「国策ビジネス」の前提としての「理想」と「現実」

松本 徹三

私事で恐縮ながら、6月末日をもって私はソフトバンクモバイルの副社長を退任させて頂いた。私の実年齢は既に71歳と7ヵ月を超えていたのだから、長くやりすぎたと言われる事はあっても、早すぎると叱られることはないだろう。同社には「取締役 特別顧問」として引き続き在籍するが、「業務の執行責任」というものはないので、気持は随分楽になる。


(実は、副社長だった時から、私はライン責任というものをもっておらず、頼まれた事や自分でやるべきと思った事をその都度やるだけのことだったから、十分気楽な立場だったのだが、副社長というタイトルがあると、「社長の代理人」と世間は受け取るので、そう気楽になれなかった。また、ソフトバンクモバイルのような通信事業者の仕事は、直接消費者にサービスを供給する立場なので、「企業の社会的責任」というものも常に意識せざるを得なかった。)

アゴラでブログを書き始めた時から、私は出来る限り自分が勤務している会社の立場から離れ、一市民としての視点から自由に評論したいと思ってきたし、そのように努力もしてきたつもりだが、やはり会社における役職上、これに撤するのは難しいところもあった。また、その一方で、多くの読者の方々は、私が何を言っても、始めから「ソフトバンクの利益の為に言っている」という先入観をもってしか受け取ってくれなかった。私はその事に当初はとても苛立ったが、やがては「仕方がない」と諦めるようになった。

「光の道」に関連してNTTの独占回帰を防ごうという主旨の議論をした時には、この事は特に大きな障害になった。如何に一市民の立場、国益の立場から論じようとしても、私の議論がソフトバンクの会社としての主張と概ね一致するのは当然だったので、私が客観的な「事実」と「論理」を開陳しようとしても、常に色眼鏡で見られた。

私は、勿論、ソフトバンクの副社長として自社の利益を守る為に議論の展開をしたのではない。そんな事なら会社の広報部に任せておけばよいからだ。もう今から約5年前の事になるが、「この人なら、もしかしたら日本の通信業界に旋風を巻き起こし、NTTの独占回帰を防いでくれるかもしれない」という期待を持ったからこそ、私は孫さんの招請に応じてソフトバンクに移籍したのであり、もともとは一市民としての意識の方が原点だったのだ。

そして、その期待は今もなお全く萎んではいない。孫さんにとっては、私は「まあ、少しは役に立つこともあるかな」という程度の存在だろうが、私にとっては、孫さんは引き続きなくてはならない存在だ。「日本の情報通信サービスを何とかして世界をリードするようなものにしたい」という思いは、私の生涯を通じて消えないと思うので、その為には彼に起爆剤になってもらわないと困るからだ。

しかし、今回副社長の役職から外れたことで、私自身は、今後はもう少し自由な立場から発現出来る事になるだろうし、多くの読者にも、やがては、私が一企業の利益の為に言っているのではないことが分かって貰えるだろう。

さて、現在、孫さんは「反原発」の旗手的な存在になっており、自然エネルギーの事業化に極めて熱心だ。この際率直に言わして貰うなら、私はこの点では孫さんとは若干意見を異にしている。

しかし、幸いにして、「ソフトバンクモバイルの取締役」という今日現在の私の立場からは、この問題についてはコメントする必要は全くないし、利害の相克もない。通信事業者の立場からは、私はスマートグリッドには多大の関心を持っているし、その観点から、「送発電の分離」や「各家庭での自家発電や蓄電」にも大変興味がある。しかし、メガソーラーなどの巨大プロジェクトは、今後ソフトバンク本体(持株会社)の仕事になる事はあっても、ソフトバンクモバイルの仕事にはならないと思うので、私には関係はないと言える。

尤も、近くで仕事をしていれば、どうしても目にしたり耳にしたりする事はあるから、私はこの問題については沈黙を守るのが無難だと考えている。従って、アゴラでも、この件に関連する評論は当面差し控えることにする。

但し、最近の一部の週刊誌の記事や、Twitterで寄せられるコメントに関連しては、私にはこの際言っておきたい事が一つだけある。それは「ソフトバンクは自社に利益を誘導するために、原発に反対し、高い電気代を国民に負担させようとしている」という「謂れのない誹謗」に対してである。

