デスマーチ(死の行進)とはIT業界でしばしば使われる言葉です。可能性が極めて低い状況の中で、成功への大きな負荷を与えられたプロジェクトが陥る状況の事です。
福島第一原発においては、津波が緊急炉心冷却システム(ECCS)の機能を消失させ、外部発電機が繋がらない事が明白化した時点で、この障害対応プロジェクトはミッション・インポッシブルへと変化し、デスマーチがはじまったと推測します。
しかもここでは、炉心融解、広域放射能汚染という恐怖に加えて、現場自身への死の恐怖という、サラリーマン生活の中では考えられない異常に高い負荷があったと考えられます。(私の状況認識が間違っているのであればご指摘下さい)
デスマーチ発生の責任は、現場の問題を過小評価した(或いは現場の資源を過大評価した)上位組織にあります。IT業界の場合、採算という大きな壁があるので、分っていても現場に任せるしかないという状況はある適度理解できます。しかしながら今回は、広域放射能汚染という大規模災害リスクの前に、採算という壁は有り得ません。上位組織は、持てる全ての資源を最短時間で投入して、最大効率で事態の沈静化をはかるべきでしたが、そうはならずに事態を悪化させて現在の状況に至っています。この責任は誰にあるのでしょうか。
福島第一原発が東日本大震災に耐えられなかった責任、そして今日までの障害対応の責任は、私は東電ではなく、政府にあると主張します。以下にその理由を述べます。
東電の責任範囲について考えて見ます。私企業による電力事業を政府が認可した時点で、事業者は一定の経済合理性を保つ事を求められます。たとえ原子力発電所であっても、東電が責任を持って事前に準備する障害対応の範囲は、認可された自然災害の範囲内に限られると考えます。7メートルといわれる津波用の防波堤で原発の建設を認めたのは政府ですから、それを越えた大津波が緊急炉心冷却システム(ECCS)の機能を消失させた時点で、それ以降の最終責任は東電から政府へ移ったと考えます。
東電の対応能力について考えて見ます。緊急炉心冷却システム(ECCS)機能が消失し、外部電源が繋がらないと判明した時点で、上記で述べた理由により、東電が災害用に準備していた対応資源や対策マニュアルの範囲を超えたと考えます。現実に、東電の施設内にある資源だけでは、どうしようもない状況であったと考えます。たとえば使用済み燃料による火災の消化に自衛隊や米軍ヘリが使われましたが、これらは東電の資源ではありません。昨日は3号機への注水の為に、消防車の運転を東電社員が警察官へ「お願い」したそうですが、警察官も消防車も東電の資源ではありません。これらの状況を見ると、障害対応に要する資源が東電の資源を越えている事は明白です。
政府は東電に責任を押し付けながら、中途半端に状況へ介在して、自衛隊や消防や警察を動かしています。しかしながらその為に、現場にいる全ての組織の指揮権限や責任が不明になり、混乱と非効率が生じます。この場合、東電が使える「政府の資源」も土壇場まで不明ですから、東電はまず自分の限られた資源で対応する計画しか立てられず、結果として後手にまわっています。米政府からの技術支援や冷却材提供を断るというような混乱が生じたのも、政府の介入が中途半端だったからでしょう。
このように福島第一原発の大規模障害に対して、政府が責任を持って現場の沈静にあたるべきであるのに、4日間も東電に対応を丸投げした後で、中途半端な統合本部を設置してお茶を濁しています。(先の述べた3号機への注水作業の件を見ても統合本部の効果は残念ながらまだ見えていません)
現在の統合本部は、管首相の発言から考えても、東電の手綱を政府が締める為の組織という意図が感じられて不安です。米政府は米軍の核専門家要員9人を日本へ派遣するそうですが、彼らを効果的に利用する為には、統合本部に合流するのが合理的です。そうなれば益々、東電の手綱を締める為ではなく、政府が主体となって東電や自衛隊や米軍やその他の組織が一体となって、障害対策にあたる必要があると考えます。
一刻も早く統合本部の効果が現われて、現場のデスマーチが沈静化し、状況が収束する事を切に願っています。
【参考文献】
MIT原子力理工学部による改訂版・福島第一原発事故解説
大地震後の東電福島第一原子力発電所の状況(推定)
早稲田大学 岡芳明教授
(石水智尚 インターネット・ソリューションズ・リミテッド役員)
コメント
政府筋から「東電がああいった、こういった」などの情報が早くも出ていること自体が、周囲を不安にさせますね。しかも総理大臣自信が率先してそのようなパフォーマンスに励んで意味不明なことを言っている様子も報道されているわけで。指示系統が混乱しているのを自ら暴露して見せている自覚も総理にはないのか?どうなのかわかりませんが。
