政府は電気料金の値上げに向けて検討に入った模様。しかし、何となく腑に落ちません。「何故、国民が負担を強いられるのか?」という点に関して、政府や報道の説明では納得ができません(以下では「今回の原発問題による被害は一私企業である東電に第一義的な責任がある」ということを前提にお話しします)。特にTV報道で「株式会社だから利益を出していかないといけないことから、電気料金を引き上げるしかないのです」というような説明がありましたが、だとすれば、「株式会社」という形態をやめるべきでしょうね。
また、取ってつけたように「原油などの火力発電の原料の値上がりも影響」といってはいるものの、明らかに「一私企業の東電を“現状のままで”救う」という大前提が存在することに疑問があります。
そもそも株式会社なら、債務超過になる程の事態を引き起こせば、株主との契約で業務を執行している取締役は全員、当該会社に対して責任を取るのがルールです。ここで「債務超過になるほどの事態」であれば、報酬も相当程度の減額があってしかるべきですが、これは「株主」と「経営者」の関係で決めればいいことであり、外部がとやかく言うことではありません。
でも「国民に負担を」というのであれば、話は別です。
東電を破たんさせてしまえば、現状、「電力源を失い、電気が使用できなくなる世帯が多く発生する」ことから「破たん」という選択肢はない。だから「債務超過にさせるわけにはいかない」ので「電気料金を引き上げます」というロジックは問題でしょう。
「(電力供給の)独占を認めていた」という政府の問題は別に議論をするとして・・・
社会的に「破たんさせられない」から「国民が負担すべき」という話には、大きな飛躍があります。破たんしそうな状態になっているくらい財務状況が悪化しているのであれば、まず、経営者の報酬は“なし”が当然でしょう。また、債務超過になった場合には100%減資が当然であり、債務超過させるわけにはいかないのであれば、東電へ貸し付けた主体(社債権者、銀行等)についても貸し手責任を果たしてもらう必要があります(債権放棄など)。
このように東電の経営によって“今まで利益を得ていた関係者”が、まず、相当の責任を取るべきなのです。そして、誰が見ても「相当の責任を取った」と受け止められる処置がなされても、なおかつ「債務超過になるかも」という状態ならば、「関係性の低いステークフォルダー(つまり、国民)」へも負担を求めることになるのでしょう。但しこの場合、一私企業として存在させるのではなく、(一時的にも)国有化することにより、損益状態を透明にすべきでしょう。
でも今の状態は、何か既成事実のように電力料金の値上げが決まりそうで怖いです。特に海江田大臣の「東電には補償のために稼いでもらわないと」とか、「電力供給義務を果たせるようにしないといけない」ことには配慮し、年間の負担額に一定の枠を設ける方針を打ち出したりすることに対しては、強く警戒しています。
こういう時に市民の声を政策に伝えるのが、“(与野党を問わず)国会議員”であるはず。政府の不公正なやり方に対して真っ向から「おかしい」という国会議員はいないのでしょうか?
特に民主党議員は「国民生活を守る」のではなかったのでしょうか?
震災で皆が大変な時期に、おかしなロジックで国民に迷惑を掛けるのはやめてほしいものです。
コメント
まさに、国家のマネジメントが一皮むけるときですよね。
株式会社にとって、株主等の社員(≠従業員)は有難い存在です。社員に損を食わせるような決断を、企業自らが行うはずがありません。
おっしゃることを叶えるには、有限の自己責任を果たさせる「権力」―制度維持の権限を行使する力が不可欠です。
利害の絡む活動には、督促状が送られてきたり、賠償責任を迫られたりという恐怖「も」あるからそ、秩序が守られる。これは、真だろうと思います。
制度として「払いなさいよ。ちゃんと最後まで面倒見なさいよ。」と文字を並べるだけでなく、「社会的制裁」という公共心を切除した人には恐らく効果が期待できないトリックに納得するのでもなく、制度をいい感じで運用することが必要です。国民の大多数が「よくやった!」と喝采し、熱く誇れるような実地の仕事が必要なはずです。
そこで、
1.優良資産がストックされる国を目指して、モラルに関する規制については甘受するか。
2.それとも、「権力の横暴だー!」「規制強化だー!」と論陣を張り、さらには「自由」を秩序とするなら権利と責任はセット(主張・享受された権利は、最後まで引き受けなきゃならない)であるにもかかわらず、「自由主義に反するー!」と叫ぶのか。
この度、恐らくは、はからずも堀江氏の件で、1のルートへの舵きりがなされたと思います。
