ケインズの投資理論をヴィクセル的に解釈すると*

池田 信夫

岩瀬さんの記事を読んで、私も来月出す本『古典で読み解く現代経済』(PHPビジネス新書)でケインズについて似たようなことを書いたので、コメントしておきます(非常にテクニカルなので、関心のない人は無視してください)。


岩瀬さんのいうように、ケインズがバラマキ公共事業を推奨していたというのは神話で、『一般理論』にはそういうことはほとんど書いてありません。彼は他のパンフレットでは公共事業を提案しているので、それに反対だったということはないでしょうが、少なくとも理論的には財政政策が重要だとは書いていない。

彼が『一般理論』でもっとも重要な政策として提言しているのは、金利を下げることなのです。これはマイナス金利についての有名な言及にはっきり書かれています:


この提案によれば、紙幣は郵便局で買うスタンプつきの証書のように、毎月スタンプを押さないと価値が維持できない。スタンプのコストは、もちろん適切な値に固定されなければならない。その値は、私の理論によれば、金利から完全雇用と両立する新しい投資に対応する資本の限界効率を引いたものとおおむね等しくなければならない。(p.357)

ここで金利をr、正しい金利(=完全雇用と両立する新しい投資に対応する資本の限界効率)をiとすると、ケインズのいっていることは、r>iとなっている状態が続くことがよくないので、スタンプのコストsを

r-s=i ・・・(*)

となるように設定すれば、実質金利(r-s)が正しい金利iと等しくなる、ということです。ここでは、ケインズは意外に彼の批判する「古典派」に似た話をしています。つまり投資が減退しても金利が正しい金利まで下がらない「下方硬直性」が不況の原因だと言っているわけです。

しかしこれは新古典派的に考えると奇妙な理論です。r>iとなっているということは、金利が資本収益率を上回っているので投資が減り、金利が下がって需給が一致するはずだからです。それが起こらない理由として、ヒックスは貨幣需要が金利に対して無限に弾力的になって金利が下がらない「流動性の罠」というアドホックな仮定を置きましたが、これは疑問です(ヒックスものちに撤回した)。

ここで(*)式のiをケインズの否定したヴィクセルの自然利子率と考えると、「金利が自然利子率よりsだけ高い」と読むことができます。この原因は通常は摩擦的なもので、長期的にはsはゼロに近づくはずですが、特殊な場合はそうなりません。それはデフレで名目金利がゼロに張りついている場合です。

この場合、名目金利はゼロ以下に下げようがないので、実質金利(名目金利-物価上昇率)rはプラスになり、自然利子率がそれより低くてもギャップが埋まらない。30年代には10%以上のデフレが続いていたので、名目金利がゼロでもrは10%以上だったはずです。他方で投資は萎縮していたのでiは低い。ここで名目金利がゼロでデフレ率(負の物価上昇率)がrだとすると、(*)式は

「ゼロ金利でも年率rのデフレが続いていると、自然利子率とのギャップsが残る」

と読むことができます。このようにケインズの問題にした金利の不均衡は、流動性の罠といったアドホックな仮定なしでも、現代の新ヴィクセル派(DSGE)の理論で普通に説明できます。つまり激しいデフレの起きている状況では金利が高止まりして意図せざる金融引き締めが行なわれるわけです。ここでは名目金利はゼロなので、通常の金融政策はきかない。

ではデフレはなぜ起こるかというと、これは新ヴィクセル派ではGDPギャップの関数と考えます。そのGDPギャップは投資需要の関数なので、投資が減るとデフレが起き、デフレが起こると実質金利が高止まりして投資が減るという悪循環が起こるわけです。しかも投資が減ると自然利子率が下がり、一時期の日本のようにマイナスになることもあります。

日本のデフレは大恐慌に比べるとマイルドですが、起こっていることは本質的には同じだと考えられます。根本的な問題は日本の企業の投資が減退して純貯蓄部門になっていることで、これによって自然利子率が下がると同時にデフレが起こるために、ケインズのいう正しい金利と現実の金利のギャップが埋まらないわけです。つまり根本的な問題は、企業家の「確信」あるいはアニマル・スピリッツだということになります。

コメント

  1. 池田信夫 より:

    GDPギャップの説明が荒っぽいので補足しておきます。πtをt期の物価上昇率、Eを前期のインフレ予想、ΔYtを外生的に決まるt期のGDPギャップ(aは定数)とすると、ニューケインジアン・フィリップスカーブ(簡易型)は

    πt=E・πt+aΔYt

    となります。これは「t期のインフレ率が前期のインフレ予想と今期のGDPギャップによって決まる」ということなので、インフレ予想を所与とすると物価上昇率はGDPギャップの増加関数です。このGDPギャップΔYtは投資(需要ショック)をεとすると、

    ΔYt = α(i-r)+ε

    となるので、投資の増加関数です。したがって一般均衡的に考えると、負の需要ショックが起こると負のGDPギャップが発生し、それによって物価が下がる。これによって実質金利rがiより高くなるため、GDPギャップが残ることになります。

  2. minami2680 より:

    ケインズは1923年の「通貨価値の変動が社会に与える影響」の中でこう述べています。「したがって、インフレは不公正であり、デフレは不都合である。両者を比較すると、ドイツで起こったような極端なインフレを除外すれば、おそらく、デフレの方が悪いと言える。貧しくなった世界では、金利生活者が失望することより、失業者が増えることの方が悪いからだ。」ケインズのこの発言の背景として、彼の考え方の基本的な指針のようなものが見えてきます。私が思うに、ケインズは、人間が生活している世界での価値基準の変動を嫌い、資本主義がうまく機能する前提として、価値基準の安定を重要視したのではないかと思います。
     現在のリフレ派が唱えている、インフレターゲット論も、もしケインズが生きていれば、「デフレもインフレもどちらも無い方がいい。もし、どちらかを選べというのなら、インフレだ。」と答えそうな気がします。しかし、これはあくまでも苦肉の策であって、経済運営はどちらも避けるべきという考え方が基本であると思います。
     ケインズはこのように、高級官僚でありながら、
     金利生活者(金持ち)<庶民 を重視する考え方をしています。まあ、インフレが果たして庶民の生活にとっていいことだとは思えないのですが・・・

  3. 池田信夫 より:

    もう一つ補足しておくと、原文ではmoney-rate of interestと書いているのですが、ケインズは実質金利と比較しているわけではないので、単に「金利」と訳しました。rがインフレ(デフレ)を含む名目金利だとすると、この記事に書いた解釈は成り立たない。