2100年、人口3分の1の日本 (メディアファクトリー新書)
著者:鬼頭 宏
販売元:メディアファクトリー
(2011-04-28)
販売元:Amazon.co.jp
★★★☆☆
電力不足で節約してつつましく暮らそうという話が多いが、好むと好まざるとにかかわらず、日本経済はこれからつつましくなるだろう。その最大の制約は、人口の減少である。本書はこのトレンドを2100年まで延長して何が起こるかを予想している。
タイトルのように、2100年に日本の人口は現在の1/3、約4000万人になり、世界の1.8%の小国になる。そのとき経済規模がどれぐらいになるかは労働生産性によるが、今のGDPを維持するだけでも年率1.2%で労働生産性が上昇しなければならない。最近の実績は0.7%なので、これはかなり高い目標だ。だから今のままでは、日本経済は縮小するだろう。
一人あたりGDPを維持するためなら生産性上昇率は年率0.5%ぐらいでいいので、各個人は平均的にはそれほど貧しくなるわけではないが、問題は高齢者の比率が高まることだ。従属人口(高齢者+子供)の労働人口に対する比率は、2005年の51%から2055年には100%になり、現役世代の負担は現在の2倍になる。年金制度もそれまでには確実に破綻し、公的年金という制度が維持できるかどうかもわからない。
都市と地方の関係も大きく変わる。日本のすみずみまで「あまねく公平」にインフラを整備して福祉・医療などのサービスを行なうことは不可能になり、「集落の自然死」が起こる。人々は地方中核都市に移住し、都市機能は「コンパクトシティ」に集約せざるをえない。このような「マイナスサム・ゲーム」の中で重要なのは、何を捨てるかという決断である。
このような変化はすでに始まっている。今回の震災は、そういう縮小の時代の始まりを告げる出来事だったが、民主党政権は震災復興でも場当たり的なバラマキを続けようとしている。本書はそういう政策には踏み込んでいないが、2100年という長期を考えれば、こうした政策が持続できないことは明らかだろう。
コメント
で、下から何割は餓死でしょう。
餓死じゃなくても自殺を強いられるか。
安楽死は無理でしょうけど。
玉井克哉先生がTwitterで、再生可能エネルギーでまかなうには「日本の人口が半分くらい」にならばければ無理とおっしゃっていたように思います。そうした事態が図らずも実現してしまう「江戸時代2.0」が、かつての江戸時代と異なるのはいうまでもなく年齢構成です。70才以上が半数を超える社会をいかにして維持するか? 佐々木毅氏はこれからの日本は「しのぎの時代」に入ると述べておられますが、場合によっては国土を売るようなことも考えなければならないのかもしれません。
都市に裁量権を与え、強い都市のみが企業、人を惹きつけ生き残る時代だと思います。
山口 巌
皮肉なことは、 みんなが人より優位になろうと必死になることが少子化をまねいていることです。
昔から、 「貧乏人の子だくさん」といいます。 これは世界的にみても正しいのではないでしょうか? 人口の減少はどこかで止まるはずです。
農業だけでも残れば餓死することはありません。 まず保持すべきは耕作可能な農地です。 農地は一度砂利とか山土を混ぜてしまうともとに戻すことはできません。
世界史的に見て、国よりも都市のほうが本質的存在であるというのは正しいと思います。ただ、「城壁を持たない」日本の都市は果たして都市と呼べるでしょうか?
交通手段の面からも、コンパクトシティーへの要請は不可避と思われますが、困難は、そうした「シェルターとしての都市」を人為的に構築しなければならない点にあります。
都市間の自由競争が人口の最適配分をもたらすのが本来の姿であるにせよ、70才を過ぎたら自力で引越しなんてムリです。原発事故の避難指示のように、結局は公務員の人が、「この辺りはもう住めませんから移住してください」と説得してまわることになるのでしょうか?
海という城壁があります。海と国土の狭さは、日本が大きな1つの都市であるという意識を根付かせるのには便利であったと思います。近代日本が幕藩体制を捨て、日本という国の下に国民を統合するのには好都合であったと。国の都合で都市間競争を捨てて、国の都合で都市間競争を採用するという側面もあるのですから、それなりの大改革が必要だと思います。教育も変えないといけませんね。