリスペクトの対象にされるべきものではないですか?
いくら若くして何かをなしても若気の至りで無茶な運営をしたペッパーランチやグルーポン、ペニーオークションやDeNAの社長はカネを集めた、というだけで無条件で全面的にリスペクトされるべきなのか?かなりえげつないことしてますよ、彼らは。知らないはずないでしょう。
実績へのリスペクトと手法へのリスペクトは別物です。
rising629様
素敵なコミュニケーションありがとうございます。
>老人ホームに八代亜紀とマーティ・フリードマン
過去の組み合わせそのものですね。これはあなたの発案を否定しているわけではなく、その限界を超えるような過去の事例の組み合わせの努力に、自分の日常のチャレンジの場において共感できるという意味です。(そんなことをやる意味があるのかさえ疑問というニュアンスを伝えたいです)
日本のカンパニーのあらゆるプロダクトや、国家単位の問題や、家庭での日常の困りごとにいたるまで、問題解決におけるアプローチが全て過去の事例を探す事だけにとどまっていることを常識だと思っていることが大問題だと思います。
どこにいっても多数決、どこにいってもリサーチだけ、イノベーションは、多数決やリサーチで生まれた前例などあるでしょうか?
というのが、私の主張したいメッセージです。
すこし具体例をあげさせていただきます。万人にご理解は難しいかもしれませんが、私の仮説の一部です。
過去の事例を追い求めることを常識だと勘違いしている事の証明として、世界の有名な解析ソフト(過去の事例から法則を見つける)の売上が、この日本が一番であること、日本とトップ企業が過去の事例のリファインが再重要だと思い込んでいること(カイゼン→新しい問題には無力だったことを、こないだのフロアマットの問題で証明されたと思ってます)、アイフォーンのような人それぞれの多彩な自由を叶える発案で産まれる製品に対して国内では人はみな同じはずだといらない(くだらない過去の詰め合わせセット)機能をつめこんだ魅力のない製品(=ガラパゴス発想そのもの)とか、ノーベル賞を受ける人の年齢が欧米諸国より圧倒的に高齢(過去の事例から法則を考えるので非常に効率が悪くて時間がかかる)であることとか、毎日のテレビでのコマーシャル(昔はよかった、昔のアイドルを無条件に賞賛)とか、教科書の記述(江戸時代はリサイクルが完璧だった←水銀が食物連鎖で高濃度循環し、脳の生育が停止していた=仮説)、あととどめに国家の歌詞を御覧ください。みんなで石になることを推奨するというあの後ろ向きの象徴ともいえるメッセージ!あれでは人に柔軟性など身につきません。
あ。わたしは常識を打ち破る行為を実行しているだけです。
(これまでは、面と向かってこんな主張をすれば(出る杭として)打たれ、へたをすれば殺されるような武家屋敷の中での提案です。そんな常識破りな自由な行動が実行できるネットというインフラに感謝です)
常識に従って毎日毎日いつでもいがみ合いながら、イワシ群れの一員としてクジラの口内に向かっている人々の、1000人に1人ぐらいが、私のメッセージを理解いただければいいかと思っております。
あ。この確率は、これまで、いろんなブログにメッセージを送った実績からの実績から推測しております。(私のHNで検索いただければご理解いただけるかと思います、Armed Love Power もおなじ私です)
rising629様
>麻原彰晃や円天の波会長、鳩山由紀夫、あのおせち業者はリスペクトされているのですかそうですか。
私が言いたいことは、市場経済では、多くの人を幸福にした人には、多くのものを受け取る権利があり、一方で、他人を幸福にできない人は、少しの分け前しか預かれないということだけです。
現行の国民年金や生活保護や健康保険は、麻原と鳩山とあなたを同列に扱い、同じ金額を配るという制度です。そんなものは全く不合理であるから、自由な市場に任せれば良いというのが私の意見です。
あなたの例は極端な例が並んでいると思います。カルト宗教の教祖とマルチ商法の親分と親から莫大な財産を相続した前首相を社会の縮図と考えているとしたら、相当歪んだ社会観をお持ちということになります。
一般的にはたくさん稼いでいる人はたくさん人のために働いていますし、悪いことをして稼いでいる人は短期的には大もうけできても長い目で見れば割りに合わないことのほうが多いのです。
当然、社会保障制度も努力した人に厚く、努力しない人には薄くという市場原理が必要です。そのためには厚生労働省主催の保険や年金はそもそも不要と思います。
分配は税金の仕事であり、保険の仕事ではありません。保険や年金は民間の市場経済にまかせることがより効率の良い日本を作ることになると思います。(少なくとも赤字は減ります)
保険で足りない部分は税金でやればよいだけで、厚生労働省主催の効率の悪い社会保険制度を支持する理由は全くありません。