昔のライブドアや昔の村上ファンドのようなプレイヤーが活躍できる株式市場こそが日本に必要

藤沢 数希

昨日、最高裁が上告棄却したことにより、ライブドア元社長の堀江貴文氏の実刑判決が確定した。経済犯罪―仮にそれが犯罪であったとしたら―としては、懲役2年6ヶ月という異例の重い量刑となった。筆者は個人的に堀江氏を応援していただけに、とても残念である。ライブドアが所有するファンドがライブドア株の売却でたまたま得た利益を売上に計上したことが、粉飾決算とされた。東京地検特捜部の主張は、これは資本取引であって、売上に計上して損益計算書をよく見せるのは粉飾決算だというのだ。事件の詳細などは、すでに本人の書籍ブログ、様々なメディアで報道されているので、ここでは触れない。筆者の感想は、量刑がむちゃくちゃである、ということである。


なぜ継続性に何の問題もなかった生きた上場企業に、東京地検特捜部があのような形で強制捜査に踏み切り、過去の粉飾決算での量刑相場からは考えられないような重い判決が堀江貴文氏をはじめとした、ライブドアの元経営陣にくだされなければいけなかったのか。確かに、ファンドを通してインサイダー取引が疑われやすい非常にデリケートな自社株の売買をしていたというのは、証券取引等監視委員会から何らかの調査の対象になっても不思議ではないし、行政処分の対象となってもおかしくなかったかもしれない。しかし、いきなりの強制捜査で、経営陣を実刑判決にして刑務所に送り込むようなことではなかった、と筆者は強く思う。全てが異例だった。

物言う株主として知られていた村上ファンドの村上世彰氏も、ライブドアのニッポン放送株TOBに関連するインサイダー取引の容疑で逮捕されてしまった。これも多くの識者が驚くような、非常に微妙な容疑だった。そしていつの間にか日本のマスコミのために、認定放送持株会社という制度が作られた。この持株会社になると、株主は3分の1以上の株式は保有できなくなる。フジテレビとTBSが認定放送持株会社に移行した。すべての株主が3分の1以上保有できないので、経営者にとっては完全な買収防衛策である。

ライブドアも村上ファンドも企業買収が大変得意だった。経営者が無能で、会社のリソースをうまく活用できなていなかったり、将来性のあるビジネス・モデルを構築できていない場合、株価は低迷することになる。そこでよりよい経営をできる自信があれば、その会社を買収して無能な経営陣を首にして自分で経営すればいい。その結果、会社の業績が上がれば株価が上昇して儲かるし、業績が上がらなければ株価の下落から損する。また自らが大株主になって会社の経営戦略に口を出してもいい。それで会社の業績が上がれば、自分も儲かるし、そうでなければ損するだけだ。ライブドアや村上ファンドが儲けることができたのは、日本ではこのような市場原理がうまく働いていなかったからなのだ。市場原理が働いていないから儲かっているのに、堀江氏や村上氏のことを「市場原理主義者」と一部の評論家が呼んでいたのは、何か悪い冗談のように聞こえた。

市場経済において、会社の業績を決めるのは会社の顧客だ。顧客を喜ばすことができない会社は淘汰されていくのである。会社の業務を回すために従業員が経営者に雇われる。顧客を十分に喜ばすことができない従業員は首になるし、顧客を喜ばし利益に貢献できる従業員はより高い報酬を受け取り、より高い地位に就く。従業員をうまく使い、顧客に喜ばれるような会社にすることができなかったら、経営者は危うい立場に追いやられる。そのような経営者を市場は常に監視しており、業績の悪化に対して株価は下落する。会社は株主のものであり、株主は無能な経営陣を抱えていたら株価が下がって大損するので、常に経営陣にプレッシャーをかけ、ダメなら交代させる。株主は市場から容赦なく審判を下される。この一連の相互監視の仕組みこそ、資本主義社会の支柱なのだ。このように緊張感のあるガバナンスにより、社会の貴重な資源が社会が発展するために正しく配分されていくのだ。そして経済成長が実現する。そのように経済的な豊かさを手に入れた社会だけが、弱者をいたわる余裕を持ち得るのである。

