野心をむき出しにする若い起業家を応援しよう - @ogawakazuhiro

いうまでもないことですが、人生には目標が必要ですね。
僕が好きな映画の一つである『世界最速のインディアン』では、バイク乗りの主人公が目標を持たないなら人間もキャベツと変わらない、と語るシーンが印象的ですが、僕も同じように思っています。

毎日を楽しく、時間を消費していることになんの無駄も感じないでいられる幼少期を経て、子供は徐々に大人への階段を上っていくことを期待されます。例えば、できるだけ良い学校に入って、なるべく大きく安定した企業に就職することを親から求められるようになります。進学と就職。それが通常の青少年にとっての人生の初期目標となるわけです。

もちろん人生は、進学し卒業し就職してからのほうが遥かに長いわけで、それからあとは再び何かの目標を自分なりに持つようになります。しかし、青春期においては進学→就職、というステップを最初の目標に、日々の努力と研鑽を積むわけです。野球選手になるとか、棋士になるなどの特殊な職業を目指す人も同じ流れとみてください。そうした特定の職業に就き、実績を残し、他人が羨む収入を得る。そして裕福な生活を夢見ること。それを若気の至りと笑うことはあっても、いたずらに否定したり非難したりする人は少ないはずです。

では、なぜ、ベンチャー企業を一から作り上げ、IPO(新規株式公開)を狙い、一攫千金を夢見る若者を、そして彼らの青臭くも猛々しい野望を、日本の社会は否定したがるのでしょうか?
起業→IPO は、進学→就職 と同じく青春期の純化された正しい野心のあり方のはずなのに・・・。


一般的な青年たちが進学→就職というステップを経て成長するように、起業家とベンチャー企業の場合は、まずは会社を作り、人材を集め、投資家から出資を得るというステップを踏みます。そして、最終的にはIPOかM&A(企業売却)をゴールとします。このゴールをベンチャー用語ではイグジット(EXIT=出口)と呼び、どのようなイグジットを選ぶかをイグジット戦略と呼びます。
もちろん青年が就職してから中高年へと年齢を重ねる間に、人生設計を再構築しなければならないように、起業家もまた、イグジットしたその後の夢や目標を改めて立て直さなくてはならないことはいうまでもありません。
しかし、多くの子供たち、若者にとって中年期を経て老後における幸福の形を想像できないように、多くの起業家にとっても、IPOやM&Aのあとの状況を想像するのは、なかなかに難しいものです。だからそのあとのことは、イグジットしてから考えればいいはずなんです、本当は。ところが、日本では、無邪気にベンチャーのイグジットへの期待を口にする起業家に対して非常に冷たく、拝金主義と陰口を叩く人も少なくありません。投資や金融のプロでさえ、単純に一攫千金を求める若い起業家を否定しがちです。

青年が最難関校の受験に挑戦し、安定した就職を青春時代の目標にすることを非難する者は滅多にいない、ならば単純に成功を夢見て起業する若者たちをも爽やかな青春の野望とみて応援するべきではないでしょうか。経済的にも停滞しつつある日本には、それがとても必要なことだと僕は考えます。

多くの起業家とは、若く未熟で、浅はかな野心に突き動かされて起業するものです。それを拝金主義であるとか、生意気だとこきおろしてはならないと思います。イグジットを目指して突進する中で、社会を変革させるような素晴らしい会社を作り上げていくための経験は自然に積めるし、スポーツ選手でも野卑な若者から豊かな社会性を持つ人格者に成長する者が多いように、起業家もまた成功への階段を昇っていく過程で、どんどん変わっていくはずです。成功していい車に乗り、いい家に住み、いい服を着る。そんな単純な夢を追う若者が社会を変えていきます。起業家の経済的成功は雇用を生み、納税マシンとしての会社を増やし、国力を作ります。

まとめます。

ベンチャー起業をするなら、IPOかM&Aのどちらかをイグジットとして、とにかく一時の経済的成功を目標にしていいんです。ベンチャー起業とは、数年間で一生分に匹敵するくらい必死に労働をして、数年で一生分の報酬を前倒しでもらうための挑戦なんです。格好つける必要はなく、お金のために起業するんでいいんです。まずはそこを目指す。そういうシンプルな起業がもっと増えるべきです。

そして、イグジットできたらできたで、その成功で得たお金をどう使って生きるかを考えればいいし、継続して会社をもっと大きくすることを次の目標にしたっていいし、ビル・ゲイツのように社会起業家として慈善事業に勤しむのいい。また、イグジットできなかったからといって人生が終わるわけではなく(受験に失敗したり意中の会社に入れなくても他の人生の選択があるように)、また人生の目標を再設定すればいい。
ともかく、やる前から大人ぶる必要はないし、でっかい事業を作って金持ちになるぞ、と思ってやればいい。アメリカンドリームとはそういうものだったはずだし、高度経済成長期の日本にもそこへの憧れがあったはず。

社会全体を活性化させるのは新しい会社がどんどん生まれて、新しい雇用を生み出すことです。
雇用を生み税金をたくさん払える企業の誕生や起業家の登場こそ、今の日本に必要なことです。それには、社会全体で、無駄な自粛や清談を繰り返すのはやめて、がむしゃらに成功を目指す若者を応援する風潮を作っていかなくてはならない。そう思います。

コメント

  1. はんてふ より:

    起業家だけが反起業家の風に煽られているわけではありません。サラリーマンであれ浮浪者であれ水商売であれ、みな反○○の風に晒されている。学生の飲み会で「起業したい」と言えば、すげーって言うヤツもいるし、お前にゃムリだって言うヤツもいる。それに何の問題があるのか。

    理解や共感を推し進めると、気味の悪い社会になるような気もします。応援する風潮はないとは言えないでしょう。堀江氏、孫正義氏の熱狂的な支持を見れば、ないとは言えない。

    ゲームや漫画が、制度的な保証がないままに興隆した事を考えると、「社会を良くしたい」というような善人面の起業家が制度に見放される事が一番なんじゃないですかね。

    そもそも企業は「社会的である」って事はない。社会的である必要もない。だから共感や支持や応援を、と公言するのは違和感がありますなあ。起業家のエネルギーは、言葉とは裏腹に反社会的なものであると思いますよ。

    起業はロックンロール的であってほしいですね。「私をわかって」的な耽美ロックは気持ち悪い。気持ちや情熱を伝えたい起業家が多すぎますね。一様に心理主義を掲げるなら、サラリーマンの方がロック的のようにも思いますよ。孫正義氏や堀江氏を超えるなら、彼らのような心理主義(情熱を伝えたい)を破壊するしかない。

  2. ワダ より:

    まず,ちょっと違和感から。
    企業について,アメリカ的なIPOやM&Aがとりあえずのゴールというのには少々違和感があります。何だかんだ言っても,「俺はビッグになる」「今を生きるやりがい」が若者のモチベーションだと思います。

    次に,論旨について。
    堀江氏の収監決定にも思いましたが,我々の社会がいま「寛容さ」を失っているのは確かだと思います。ミスをあげつらい,過剰な「倫理」を要求する。それは,はっきり言えば老害ですよ。世論形成に高齢者の価値観が反映されすぎなのです。

    一方で,社会は変わりゆくもので,昔のヒーロー像が今も当てはまるとは限りません。スポーツの世界では,斎藤佑樹や石川遼のようなキャラクターが現代のヒーローです。彼らのような人たちが,新しい時代の革新者なのかもしれませんよ。