政治家の皆様にはもちろん、検察の皆様、司法に携わる方々、行政官の皆様には、特に期待したいところです。
トウキョウ電力とアルカイダ、どこがどう違うのだろう。あの「セブン」を経験し、トウキョウ電力による環境テロのせいで、復興活動も思うがままに成せない被災地にいる私は、切に思う。ウサマは裁判抜きで即刻死刑が世界基準で、許容されている。それならばトウデン社長やその一味にも、同様の処置があってしかるべきではなかろうか。
これから何十年も東北地方は「放射能」予報に、日々恐々とする日々が続くだろう。アルカイダどころではない、とんでもない環境破壊とテロリズムを、東北にヒトサマの土地に、「トウキョウ電力」はもたらした。
企業存続以前の前に、子孫にも影響する環境テロリストに対する処遇は、毅然とした処理をとらなければ、ますます日本は世界の笑い者になるだろう。
奇襲攻撃でも人民裁判でも何でもOK。福島県警・宮城県警や、自衛隊でもOK。トウキョウ電力一味をテロリスト集団と認識し、奇襲でも人民裁判でもすれば、何十年にも味わうことになるこれからの放射能に対する一般の覚悟もすわると思うのだが・・
別にトウキョウ電力だけが原子力技術を持っている訳ではない。トウキョウが困るというなら、東北電力が横須賀・川崎あたりに有無を言わさず原発10基をつくり反対派はテロとして取り締まればよい。
ヒトサマの土地で原発発電をしていた事に重大な問題がある。トウキョウ電力は、すでに企業としての価値を失い、単純に賠償責任と刑事責任に専念すればよい。はっきり言えばただの環境テロリストなんだから。そして、受益者負担・東京での電気は10倍でも20倍でも、東北の復興に必要な額をトウキョウの電気料金で課せばよい。
当然、東北の電力料金は復興に必要ってことで、半額や25%程度にする。
そしてトウキョウ電力の事業はそのまま東北電力が引継ぎ、有無を言わさず川崎・横須賀あたりに10基の原発を建設すればよい。
被災地支援に後手後手になった、トウキョウへの憎しみと、もう少しで凍死や餓死が現実問題になるまで追い詰められた東北での避難所での大多数の意見です。
田老テイボーを、自分が払っている訳でもないのに理不尽な批判をされていた愚か者もいたが、関東大震災はどうするんだ。日本に地震や津波を警戒しないで住むところってあるんだろうか。まさにゆとり教育の悪いところでそのような愚か者を増大してきた。地震や災害いやなら外国で探して住めばいいだろう。少なくもリビアなんかは自然災害なんか日本よりずーと起こる確率低いのでは。
昨日の日経新聞に「東電はこの夏、弊社から電力を供給してもらうのか、もらわないのか直ぐ結論を出して欲しい」と某化学会社のいらだちを伝える記事があった。今も電力供給が不足していると思っていたらそうではない。余剰電力の供給を申し出る企業が多くあるのに東電が受け入れていないのだ。反原発陣営から日本の全ての原発を止めても他の電力で賄えるという主張があったので何故電力不足かと疑問に思っていたところ、やはり東電が他からの買電を渋っていたのだ。
この非常事態に、充分な余剰電力があるのに配電しないのであれば東電の送配電事業を即刻国営化し国自らが電力の供給責任を果たすべきである。東電を含む発電業者からの購入価格は全て開示するようにすれば、東電の値上げが正当かどうかも判断できる。原子力の発電単価が火力より本当に安いかどうかも明らかになるだろう。
東電を破綻させて、株主に負担を分担してもらうべきではないですか。 その上で、東電を再建すればよいでしょう。 負担が国民に及ぶのは仕方ないですが、電気料金に上乗せすれば、競争力が低下するので、増税すべきでしょう。
1.破綻すると大停電が起こるか
→ 当事者も政府も債権者も、業務停止しないよう努力するので起こらない。
そもそも、破綻しなくても3月のような停電・混乱は起こっている。
よって、停電を理由にするのは不適。
2.利益を上げる必要があるか
→ 「賠償・事後処理の原資としての利益」は必要。
それ以外は、事態収束まで不要。
あとは何年掛けて支払うか、kwhあたりの負担を下げるかだけの話。
3.国民負担は正しいか
→ コスト増要因毎に異なる。
・賠償金: 東電管内で負担すべき。資金繰りは政府が支援してもよい。
政府に過失があるか否かは訴訟で争えばよい。
・発電投資増分: 東電管内で負担すべき。
燃料価格増分は、通常通り全国で電気料金へ転嫁。
・廃炉費用: 東電が負担すべき。(通常廃炉相当分は積立金から拠出)
但し、再処理・廃炉積立額(全国の電気代へ転嫁)の大幅アップは必定。
こんな感じでしょうか。