この国を確実によくするために次の総選挙でできること

岩瀬 大輔

「1票の格差」が最大2.30倍だった09年8月の衆院選が違憲であるとして2つの弁護士グループが選挙無効を求めていた9件の訴訟の上告審判決で、3月23日、最高裁大法廷は「違憲状態」との判断を示した。

これまで最高裁は、衆院選については格差3倍未満の場合は「合憲」という判断を繰り返してきた。この点において、今回の判断は「一人一票の実現」に向けた大きな前進とも考えられる。

しかし、その判断に至る理由づけを読むと、最高裁は民主主義のシステムが正常に機能しているかどうかをチェックする「憲法の番人」たる使命を果たす意思を持っているとは到底思えない。


すなわち、今回の最高裁判決は、「憲法は定数配分及び選挙区割りについて国会の広汎な裁量権を認めている」とする従来の判例を踏襲した上で、「1人別枠方式」について「小選挙区制導入時は激変緩和措置として合理性があったが、新制度初の衆院選から10年が経過しており、合理性は失われた」という判断を下したに過ぎない。

そもそも、憲法は「選挙区、投票の方法その他両議院の議員の選挙に関する事項は、法律でこれを定める(47条)」と規定しているに過ぎない。普通に法律を学んだ者の感覚で読めば「投票価値の平等を前提として、それを実現する具体的な方法を、(正当に選ばれた議員によってなる)国会に委ねている」と理解されるはずだ。

ここから憲法が定数配分及び選挙区割りについて「場合によっては投票価値の平等を犠牲にすることが許されるほどの広汎な裁量権を(正当に選ばれていないかもしれない議員によってなる)国会に与えている」という解釈を導くには、法理論を超えた政策的な判断が必要となる。

そもそも最高裁が戦後長らく一票の格差を積極的に是正しようとしなかった背景には、純粋な法理論の問題ではなく、まだ社会主義・共産主義の脅威が我が国においても現実のものとして残っていた戦後において、格差が劇的に是正されることで都市部の票が重くなって左翼政党に流れるという政治的な事態を恐れる考えがあったことが、当時の関係者の証言から伺える。

「冷戦たけなわの時代にあっては、司法が定数訴訟において『広範な裁量権』の論理を用いることにより立法府に寛容な態度を示し続けることに対し、我が国の地政学的位置等から、内外の安定の重要性を第一に考え、公職選挙法の根本的改正につながるような事態を避けようとする考えに合致するとして黙認する風潮があったのかも知れない」(福田博・元最高裁判事)

「60年代安保まで、インテリには社会主義が選択肢として残っていた。(格差訴訟で)体制を変える判決を政治家でもない最高裁判事は書けないだろう」(憲法学者の安念潤司・成蹊大教授)

だとすると、このような恐れがとっくに失われた現代においては、最高裁は国会に対して厳格に投票価値の平等を求めることを、躊躇うべきではないのではないか?

そもそも、自分が住む地域によって一票の価値が違うということは、住所による差別にほかならない。例えば女性は2人で1票しか認められないとか、ある宗教を信じる人は0.8票しかないとかいうことがあったら、それが憲法違反であることは明らかであろう。だとすれば、なぜ居住地による投票権の差別が認められるのだろうか?

「皆さんは、戦後の裁判所をご覧になって『違憲立法審査権をもっと行使すべきだ』とおっしゃるけれども、今まで二流の官庁だったものが、急速にそんな権限をもらっても、できやしないです。」(矢口洪一元最高裁長官(85年~90年))

このような言い分は、もはや通用しないはずだ。この一票の平等という問題においてこそ、立法府のチェックという司法の機能を果たすことがもっとも重要となる。

「民主主義国家にあっては、司法は、国民の代表たる議会の行った立法の相当性に立ち入って審査すべきではなく、また、違憲判断も慎重であるべきである。(略)しかし、それは選挙制度を中心とする民主主義のシステムが正常に機能し、全国民が投票所で正当に意思を表明できることができ、その意思が議会に正当に反映される仕組みになっているということが前提となっている。(略)選挙制度の構築、特に投票価値についてまで議会が広範な裁量権を有することになっては、議会に対する立法裁量付与の大前提が崩れることになる」(泉徳治判事、2004年1月14日最高裁大法廷の少数意見)