ところが日本では、いったんエスタブリッシュメントの側の高い地位に就くと、この相互監視から特権的に逃れることができるようなのだ。まさに特権階級である。そして司法も行政も、日本の大企業が次々に導入する買収防衛策や株式の持ち合いを容認し、時に自らも積極的にそのインナーサークルに取り込まれていった。そして日本の株式市場は、重要な機能を徐々に失っていった。このように新陳代謝しなくなった日本の株式市場は非常に魅力の乏しいものとなった。勝者はエスタブリッシュメントの側に立つ一部の人々だ。敗者はいうまでもなく多くの国民だ。日本経済が復活するために一番必要なことは、昔のライブドアや昔の村上ファンドのような、企業買収して経営に積極的に関わることができるプレイヤーなのだ。政府は、株式市場でフェアな競争が行われるように、そして、法律通りに株主の利益が守られるように、世界に開かれたプラットフォームを作らなければいけないのだ。

2年とちょっとの年月は長いようで短い。筆者は、また堀江貴文氏がもどってきて、何か大きいことをやってくれるんじゃないかと楽しみにしている。少なくとも、落ち着いて本を読む時間がたくさんありそうなのは、少し羨ましかったりする。

参考資料
ライブドア・ショックは今更ながら経済小説の100倍面白い現実に起こったドラマだ、金融日記
ホリエモンの損害賠償支払い理由がさっぱり分からない、金融日記
放送法改正によりメディア再編は進むのか、デロイト トウシュ トーマツ
セイヴィング・キャピタリズム、ラグラム・ラジャン、ルイジ・ジンガレス
M&A新世紀 ターゲットはトヨタか、新日鐵か? 岩崎日出俊

コメント

  1. harappa5 より:

     ニコニコ生放送でも話題になっていましたが、そもそもホリエモンや村上さんを「国策」逮捕させた張本人は、誰ですか?それは、特定の個人よりも人々の「集合的無意識」が、原因だそうですが、このサイトを見ている方で、ある程度経済的に成功して、年配の方がいると思います。その人に、聞きたいのですが、実際にホリエモンや村上氏のようなヒルズ族を見ると、反感を感じますか?違和感を感じますか?
     私のような若い世代だと、彼らに「解放者」のような気持ちを感じますが、あなたは如何でしょうか?

  2. komeumai より:

     今回のホリエもんの上告棄却で、検察・裁判所の司法権力についてきわめて権力的だという論調がありますが、それは犬にきわめて犬的だというようなものです。彼らもゲームの一員で彼らの役割を果たしているだけです。というよりその役割を彼らが果たさず妙な温情主義で犯罪者を見逃したりしてはゲームが成り立たないでしょう。
     ホリエもんのやった証取法違反は実刑が当然です。証券取引という資本主義の根幹の信頼に関わることなのですから。刑期も短かすぎです。懲役15年ぐらいないとやりたい放題でしょう。ただ執行猶予という制度がエスタブリッシュメントに有利に運用されており、恣意的ではないかという批判は一考の余地があります。が、訴訟戦術の違いで原理原則にこだわり温情判決を期待する事情の主張をしないから実刑を食らった可能性もあります。もしそうなら・・・・。
     ホリエもんや村上氏が資本市場を引っ掻き回していた時代はいい時代でした。日本が今こんなことになるとはあの時代からは想像もつかなかった時代でした。しかし彼らを追放した頃から徐々に沈滞モードとなり長期低落となりました。変化の期待がなくなり、日本では相互監視の市場原理で退出を求められる人や企業がないことがその原因でしょう。
     ホリエもんが活躍していた頃と時を同じくして活動していた産業再生機構はゾンビ企業の延命と揶揄されつつも多くの企業を助けましたが、このような国家権力によるガバナンスとホリエもん達のような市場による強制力でのガバナンスのどっちが日本には最適なのでしょうか。「額に汗する人たちが・・」という検事さん達は当然前者と思っているでしょうし、多くの日本人も同様でしょう。しかし、現状はそれを肯定しているとは思えません。再生機構の手がけた企業にリーディングカンパニーとなった企業がないことがそれを証明しています。

  3. builtin_message より:

    市場経済の特定の枠組みの中での切り口なら、このような見方もできると思うけどね。2000年以降の世界の動きをみるとまったく異質の価値基準での影響が無視できないなどちょうど価値の再構築の時期にあたっているんじゃないかな。株式会社が誰に属しているかも、米国の経営者でも従業員優先が結果として顧客満足に直接につながるんではないかとみている人たちもいるし1998年以前の幸せだったグローバル市場経済の価値判断とはかなり変わってしまったように思える。10年前だったらこの意見にそうだよねと素直に賛成したかもしれないけど今は、もうそのように思えなくなってしまったよ。

  4. backstreet0219 より:

    日本は無能なエスタブリッシュメントと凭れ合い、閉鎖的な市場の構築に余念が無い。開かれたプラットフォームなどは夢のまた夢。