ロシアのメドベージェフ大統領は9日、北方領土はロシアの戦略的地域であり、ロシアの不可分的領土だという声明を発表し、北方領土での軍備増強を国防相に指示した。昨年11月のメドベージェフ大統領の北方領土訪問に関し菅首相が「許しがたい暴挙」との声明を発表したことを受け、10日の前原外相ロシア訪問を前に、北方領土問題に関する強硬姿勢をあらためて強調した格好だ。
そもそも、いかに歴史上、地政学上、国際法上の正当性があろうとも、他国が実効支配している領土の「返還」を求めることは非常にハードルが高い。北方領土問題に関し、いまさら既出の論点を論うことは出来るかぎり避けたいが、筆者には、大相撲八百長にも見る日本人の「誤魔化しの議論」が北方領土問題にも内在しているように感じられてならない。日本では一般に、大東亜戦争の終戦は1945年8月15日とされている。しかし、これは日本がポツダム宣言受諾を国民に発表した日であり、国際法上の正式な「降伏」は、降伏文書に調印がなされた同年9月2日だ。現実に、現在もアメリカでは9月2日を対日戦勝日として記念日にしている。さらに言えば、国際法上は、1952年4月28日のサンフランシスコ講和条約発効までの間、日本と連合国は停戦状態であると同時に戦争状態でもあったと解するのが妥当であり、その間に戦時国際法上有効におこなわれた戦争による占領は、いちおう有効とも言える。しかもソ連は、サンフランシスコ講和条約に署名していない。ロシアが北方領土を不法に占領しているという日本の主たる主張は、「日本がポツダム宣言を受諾した後にソ連が侵攻した」という点だが、ソ連による8月8日の日ソ中立条約破棄後、8月9日の満州・樺太・千島列島「奇襲」は9月5日までの間に五月雨に実行されており、そもそも8月15日を境目とすれば、部分的に有効な占領を認める理屈になってしまう。なおかつ9月2日降伏説やサンフランシスコ講和条約終戦説が有力だとすれば、ソ連の占領は戦時国際法上違法ではない交戦中のものであり、有効と解される可能性すらある。「交戦上の有効な占領」など、今の平和ボケした日本人には想像もつかないだろうが、現代の倫理観で当時の国際関係を論じてはならない。当時の世界はまだ、奴隷制や植民地支配、さらには血で血を洗う領土戦争の真っ只中だったのだから。
すなわち、日本が北方領土返還の正当性を主張するのは、日ソ中立条約のソ連による一方的な破棄に求めるほうが、終始一貫かつ普遍性を持った正当性がある。日ソ中立条約第3条には、条約の5年間の有効期限と5年間の自動延長、また、条約を破棄する場合には期限満了の1年前までに相手国に通告することを規定していた。ソ連は8月8日にこの全てを一方的に破棄して対日戦線に参戦、翌9日には日本に対して事実上の奇襲を仕掛けたのだ(ソ連大使館から日本への電話は全て遮断されていた)。こういった行為は歴史的にも極めて異例であり、国際法が法源とする条約と慣習法においても正当性がある。和平条約を締結していなかった日米間の真珠湾「奇襲」ですら日本は未だに国際社会から非難を浴びているのだから、北方領土問題における日本の主張は、一定の正当性を持つだろう。
思うに、「大東亜戦争(第二次世界大戦、太平洋戦争)は何でもかんでも日本が悪い」という戦後の教育と、北方領土の領有権の主張は、相容れない。敗戦は敗戦、国際法上の正当性は正当性だ。そのうえで外国との交渉の多くは利益相反であり、慣習も思想も違うので、共通に認識できる言語や表現で、内容を極限まで明確にしなければならない。それに比べて日本人は、大相撲の八百長や小沢一郎氏の政治資金問題など、日本人同士で共通認識がほぼ似通っており、曖昧にしておいたほうが日本総体の利益に資するような問題は明確にしようとする。いったいこの歪んだ価値観は何なのだろうかと、筆者は首を傾げたくもなるのだ。前原外相のようなタカ派がロシアに乗り込むことには懸念を感じるが、かといって中途半端な外交を繰り広げるくらいなら、他の領土問題への悪影響も懸念されるし、拳の振り下ろしどころを探しつつ、北方領土の領有権はさっさと諦めたほうがよい。北方領土に対する日本人の統一的な世論が固まっていないのだから、政治家も動きようがないのが現実だろう。ロシアも、日本政府に国民の後ろ盾がないことは十分に認識しているから、強気に出ることができる。残念ながら、日本の教育が改革されないかぎり、北方領土問題に限らずこの状態は半永久的に続く。