戦後のある時期までに合理性を持っていた制度がもはや時代錯誤になったにも関わらず、従来の慣性でそれが存続していること、そしてそれが現代の社会経済において国家の競争力の足を引っ張っていることは、政治、行政、司法、あらゆる場で見受けられる。

未曾有のスピードで高齢化が進む中、社会保障の重荷は今後もますます現役世代の肩に乗っかってくる。一票の格差是正が全ての問題を解決してくれる訳ではないが、少なくとも現在の人口構成を可能な限り正確に反映した国会議員たちによってこの国の将来を議論し、決定していくことが、今まで以上に求められている。

そして我々国民には、果たすべき責任を果たしていない最高裁判事がいると考えるならば、彼らを罷免する権利を有している。それが、衆院選挙における最高裁判事の国民審査である。前回09年の総選挙時には、一人一票の実現に対して反対の立場を取った最高裁判事2名が、他の裁判官を上回る不信任の票を得ている。来るべき衆議院解散と選挙が行われる際には、このような権利を皆で行使することを、提案したい。この国を新しい時代にあった形で、復興するための第一歩として。

* 引用は「市場と法」(日経BP社、三宅伸吾著)より

コメント

  1. heridesbeemer より:

    まず、事実関係から。

    前回、衆議院選挙(2009)の時の最高裁判所判事国民審査の際は、引用されたwikipediaの記事にあるように、

    那須弘平、涌井紀夫の2名が標的になって、たしかに、約1%だけ、他の裁判官より罷免票が多かったわけです。
     つまり、制度上の問題がアルにせよ、結果的には、圧倒的な民意は、一票の格差には関心ないという結果でした。

    http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20110325091055.pdf

     さて、2009年の衆議院選挙についての選挙無効を求める訴訟の3/23の最高裁判所判決は、上のpdfのとおり。

     判決は、違憲状態であるが、十分な是正期間を経ていないとして、選挙無効をもとめる請求を棄却しています。すなわち、選挙は違法とも言っていないし、選挙は無効ともいっていない。

     15人の判事のなかで、わずかに、田原睦夫、宮川光治の2名が、選挙の違法を宣言して事情判決の法理で、請求を棄却するべきである、と少数意見している。
     だから、田原氏と宮川氏を除く最高裁判事は、全員罷免すべきだと思う。

  2. DydoCorzine より:

    趣旨とずれてしまい恐縮なのですが、今後数十万人規模で人口が減り続ける日本において、国政選挙は過去の中選挙区制度も含め今回の「1票の格差」問題は終わりがないと感じます。

    もとより一般国民はこの問題に無関心ではあります。日本の選挙制度の問題にまで話を広げますと、小選挙区制度は英国の二大政党制をモデルに求めたと聞きますが、この英国でさえ現在は連立政権で、今後もこの傾向が続くと見られています。

    日本では結局、小政党では生き延びられないと選挙互助会よろしく政治理念もへったくれもない政党と議員がその時々に有利な側に乗り換える現象をおこさせ、もはや自民党でさえ『小選挙制度に勝つ為には仕方がない政党運営状態』で今日まで来てしまいました。

    格差問題の角度から話を進めると今後おそらく切りがない。

    二大政党制を目指すといいながら小渕総理の自自公連立からずーっと連立政権であり、第三の政党がキャスティングボートと握ってしまう事は今後も続くでしょう。現在だって民主党に公明党が連立すれば参院の過半数と衆院の2/3を政府は持つ事になる。事実上は公明党が決定権を持つ勢いになっています。

    ですからこのへんで二大政党制への実験は終わったと認め、今後は選挙前から連立の枠組みを示した上で『比例代表制』一本にするべきと思います。政党を選ぶと言いながら過去は個人名を書いて来た疑問があり、死に票や票格差問題をクリアするには欧州でも主流の比例代表制への転換が、今回のテーマの解決になるのではと考えます。