原発の未来、国民的合意の期待 ― コストに注視を   ‐ 石井孝明

アゴラ編集部

震災で起こった原発の事故、そして東日本での電力不足と停電。過酷な現実によってエネルギーと原発への国民の関心は高まった。未来をどうするべきかの議論が、これから始まるであろう。それへの期待と、重要な論点となる発電コストをここで考えたい。この危機は、エネルギーをめぐる分裂した国論をまとめるチャンスに転じることができる。残された私たちがよりよい社会を創り出さなければ、亡くなった数万人の犠牲者の御霊(みたま)を安らかにはできない。


■「議論の空間」が作られなかったエネルギー政策

日本は経済活動で「無資源国」という重荷を背負う。ところが国民のエネルギー問題への関心はそれほど高くなかった。これは原発をめぐる対立で、国民の合意を集約する営みがおろそかになったことが一因であろう。これまで、政府と原発を巡る推進派と、それに対する少数の反対派の対立があった。推進派は反対派からの自己防衛に力を注ぎ、政府は国民的な合意を積み重ねるという取り組みが真剣に行われなかった。

これは反対派に一因があった。「怖いんだ。だから止めろ!」。私は原発を巡る電力会社と市民団体の対話集会で、ある活動家の絶叫を聞いた。反対派には、恐怖という感情に基ずく主張が目立った。そして代替案を出して、現実の政策に反映させる手腕も努力も欠けていた。そのために主張が世論の広い支持を受けることがなかった。この態度がもたらしたのは反感だ。官僚、学者、電力会社、原発メーカーなど社会的に「エリート」と分類される推進派からは、反対派を異質な存在とみなし、黙殺・軽蔑する傾向を私は感じた。

「自分の仕事を罵られる悔しさが分かるか」。私は取材で、ある電力会社の原子力担当幹部から反対派への憤りを聞いた。不当な批判への悔しさは理解できるが、冷静に考えるべき問題を感情的にとらえていることに驚いたことがある。

こうした対立の結果、日本ではエネルギー問題を考える際に、「原発の賛成、反対」という二項対立で問題をとらえるようになった。政府・推進派は反対派と合意をすり合わせることなく原発を作り続けた。意見を集める場が少ないために大多数の国民は、金を払って電気を利用するだけの単なる「消費者」になり、自らエネルギーの行く末にかかわることはなかった。これは危険な結末をもたらした。原発への疑問は、正しい指摘もあるのに聞いてもらえない「カサンドラの叫び」になってしまった。

その状況は今回の震災、そして原発事故で変わるだろう。国民全体で、未来を考える状況が生まれるかもしれない。そこでの建設的な議論と、国論の統一の希望がある。

■忘れてはならない経済性

しかし、エネルギーの未来についての議論では合理的な思考が望まれる。そして省エネの推進と自然エネルギーの普及が解決の方向であることは明らかで、その点では国民の合意を作り出せるだろう。しかし日本の電力の3割を作る原発への対応では意見が分かれるはずだ。原発を考えるべき多くの論点があるが、特にその中で経済性の問題を指摘したい。

経産省の試算では原発の発電コストは建設費と再処理費用を含めても電力のキロワットアワー(kWh)当たりで5.3円、日本の発電コストの平均は6.7円になる。一方で自然エネルギーは太陽光で47円以上、風力9-12円、バイオマス発電12.5円、地熱22-20円と高い。

建設費も高額だ。電事連(電気事業連合会)によれば発電能力130万kWの原子炉は1基3500億円程度。同じ発電能力を持つには住宅太陽光(3.5kw)では愛知県の世帯数と同じ360万世帯での設置と10兆円以上の投資が必要だ。風車は約1万機が必要で琵琶湖1つ分の土地が必要となり建設費も1兆円程度かかる。

2003年に電気事業連合会は使用済み核燃料の再処理費用の見積もりを今後80年間にわたり総額18.8兆円と試算した。再処理はまだ実施されていないが、楽観的試算と批判されている。大変な巨額だが、他のエネルギーのコストも直視しなければならない。石油が史上最高値となった08年に日本は23兆円の石油を輸入した。この額は「製造業御三家」の鉄鋼、自動車、電子電気の輸出額とほぼ同じだ。今後は新興経済国の需要の増加でエネルギー価格の高騰が見込まれ、石油・化石燃料に頼ることはできない。

推進派の試算であることは考慮しなければならないが、自然エネルギーのコスト面の厳しい現実が分かるであろう。経済性から考えれば、急速な脱原発は現実的ではない。代替案のないまま「原発を止める」選択は日本経済の縮小しかもたらさない。原発の発電を維持しながら、省エネを進め、自然エネルギーの能力の向上を待つのが合理的な策だ。

エネルギーをめぐる政策の議論では一つひとつ問題を検証して、国民的合意を丁寧に作り上げたい。国民の合意のある政策は、力強く、持続するものになる。そして衆知を集めた合意は日本の国の姿をよりよいものにするはずだ。

石井孝明 (経済・環境ジャーナリストBlog

コメント

  1. younosin より:

    2011年2月27日(土)の日経新聞に掲載された記事では、サンテックパワーの社長の発言として次の2点が紹介されていました。
    (1)イタリア南部の日照条件があれば、既存の発電単価と太陽電池の発電単価はほぼ同じ
    (2)太陽電池価格は年10%低下している。

    数年先を考慮する。復興としての一括大量発注。の2点を考慮すると、日本でもかなりの地域で太陽光発電が経済合理性をもって導入できるのではないでしょうか?