現場においては、基本的には、安全基準を超えたら作業はできないはずですが、非常事態である場合はより高度な判断が求められるわけで、その前提にたって様々なオプションを用紙しなければならない立場の人間が、自らオプションを否定するようなことをいっているのは、それ自体が異常事態です。報道が事実であるとすればの話ですが。
マネジメント不在というより、複数のマネジメントが存在し、互いにその範囲を知り得ないという事。ですのでご主張のように、政府がトップマネジメントをする必要があります。
その体制になった場合、評価-作業のプロセスをどう持つか、という問題が発生しますし、それは現時点でも発生しています。
初期に現場で海水を冷却水として投入するという判断があり、東電の経営陣は廃炉を恐れてその判断を却下した、という報道がありました。その真否はおいておくとしても、評価-作業の「合成の誤謬」を回避するのは、なかなか困難です。
技術トップが技術的な事で判断を出し、OKとしても、ゼネラルのトップが政治的、様々な要因でOKを出さないような事も起きるし、また起きていると思われます。こういう問題は、士気が高まって皆が「一丸になって頑張ろう」といういいチームの状態になって尚、発生する問題だと思います。
初動のまずさはあっても、原発までの配電作業を進めるなど、好材料となる作業もあります。ただこういう場合、「原発に配電を接続するのが何かの理由で困難」という技術的な問題も往々にしてあります。技術者がアジャイルに作業-評価する局面もあるでしょう。
まとめ:マネジメントの一元化、作業-評価のプロセスの困難さ、いち技術者のアジャイルな判断と作業による奇跡の期待
政府が認可したから最終責任は政府にあるとい論理は運転免許は警察が運転技量を認めたのだから死亡事故を起こしても警察に賠償責任があるという主張と同じでは?耐震偽装事件でも所轄の自治体が建築士の計算書を審査し許可したから役所が悪いという事になります。この事件は建築士の個人的犯罪だったということで決着済みです。医師が医療ミスで患者を死亡させても医師免許を与えた国の責任という事になります。最終的に全て許可を与えた国の責任とされ税金で補償していたら納税者は破産します。
本記事の主旨は最終的な管理責任の所在についてですが、現場側の責任を考えた場合、炉心の冷却システムを非常用バッテリに切り替えたところで、「炉心融解」の可能性を東電本社へ訴え、東電本社から政府へ救援を頼むべきであったと考えます。11日の16-17時でしょうか。炉心融解へのカウントダウン開始まで8時間の猶予がありました。
新聞報道では、管首相は16日前後まで「炉心融解は起きないと聞いていた」との事です。もしかしたら現場の意見が、現場責任者か、東電本社か、政府のどこかで止められたのかもしれません。
(参考資料)
【MIT原子力理工学部による改訂版・福島第一原発事故解説 – 2011年3月12日の福島で起きたこと】
http://2ch.to/bDpc28rydaqAiq2WWcmQu
【大地震後の東電福島第一原子力発電所の状況(推定) 早稲田大学 岡芳明教授】
http://smc-japan.sakura.ne.jp/?p=1063
下記のJBPress記事に、原発事故への自衛隊派遣の法的根拠や部隊や装備に関する情報があるので参考として紹介します。
【福島第一原発:報道をはるかに超える放射能】
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/5677
> 【大地震後の東電福島第一原子力発電所の状況(推定) 早稲田大学 岡芳明教授】
http://smc-japan.sakura.ne.jp/?p=1063
*** 記事からの引用 ***
その約1時間後に襲った大津波により冷却用海水取入れ系統(ポンプなど)が損傷して、最終的な放熱先である海水へ放熱方法が失われた(究極ヒートシンク喪失)。設計基準を超える過酷事故と呼ぶ事故が生じた。DGは運転に伴う発熱の除熱ができないので停止した。非常用冷却系も除熱先がないので長くは運転できなかった。最終的な放熱先がないので燃料の放射能から出る停止後の発熱(崩壊熱)により原子炉の水の温度と圧力が上がり、原子炉容器の水位が下がり始めた。
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もしこれがほんとうならば、DGを過熱から守るためにEECSを犠牲にしたということになります。
他の記事から得た情報とはだいぶ違います。