浜岡原子力発電所の稼動停止が話題になっています。アルカイダの報復が言われる中で、過去の95年の阪神大震災以降にも地下鉄サリン事件が発生したように、国内に多くの脆弱性が明らかになっているため然に不測事態を防ぐ観点では、妥当な判断と考えます。
また浜岡原発は米海軍横須賀基地に近く、兵士家族など非戦闘員の自主避難が行われ現在でも本国から戻っている状況ですが、3月末から4月初旬にかけ、地方紙によれば第7艦隊司令部や在日米海軍司令部の佐世保移転を検討していたことが明らかになりました。今回は外圧説もありますが、日本にとっても東海道新幹線や東名高速と近く、不測の事態には物流途絶や首都圏へのダメージを想定すると、日本にもメリットがあると言えます。
日本における原子力技術の特徴として、(1)海外で同じ設計の原子炉やプラント設備の映像や画像が公開されるが、国内ではガードが堅い。(2)同じく情報も海外のほうが多い。ことから既視感がありましたが、アメリカから自衛隊に供与された軍事技術と類似しています。そのため、運用やマネジメントなど未消化な面が多々あることが判明しています。
日本の軍事供与技術の運用に関しては、
・ブラックボックスのまま使う→イージス艦の中枢部分
・ライセンス生産・共同開発などの取組み→戦闘機
・海外技術を元に独自開発・改良→電子機器など
があります。特に原子力は原子力潜水艦や原子力空母など軍事機密の多い中で、国内でも独自に原子炉や格納/圧力容器の改良設計を行っていますが、基礎技術はアメリカ・核燃料生成・処理など運用はフランスと、行政・電力会社ともに「強力なエネルギーを飼いならす」状況が不十分なのは否めません。
戦後、国策として原子力を強力に推進してきた背景として、
・東西冷戦下でアメリカの世界戦略の一環で、西側陣営として囲込み
・エネルギー源を輸入に頼る状況での安全保障
・当時の電力不足を解決
・将来的な核武装のポテンシャル
・国威発揚
があります。原子力を”兵器行政”として見ますと、日本は明治以降下手なことと大きく関係しています。この理由として、
1)争いが起こるのを想定していない→平和な時代が長く続いているため、有事における対策や措置が甘い面が否めません。
2)ダメージコントロールが弱い→「何も起こらない」ことが建前のため、「何かが起こってから」のコントロールが非常に弱いことが挙げられます。
3)丁寧に作りこみすぎる→今回の福島の事故では、設計年次の異なる原子炉が多いのが特徴でもありました。ある程度共用化していれば、保守や事故時の対策が行いやすくなりますが、作りこみが過ぎることで手間がかかるのは否めません。
4)費用がかかる→当然ですが丁寧に作りこみ、1点ものが増えるとコストにも跳ね返ります。
5)利権や政争の具になりやすい→大正のシーメンス事件・戦後のロッキード事件/グラマン事件など、多くの事件が起こりました。
日本では製造業の強さが海外では評価されていますが、それは精密・運輸・工作機械など民生部門が比較的多く、こと軍事部門に関しては造船・飛行機の一部を除いて、戦前から決して強いとはいえない状況です。逆にアメリカでは製造業の空洞化が言われていますが、軍産複合体といわれるように軍事関連技術に関しては、未だに強いことがうかがえます。
海外技術の導入・模倣・改良そのものは、国内技術の発展や産業基盤のインフラとして欠かせないステップですが、戦後において経済成長や国家の威信などがあまりにも優先され、足元の本質的な力を置き去りにしてきたツケが今の段階で回っているものと考えます。
石川 貴善(アゴラ執筆メンバー)
ブログ http://itsolution01.blog34.fc2.com/
Twitter @ishikawa_taka
コメント
国の安全保障については兵器などのハードウェアもさることながら、contingency plansが全く作成されていない事が問題です。従って「何かが起こってから」のダメッジコントロールができないのです。原発依存度が最も高いフランスでは原発の事故の度合いによって各地の避難計画が策定されており、福島の事故でも事前の取り決め通りに直ちに東京からの批難を自国民に呼びかけている。尖閣の事件でも船長拘束後、直ぐ釈放するというcontingency plansを文書化しておけば問題なかったのです。
外圧説については浜岡原発の停止は原子力安全委員の青山繁晴氏が自分にも米国国防省と国務省の両方から要請があったと証言しているのですから間違いないでしょう。菅氏に判断させた最大の要因が国益でなく米国の圧力だったとしたら少々がっかりしますが、東電や政府のダメッジコントロール能力のなさを見ると米国の危惧ももっともという気もします。