1945年8月18日。終戦を聞かされていた陸軍の池田末男少将は、千島列島北東端の占守島でソ連軍の奇襲を受け、「諸子はいま、赤穂浪士の如く恥を偲んで将来に仇を報ぜんとするか、あるいは白虎隊のように玉砕をもって日本民族の防波堤となり後世の歴史に問わんとするか」と連隊に問いかけ、連隊は全員決意のもと玉砕し、池田少将自らも戦死した。この占守島の戦いがなければ、留萌~釧路ラインから北の北海道の半分はソ連に占領されていたといわれている。将来、北方領土問題がどのような結末をみようとも、この国を命がけで守った人々がいたことだけは、日本人として努努忘れてはならない。
コメント
北方領土はさっさと諦めた方が良いとの主張には賛成です。人口減少、超高齢社会の我が国には、余計な領土を管理する余裕は人的にも財政的にも無いと思われるし、たとえ返還されても、巨大な寄生虫か吸血ダニになるだけ。
領土が広いほど良いというのは子供の発想。北方領土返還を叫び続けることが利益になる人達がいるのです。彼らは問題の決着を望まないのです。だからロシアが絶対に受け入れることのない四島一括返還を永遠に叫ぶのです。エセ同和と同じ構図です。問題がなくなると飯の食い上げとなるのです。
吉田茂は日露和親条約や千島樺太交換条約を根拠に日本の領土であると主張しています。これらの条約とポツダム宣言の時期に根拠を求めるのは若干と言わず苦しいですね。日ソ中立条約に焦点を定め方が根拠が明確になります。
ウォーギルト・インフォメーション・プログラムの犠牲になった多くの日本は、譲渡すれば全て解決する、または「損して得取れ」という言葉が領土問題にも当てはまると考えるようですが、財布の中身を計算すればよいという問題ではないです。
半永久的に返還されないとしても半永久に主張しなければならない理由があります。仮に中露韓と対する領土問題を穏便に解決するためにすべて放棄したとしても領土問題は決してなくなりません。
中国はターゲットを尖閣から沖縄へ進め、韓国も同様に対馬の領有権を主張するだけです。北方領土を放棄するということは、そういった現実を加速させることになります。
結局日本もロシアも譲渡する理由がないし、半永久的に進展がないのは当然の帰結ですよ。この状態を平和と呼ぶならそれほど悪くはないと考えたほうが精神衛生上良いかもしれません。
アゴラも、レフェリー制度をつけて、6人のレフェリーで、2人、ノーがでれば、アウトにするくらいが、いいのではないか。
先般の、エジプトの大混迷、も筆者の混迷さが如実にわかるヒデー記事だったが、これも、領土問題を論じるには、いささか乱暴な記事だと思う。
端的にいえば、Six Days Warで、シナイ半島をエジプトは失い、ヨルダン河西岸をヨルダン、ゴラン高原をシリアは、占領された。
エジプトは、平和ぼけしてなかったので、シナイ半島は返還されたのか?もちろん、エジプトがシナイ半島を放棄して、戦争を処理すれば、シナイ半島はイスラエルのものになってただろう。
シリアは平和ボケして、空虚な主張をしているので、ゴラン高原は返還されないのか?
たとえ、ソ連がUSともめてでも、留萌ー釧路以北を占領していても、だから、そこが、ソ連領で確定するわけではない。
日ソ中立条約違反だから、WW2の国境移動は認められない、というのは、感情論では、そうかもしれないが、そんなのは、国際交渉の理屈にはならない。(てのが、わからないなら、モスクワ平和条約でも調査の事)
日露については、それぞれの立場があって、一致していない。領土論は、4島、2島、全千島、全千島+南樺太(日本共産党)まで、あるが、交渉が必要なのだ。
交渉とは、AとBが、それぞれの持っているもの、欲しいもの、をはかりにかけて、ディールすることだ。