人口動態の問題がいよいよ関心を集めている。その関連で、人口変化の経済的影響を検討する際に需要面に重点をおいて考えるか、供給面に重点をおいて考えるかというのが、イシューの1つだとみなされているようである(例えば、日本経済新聞2月16日付け朝刊の「大機小機」欄の「人口と経済、需要か供給か」という「隅田川」氏の記事)。
しかし、この問題に限らず、需要面と供給面を截然と二分して対立的なものとして考えるのが、常に適切であるとは思われない。というのは、画期的な新製品の登場(供給)が需要を生み出すといったことや、生産性ショックが将来所得に関する期待の引き下げを通じて需要の減退につながるということが考えられるからである。需要と供給の間には相互フィードバックが作用することを正当に考慮に入れる必要がある。
例えば、人口が高齢化すると一人当たりの需要が減退するのが当然なのか、という疑問を考えてみよう。これには、供給サイドの対応がいかなるものであるかによって、YESともNOとも答えられるように思う。すなわち、顧客が中高年主体になっているのに、「若者向けのメニュー」のままであれば、確かに需要は乏しくなるに違いない。しかし、中高年の嗜好にあったメニューを提供すれば、そうはならない可能性が十分に想定できる。
人口が高齢化すると一人当たりの耐久消費財に対する需要は確実に減退するだろう。しかし、医療や健康関連のサービスに対する需要は確実に増大する。こうした潜在的な需要構造の変化に対して供給(産業)構造が柔軟に対応していけば、必ず需要不足になるとはいえない。逆にいうと、現下における日本のいわゆる需要不足は、供給構造が旧態依然のままであるがゆえ、といえるところがある。実際、周知のように医療・健康・介護といった分野で潜在需要(ニーズ)は拡大しているが、そのことに供給体制が対応できていないことから、そうした分野では、需要不足ならね「供給不足」が深刻な問題となっている。
このあたりについては、野口悠紀雄氏がダイヤモンド・オンラインの「人口減少の経済学」という連載記事で詳細に議論されているので、そちらを参照していただくことにして、ここではごく簡単に結論だけを述べておくことにしよう。
要するに、日本の対GDPでみた医療支出が(米国並みにはとうてい行かなくても)独仏並みに上昇すれば、それだけでGDP2~3%分の需要の増加が生じる。それゆえ、現在の日本が抱えているといわれるGDPギャップは、医療のほか、健康・介護といった産業の拡大によって十分に解消可能な規模のものに過ぎない。この意味で、人口減少が起こっているので内需に期待できないというのは、供給構造が旧態依然のままであることを前提にした(誤った)考え方に過ぎない。
しかし、医療・健康・介護分野が現状のように圧倒的な国家統制の下にあり、それらに対する支出の大半が公的にカバーされている状況では、これらの分野の拡大は財政支出の増大を要することになる。それゆえ、野口氏のいうように「内需の拡大といいながら医療サービス需要の拡大(医療費の増大)は抑制されねばならない」という矛盾した話になっている。一部の経済学者を含めて、医療などの分野は「福祉」で通常の経済活動とは違うという固定観念があり、そのことが、こうした矛盾を許容する思考停止につながっているところがある。
といっても、私も、国民の命や尊厳に関わる分野に剥き出しの市場メカニズムを適用することが望ましいことだと決して考えているわけではない。けれども、例えば病院が入院患者に対して提供しているサービスの一部は、ホテル業が提供しているものと本質的に異なるものではない。医療サービスだからといって、その1から10までのすべてが特別なものではない。サービス内容をアンバンドル(分解)して考えれば、通常の市場経済活動として展開されても全く問題のない部分は少なくないと考えられる。
したがって、ナショナル・ミニマムを公的に確保した上で、追加的な部分についてビジネスとして展開する余地(混合医療や混合介護など)を広範囲に認めていく方向での制度改革を実現できれば、公的な関与(財政支出)を拡大することなく、医療・健康・介護分野の規模を拡大する余地は十分にあるといえる。こうした方向の制度改革を進めることこそが、本当の意味で内需拡大につながる途である。この途は、実はもう10年近く前から「需要創出型の構造改革」という言い方で提案されてきたことである。
ただし、上記したことは、いまは全員がビジネスホテル並(実際はそれ未満の?)の病室に泊まることになっているのに対して、追加の料金を自分で払うというものには豪華ホテルのような病室に泊まれることを認めるということである。それゆえ、ある意味では金持ちだけが良い扱いを受けられるという話でもあるので、「貧者の共産主義」的な価値観が支配的であれば、とうてい許容されないということになる。
いずれにせよ、「供給(産業)構造を見直して潜在的な需要構造との適合化を図る、それによって需要不足を克服する」というのが、日本経済を今後も成長させようというのであれば達成しなければならない重要課題の1つだと私は考えている。もっとも、この課題さえ達成したら、経済成長にかかわるすべて問題が解決するというわけではない。並行して実現を図るべき課題が少なくとももう1つ存在している。このもう1つの課題については、機会を改めて述べることにしたい。
池尾和人@kazikeo
コメント
需要と供給がバランスしている状態を
A(需要)=B(供給)
とします。
潜在需要や供給過多など、今後予想されるマイナス、プラスの数値をα、βとします。
A+α=B+β
