東北地方太平洋沖地震とそれに伴う大津波の発生から、10日以上が経過した。安心するのはまだ早いかも知れないが、心配されていた破壊的ショック(Catastrophic Shock、キャット・ショック)の第2波--大規模余震の発生や津波の再来、原発被害の拡大など--は、一応回避されるのではないかとの期待が持てるようになってきた。それゆえ、今後は復興に本格的に取り組んでいくべき局面である。
今回の地震・津波によってもたらされた被害のうち、人的なものや自然環境にかかわるものの一部は、残念ながら取り戻すことはできない。取り戻せるものの中にも、そのためには数十年を要するものも少なくないだろう。ただし、狭義の物的・経済的被害に限れば、(今後、精査が必要で、それに伴って大幅に増加する可能性はあるけれども)いまのところ15兆円前後(対GDP比3%)と推定されている(大和総研等の調べ)。
この15兆円という金額は、阪神淡路大震災の際の10兆円前後(対GDP比2%)よりも大きく、巨額といえば巨額である。しかし、日本経済の規模からすれば、十分に負担可能な額に過ぎない(毎年の財政赤字の巨額さと比較してみればよい)。経済成長が2年遅れた思えば済む額である。
ところが、今回の場合には、阪神淡路大震災等の際にはなかった金額だけでは済まない要素が伴っている。それは、言うまでもなく、原子力発電所が深刻な事故を起こして(事故に至らなかったものをも含めて)稼働を停止していること、火力発電所についても損害を受けたものが多いことなどから、電力供給量が著しく減少していることである。要するに、失われたストックのうちに電力供給能力が含まれており、電力供給の制約がボトルネックとなって、関東圏の経済活動にも支障が生じていることである。
このことによる間接的な損害まで含めると、総被害額はとても15兆円では収まらず、日本経済の屋台骨を脅かしかねない事態となっている。しかも、今後は原発の増設が事実上不可能になる可能性が高いこと等を考慮すると、電力不足は一時的な現象ではなく、常態化しかねいものである。それゆえ換言すると、電力供給制約というボトルネックをいかに解消するかが、復興計画を考える際の最初の課題になるといえる。
周波数変換の能力を増強して西日本の電力をもっと東日本に融通できるようにする等の対策が必要なことは明らかである。けれども、国内供給が不足しているのであれば、海外から「輸入」することを考えればよいのではないか。もちろん、現在の技術では、電力を効果的に備蓄することはできないので、文字通りの意味で電力を輸入することはできない。しかし、実質的に輸入するのと同等の効果を上げる方策は存在する。
土地も、直接的な意味では輸入できない。しかし、土地集約的な財(例えば、農産物)の生産をやめて、輸入に切り替えれば(農産物であれば、輸入可能である)、それまで使っていた土地(農地)が解放されることになって、土地の供給が増えたのと同等の効果が生じる。これと同じ意味で、電力集約的な(生産に直接・間接に電力多く使う)財の国内生産を止めて輸入に切り替えれば、実質的に電力を輸入したのと同じことになる。
一般にエネルギー集約型産業といわれるのは、製鉄、セメント、化学、製紙、運輸、農業といったところである。アルミニウムなどは、その精錬に膨大な電力を必要とするために「電力の缶詰」と呼ばれたりする。さすがにアルミニウムの精錬拠点などは、そのほとんどがすでに海外に移転しているが、まだ電力集約的な財の生産が国内でもかなり行われていると思われる。
どの財の生産が電力集約的かを判断する場合に注意すべき点は、直接的な電力使用量だけで判断してはいけないということである。例えば、日本の米は、電力集約的かどうかは定かではないが、少なくとも石油集約的であるとみられる。米作に直接に石油を使用することは少ないとしても、肥料の原料となる分や農機具の製造と利用に必要な分等々を考えていくと、実は大量の石油を使用していることになる。われわれは、米という「石油の缶詰」を食べているのである。
直接分だけでなく、中間生産物・原材料に要する間接的な分を含めて、どの財の生産が電力集約的かは、産業連関表を用いて(その逆行列を計算することで)求めることができる。残念ながら、そうした計算をすぐに行うことは、私個人の手には余る作業なので、しかるべき政府の機関(産業経済研究所あたり)が計算作業を行い、その結果を公表することを要望したい。そうした結果が得られれば、どのような産業構造に転換(どのような産業を縮小し、代わりにどのような産業を拡大)すれば、電力使用量を大幅に減せるかが分かるはずである。
今回の大震災は、電力供給制約をもたらすことで、日本経済の比較優位構造を変えたとみなすことができる。そうであれば、新たな比較優位構造に応じた産業構造への組み替えが求められることになる。単なる復旧ではなく、「復興」の計画であるならば、そうした考慮を含んだものでなければならない。そのための基礎データとして、上で要望したような情報の提供が望まれる。
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池尾和人@kazikeo
コメント
> 産業構造への組み替えが求められる
いくら小泉流の構造改革が好きだからといって、我田引水しないでください。一国の産業がどうなるかは、生産者に任せればいいのであって、経済学者や政府が命令することではありません。この点では自由放任が最善で、国家主導の構造改革という社会主義計画経済は最悪です。
電力は輸入できます。その点をまず理解しましょう。
電力を輸入するには、どうすればいいか? 電線で電力だけを引っ張ってくる必要ありません。発電所そのものを輸入すればいい。
その方法は? 自家発電設備の輸入です。下記の通り。
→ http://bit.ly/hpSbmp
料金を上げれば自然と電力集約的な産業が海外へ出るのではないですか?
他の産業まで、電気を安く使える国に逃げちゃうかな?
発電量のMAXは、火力発電所の最大発電量がボトルネックなので、石油集約的な産業を輸入しても効果は無いと思います。
電力が「輸入」できないのなら、その代わりに「電力集約的な財」の輸入で、というのが論旨とみましたが、それは以下のふたつの、根源的な事柄への省察を欠いているからではないかと思われました。
1. 電力が「輸入」できないのは、なぜか。
2. 利潤の源泉、価値の源泉は、なにか。
第一点について。そもそも電力が「輸入」できない理由を、原理的なところに遡ってみてみます。
エネルギーは、質量のある物質にくっつくことではじめて、この地表近傍に留まることができます。物質にくっついたエネルギーの一部は、長大な時間をかけて濃縮され、石油・天然ガスなどの化石燃料となります。電力は発電所で発生しますが、「発電」とは、エネルギーを、くっついていた物質から引き剥がすプロセスに他ならないのです。エネルギーは引き剥がされるや否や、光速で伝導線を伝わり、仕事をし、宇宙空間へ還ろうとします。電力が「輸入」できない、根源的な理由です。
第二点について。エネルギーを、物質にくっついた形で安く輸入します。そのエネルギーを物質から引き剥がし使用価値に転化し、それを、物質にくっついた形で、高く輸出します。両者の価格の差こそが、利潤の源泉なのでした。「安く買って、高く売る」が利潤を得る、普遍的な原理ですが、“「電力集約的な財」を輸入する “ とはすなわち、” 高く買う “ ということです。
そして使用価値のみならず、交換価値も、価値の源泉は、低エントロピー・エネルギーなのでした。