相撲八百長問題が火を噴いている。今回ばかりは、メールと言う証拠を警察にがっちり押さえられており、相撲協会お得意の「うっちゃり」や「肩透し」は難しそうである。進退此処に極りと言う所では無いか。
訝しいのは、相撲八百長問題の実態に気付きながら、長きに渡り放送を続けて来た、NHKの責任を問う声が聞こえて来ない事である。
中国から輸入の冷凍餃子に農薬が混入している事が判り、大騒ぎした事、記憶に新しい。仮に、輸入を担当した商社や、実際に販売した大手スーパーマーケットが、農薬混入の事実を知りながら、事実を隠匿し、輸入や販売を何食わぬ顔で続けていたら、犯罪として立件、起訴されたに違いない。
今回の、相撲八百長問題と一体何処が違うと言うのであろうか。
飽く迄仮定の話であるが、イギリスで同じく国営放送のBBCが人気のサッカーなり、ラグビーの放映権を買い取り、同じ様な八百長問題が起これば、間違い無くイギリス国民はBBCを厳しく非難する筈である。局の存続も危ぶまれるかも知れない。
NHKの問題は、要約すれば、大体下記の様なものであろう。
先ずは、放送するコンテンツの品質管理が成っていない。今年正月に「グルーポンのおせち事件」が世間を賑わせた。パンフレットの写真と、実際に送られて来たおせちの落差が大き過ぎたのである。
同じ様な話で、NHKは、相撲の取り組みを、ガチンコ、真剣勝負として取扱い、視聴者に紹介して来た。しかし、実態は多くの取り組みは八百長であった。
コンテンツ内容の品質管理や、番組考査の基準に、歪みがあるのでは無いか。視聴率が取れれば何でもあり、と言う事であれば、民放と同じで、公共放送である必要が無い。民営化すべきでは無いか。
仄聞する所、相撲関係者のパーテイーや結婚式に、多くのNHKアナウンサーが司会に起用されたらしい。きっと、割の良いアルバイトなのであろう。国民から集金した受信料で、相撲協会に放送料を支払い、相撲協会は、その一部をNHK関係者に還流する。此れは、「税」と「役所」の不透明な関係其の物では無いか。
最後に最も看過出来ない事実は、NHKは報道機関であり、日本に於けるジャーナリズムの一翼を担って居ると言う事である。
相撲八百長問題は繰り返し、週刊誌が報じて来た。NHKが、敢えて此の事件を報道しない事で、多くの国民は相撲八百長問題は無いと判断したに違い無い。一般国民のNHKに対する信頼は、週刊誌等とは比較に成らないからである。
犯罪を隠匿し、敢えて沈黙を保つ事で、無罪の方向に世論誘導する。此れは余りに悪質では無いか、「ジャーナリズム」の目指すべき方向とは真逆である。
今回、メールと言う動かぬ証拠が出て来た事で、過去を反省する事無く、まるで他人事の様に警察発表を、右から左に報道している。本当に、破廉恥、恥知らずだと思う。
NHKの会長も交代した事であるし、良い機会なので、此れを機に、NHKの在り方を一度見直してはどうだろうか。その際の、ポイントは下記である。
1.国営放送もどきの「公共放送」が本当に日本に必要なのか。
2.仮に必要との結論なら、その理由は、質の高いジャーナリズムの維持と、今世紀の活況が予想される、「ネット」へのコンテンツ、番組公開と思われるが、いずれも合格ラインには達していない。どう改善するのか。
3.放送波を勝手に垂れ流し、「受信料」を請求すると言う仕組みは、情報、コンテンツがネットに氾濫する、今の世の中には適合しないのでは無いか。「受信料」を「視聴料」に改め、視聴契約を締結した視聴者のみにスクランブルを解除してはどうだろうか。
濡れ手に粟で、「受信料」を受け取る「ごっつあん」精神こそが、相撲協会と共通する、甘えの精神であり、此のシステムで、組織を腐敗と堕落から救う事、困難と思う。
NHKも、他の民間企業同様、額に汗して稼ぐ体質に改善すべきでは無いだろうか。
コメント
相撲協会、NHKと、最近評判の宜しくないものを組み合わせて批判するなら何を言ってもいい、とお考えならば、あまりに不見識ではないでしょうか。
NHKが「八百長の実態に気付きながら」放送をしていた、とか「多くの取り組みは八百長であった」とか、いったい何を証拠にそんな無責任なことをおっしゃるのでしょう?