過去に作られたもので、耐久年数が過ぎたものの買い換え需要を予測を名目別に a,b,cとします。
a/1 耐久年数1年
b/2 耐久年数2年
c/3 耐久年数3年
わかりやすくする為にa,b,cの数値を同一にします。
1000/1
1000/2
1000/3
そして10年経過したときに、それぞれがどれだけの有効需要があったかを計算します。
1000/1 X10
1000/2 X10
1000/3 X10
計算式はこうなり、
1000/1 X10 =10000
1000/2 X10 =5000
1000/3 X10 =3333.3333
答えはこうなります。
明らかに耐久年数が短い方が有効需要額が高いのですが、高度医療など、投資、設備に莫大な資金を要するものは、
確実的な有効需要と言えないので、計算式は成り立ちません。
ミクロの積み重ねがこれからの主流と考えます♬
私個人の印象として、混合診療とか混合介護の導入をすべきであるとおもう点についてですが、自己負担割合が基本的にいくら使っても(枠内であれば)一定で変わらないという傾向は社会保障制度としてはどうか?と思う部分がある、という点。
それから、ある治療・サービスに保険が効くか効かないか?の区別で大きな断崖のような差が存在している点などですかね。あとは、保険の適用になっているものの方が明らかにコストパフォーマンスの悪い物であったりとか、なんでそんなものが適用になっているの?ということが誰にも説明できないというケースもとても多いと思いますし。
それから、歯科などの領域はそもそもの点数自体が低すぎて治療の質が維持されていないのではないかというのもありますね。他の設備機器にお金がかかる治療は点数も高いようですが、古典的な処置で、医師の技術に差があるような治療に関しては、それでも一定の点数をつけるわけですから、応急処置のような質の悪い治療ばかりが横行してしまう。このようなことがむしろ医原性の患者を生んでいるのではないか?と思うことが多いですね。
人口動態と内需の関係については,まだ結論を出せる段階にないでしょう。経済の需要面と供給面を完全に分けて考えられないということは,私も同意です。そしてその根拠は,どちらも物理的に同じ人間が担っているからです。より理論的に把握すれば,分配面と合わせて三面等価の他面同一であると考えて良いでしょう。もちろん供給の主体は主に企業ですし,需要の主体には政府も存在しますが,大雑把に捉えるならば,供給と需要は,その主体が物理的に同一の人間であるためにバランスします。これは,貴族が消費し平民以下が生産を担っていた時代にはあり得ない構造です。このことが,基本的に需要と供給がバランスする現代の市場経済の基礎であると思います。
ここで,重要なポイントが二つあります。
1. 現代の経済学は,市場システムについての分析は精緻だが,市場システムを成り立たせている人間の行動についての分析が十分でない。
需要と供給をバランスさせるのは,究極的には人間の行動です。いま,退職を迎えつつある団塊の世代は,どのような行動をとるでしょうか。彼らは豊かになった第一世代であり,貯蓄性向が高く,節約,質素であることを是とします。世代別での消費支出は,日本では40~50代半ばが最も多く,アメリカではそれよりも高い年齢層です。アメリカのリタイア世代は豊かになった第二世代であり,リタイア後も旺盛に支出します。我々は人間のライフサイクル,世代の価値観についてもっと深く理解する必要があります。
2. リタイアした高齢世帯の医療費への支出は,基本的に生産者と消費者が一致していない。このことは,高齢世帯が「支出したいのにできない」「生産したいのに生産できない」ことを意味します。もちろん国民のすべてがリタイアした高齢者ではありませんが,数の多い団塊の世代はやはり無視できません。
長くなりすぎました。この辺で。
現在でも、高い料金の(個室、広い、設備がよい)病室を設けている病院が多いですが、これらは池尾先生のおっしゃる需要創出型の構造改革とは違うのでしょうか?
また資産を持っている高齢者の需要が少ない(物やサービスを買わない)のは供給に問題がある(高齢者の嗜好にあったメニューが提供されていない)のではなく、
1)予期できない(制御できない)支出が増える
2)資産を使って生活する期間が予測できない
という点から、資産があり嗜好にあったメニューが提供されていても将来のために支出しないためだと思います。
1)に関していえば、高齢になるほど病気や怪我の確率が高くなりしかも長期化しやすいのでその場合の費用が高額になります。旅行でホテルに泊まる期間や費用は制御できますが、病気で入院する期間や費用は制御できません。
2)に関していえば、一般に高齢者ではフロー(年金-支出)はマイナスなのでその分をストック(資産)で補うことになります。しかしこのような生活がどれだけ続くかが不明なので、途中でストックがなくなってキリギリス状態になるのを避けるためになるべくフローの赤字を少なくする(支出を少なくする)ようになります。
これらの点から高齢者は資産があり嗜好にあったメニューがあっても支出を減らすことを優先すると思います。高齢者の資産を支出してもらうためには1)に対しては医療の定額制などにより病気や怪我になっても支出は制御できる(一定額でよい)ようにすること、2)に関しては年金の昇給(例えば65歳では規定額の50%を支給し毎年10%支給額を増やし75歳以上は規定額の150%を支給する)によりフローが赤字の期間を限定することにより、高齢者に安心して資産を使ってもらえるようにすることが必要だと思います。