  2. maltcask より:

    経済性もさることながら、危険性と利便性のバランスを公平に判断できるようにしたいものです。原発は危険ではありますが、そのエネルギーは日々の生活だけでなく、医療や福祉をもささえているとかんがえられます
    反対派への憤りをもらした原子力担当幹部はエネルギーを供給するという使命感に満ちたかただったのでしょう
    ところが、電力会社はどうわけか、二酸化炭素を悪者に仕立て上げて、原発は二酸化炭素をださないからクリーンなエネルギーだなどという宣伝で原発アレルギーを打ちけそうとしました
    このような子供だましの欺瞞に出たうえでの今回の大事故です。福島第一を安全に処理し、補償問題をかたづけないかぎりまともな議論はできないと危惧します

  3. hogeihantai より:

    高速道路、空港その他全ての公共事業は建設前に採算性の試算をする。まず建設ありきだから道路の交通量、飛行機の乗客数を採算が合う数字までに水増しする。公的年金の設計でも経済成長率、人口増加率を水増しして辻褄をあわせる。このやり方は原発推進派の経済産業省も同じで原発のコストに以下の費用が含まれていません。

     (1)原発建設の為の公的補助金、電力会社が支払う住民    対策費、例えば野球場、箱物施設の巨額の費用

     (2)原発の廃炉の費用

     (3)使用済み燃料廃棄物の数十万年間の維持保管費用
     
     (4)テレビ、新聞、雑誌に使う電力会社の広報費用

    この事故を受けて立地条件、建屋、機器、配管、電気回路等で要求される条件は今までより遥かに厳しくなりコストに反映される。更に(1)から(4)の費用も急騰するでしょう。経済性からみても他の発電より安く出来るか極めて疑問です。

    大前研一氏も指摘するよう使用済み燃料を格納容器建屋の中のプールに保管するのは日本だけで極めて危険です。これは中間貯蔵施設や最終保管施設の問題を解決できないまま原発の建設を始めたからです。相変わらず難しい問題の解決を先送りする日本人の習性が生んだ悲劇ともいえます。

  4. mindricks より:

    原子力発電は燃料がウランというだけで、蒸気でタービンを廻し発電するのは火力発電と同じ、つまり火力発電よりも発電効率が良いわけではない。
    しかし、原子力発電には様々なコストが発生する。
    まず、アフリカで掘ってきたウランをそのまま炉に放り込む訳にはいかない。含有率1%以下のウラン鉱から濃縮ウランを精製するのに莫大な電力を消費している(この使用電力すらペイできているのか疑問である)。
    今回の事故でも明かなように、冷却系をはじめ、さまざまな外部電力を常時必要とする(発電していない場合も、使用済燃料の管理にも)ので、差し引きどれくらいの発電量なのかを明らかにすべきです。
    使用済燃料の再処理のため、わざわざフランスに輸送しなければならないし、その際の警備コストもかかります。
    さらに用地買収、受入自治体への支出は高額であり、事故処理とその補償金は莫大などなど、どう考えても火力発電より発電コストが安いわけありません。
    あなたが経産省や推進派、電力会社の試算を真に受けるのは自由ですが、原発の維持が本当に合理的かどうかはもう少しよく考えた方が良いと思います。

  5. https://me.yahoo.co.jp/a/LdkNNfVzZbIEWrbIao4RAangVFlvu32zOcI9uP8-#7127e より:

    > mindricks さん

    熱を電力に変える効率が同じでも、同じ熱量を発生するのにかかるコスト(つまり燃料費)が違います。
    その差が大きければ、挙げられているようなコストを差し引いても、原子力のほうが安いかもしれません。
    計算無しに「どう考えても安いわけがない」なんて言うのは非論理的ですよ。

  6. iseeker より:

    私は原発推進派でも反対派でもありませんが、私のような人が日本の中ではマジョリティではないかと思います。しかし、石井さんの指摘通り、推進派と反対派の狭間で、私のようなマジョリティの声はかき消されていると感じています。
    中間層の考えは、理想的には危険を内在する原発はないに越したことはないが、現実的には電気に依存した生活を今すぐ捨て去ることはできないといったことだと思います。
    となると、便益とリスクのバランスをどうとるかと言う話になりますが、その点でコストに着目するのは正しい話だと思います。ここでもう一点考えたいのが、実質的な安全性です。
    今、原発は反対派の活動もあって、新設が難しくなっています。その結果、40年を超える古い原発を使い続けなければいけない状況になってますが、これは、反対派が反対すれば反対するほど原発の危険度が増すということです。
    実際、今回事故を起こした原発は33~40年使い続けた古い原発で、比較的新しい福島第2や女川原発は大きな事故を免れています。詳しくは、みょんみぉんさんのブログ記事「日本の原子力発電所」にあるので、関心のある方は読んでいただきたいと思います。

  7. dounikanarublog より:

    ここまで来てもなぜ地熱の話が全く出てこないのかが不思議でなりません。石油を燃やそうがウランを燃やそうがプルトニウムを燃やそうが、最終的に日本は膨大な埋蔵量を誇る「地熱資源」の開発に向かう事が誰の目にも明らかなのに。

    時間がかかる?儲からない?地味?そんな事は分かってますよ。でもゴミと借金しか残らない原発に莫大な金を突っ込むのなら、後の世代に残していけるエネルギーを今から開発した方がどれだけ有益な事か。地熱資源は、日本がある限り、地球がある限り、半永久的に取り出せるわけですから。

  8. soyru77 より:

    今回の被害賠償と福島原発周辺の資産の無価値化、農林水産業への膨大な被害賠償。すべては発電コストに降りかかってくる。合理性を説くなら、すべてをきちんと精査してからにすべきでしょう。そして想定外を想定してない全国すべての原発の耐震化に原発のコストは見合うのかどうか。
    コストを優先したために想定外の想定を地震国日本の原発設計は切り捨てて建設されているだから。