そのような話が、新橋辺りで気炎を上げる窓際族の与太話として大いに通用することは否定できないでしょうが、これだけ根拠のない話から「公共放送」否定にまで飛躍する論理性の欠如と見識の欠落には呆れてものが言えません。
NHKにジャーナリズムを求めても、無理です。
過去、NHKが不正や犯罪・倫理問題を暴いた例は、ほとんど無いでしょう。
他社や公権力に便乗して報道することは多いですが・・・
単純に1000億円くらいの規模に縮小して、プレス向け発表の転載と時候の取材、
災害報道だけに特化するのが、NHKにとっても良いと思います。
何か新しいことや改革を行うのは、NHKそのものの否定です。
ジャーナリズムは、既存メディア以外の方が期待出来ると思いますが如何でしょうか。
「力士という名の芸人の興行」を含むスポーツ・教育・ドキュメンタリー放送は、
完全に民営化すればよいです。
八百長に関してNHKが有責だというなら、八百長相撲を流したことで誰がどんな被害を受けたのかを明らかにすべきです。おおかた筆者は相撲賭博で大損でもしたのでしょう。少なくとも私には何の影響もありません。たかが相撲です。報道番組のヤラセでもなければ、インチキ商品の宣伝でもありません。
公共放送としての矜持をもって責任と言うなら、政治家の圧力に屈して番組内容を変えた時こそ言うべきことで、相撲中継にジャーナリスト魂を求める人などどこにいるのでしょうか。八百長疑惑を報道しなかったことは隠蔽したことになるのでしょうか。NHKの記者がボンクラ揃いだっただけではないでしょうか。
ひごろ責任の範囲と所在を曖昧にしているものだから、いったん不祥事が起きると組織の上へ上へ、本質の外へ外へと追求の連鎖がどこまでも続く、最近の集団ヒステリー的風潮の一端をこのエントリーに垣間見ているようです。NHKが八百長を知っていようがいまいが、問題の核心は相撲界そのものじゃないんですか。
不祥事の多いNHKに不満を持つ気持ちは分かります。
ただし、NHKの不祥事の多さと、「公共放送が必要か否か」とでは、別問題でしょう。
また、相撲の八百長について保守派からは「もともと神事なのだから、八百長はあっても良い」という意見もあります。
私が問題視しているのは、タイミングです。
電子機器の情報なんて、ある程度の技量を持つ人の手にかかれば、いつでも復元できる情報です。いつでも。
大手メディアが一斉に何かを報じている時には、他に、隠したい話題や、大衆の関心を逸らさせたい話題がある時です。たとえば去年の5月頃には、国側の口蹄疫対策の遅さを隠すために、マスコミは上海万博の事ばかり話題にしていたように。
マスコミは
・大衆の関心を、小沢一郎氏の裁判から逸らさせたい
・自治基本条例(外国人参政権)の話題を隠蔽したい
・全国行動委員会によるデモを隠蔽したい
・尊大な公共放送に対する民放の逆襲
などのために動いているものだと考えられます。
>> 今回の、相撲八百長問題と一体何処が違うと言うのであろうか。
「違わない」という反語なんでしょうか? 全然違うんですが。
毒入り餃子は食えば体を壊しますが、相撲は興業に過ぎず、見る側は誰もフィジカルに怪我するわけではありません。
例えにあるBBCについても、非難される、つぶれるどころか、徹底調査して特番にしてむしろ喝采を浴びるのではないかと想像します。
例えに違和感がありすぎて、肝心の主張まで実はズレてるんじゃないかと感じてしまいます。
自宅で全くテレビを見ない私のほうがズレてるんでしょうけど。
放送倫理の問題もさることながら組織として金属疲労状態に陥っているのでしょう。ネットコンテンツへの取り組みはオープンアーカイブ化どころかpcを受信設備とみなしネット契約している者からも強制徴収できるようになるみたいですね。
(引用)http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100525/plc1005252036025-n1.htm