先ず、私の見るところでは、孫さんの放射能汚染に対する恐怖心は本物のようだ。この恐怖心のレベルを「妥当」と見るか「過敏」と見るかは、人によって意見が分かれようが、金儲けが目的で恐怖する人はいないから、ここは素直に受け取った方がよい。そして、恐怖心がここまで大きければ、「反原発」になるのもこれまた当然のことだ。

しかし、ここから先は、生まれながらの事業家である孫さんならではの動きとなる。普通の人なら、口で「反原発」を唱えるだけで終わってしまうのだが、「受身で人生を送る」積りのない人達の場合は、そうはいかない。「批評するだけで対案を出さない」「言うだけで何もしない」というのは、こういう人達にとってはあり得ないことであり、「悪」でさえあるからだ。「反原発」なら、「日本が原発なしでやっていけるような方策」を考え出さなければならず、何等かの案があるのなら、すぐに行動を起こさなければならないと考えるのが、こういう人達にとっては当然のことだ。

一部の学者や政治家とは異なり、事業家の場合は、「事業を成立させる為の採算性の確保」は、常にあらゆる思考と一体になっており、これを考えずに構想を膨らませることはあり得ない。(これは、別に孫さんのような「稀有の事業家」でなくても、私レベルのビジネスマンであっても同じだ。)

孫さんの場合は、この具体案の一つが、地方自治体の長を巻き込んでの「メガソーラー・プロジェクト」だったのだと理解している。そして、この大前提としては、「自然エネルギー発電で生まれた電力を一定価格で買い取る」という国の保証が必要となる。そうでなければ、採算は取れず、採算が取れなければ全ては机上の空論になってしまうからだ。

困難な状況下で抜本的な解決策を考えるのはそんなに容易なことではない。自然エネルギーの開発は必ずやらなければならない事ではあるが、どれだけ良い結果がどのくらいの時間で出せるかは、まだ分からない。少なくとも短期的にはコストは高くならざるを得ないだろうから、それを推進すれば必ずどこかに皺寄せが来る。だから、このような政策を国が推進する事に対しては、賛否両論があるのは当然だ。突き詰めれば、これは「何を優先させるべきか」という問題であり、多くの国民を巻き込んでの是々非々の議論が不可欠だろう。

「ソフトバンクは国に金を出させて、それにただ乗りして儲けようとしている」という議論は、「光の道」の議論の時にも散々聞かされた。(「光の道」の議論の時には、「ソフトバンクはそんなことを言っている暇があるのなら、繋がらない電波を早く何とかしろ」という、本来の議論とは何の関係もないコメントまで嫌と言うほど読まされた。)だから、今回も、この様な議論が出てきても別に驚きはしない。

しかし、全ての問題は、一つ一つを切り分けて是々非々で論じるべきである。色々な憶測をして問題を十把一絡げにし、誰かを悪者にして話を本質から遠ざけようとするような試みは、建設的な議論には全くつながらない。「綺麗事の話には騙されるなよ」と言いたい気持は分かるが、そんな事だけを言っていても何の解決にもならない。

「原発をどうするか」はすぐに答えを出さなければならない問題だ。そして、その為にも、「原発を廃棄した後はどうすればよいか」は避けて通れない議論だ。みんながどんどん色々な解決案を出していくしかない。

出された案が気に入らない人は、具体的にその問題点を指摘して、対案を出せばよい。民間企業が事業を請け負う為には、利益を出せる見込みがなければならないが、「誰が利益を得るか」は問題の本質とは殆ど関係がない。利益の出るビジネスがあるのなら、誰でも自分で手を上げればよいのだし、誰かが上げるかもしれない利益が過大だと思うのなら、それを妥当な線に抑えるような対案を出せばよいだけの事だ。より重要なのは、手を上げた事業者に本当にその能力があるのかどうかを、事前に十分確かめることだ。

そもそも「実業家というものは『金が全て』の下劣な人種に違いない」と思い込んでいる人達は、シュンペーター以前の「時代遅れ」の人達か、人間というものの本質を理解していない「想像力に欠ける」人達だと思う。実際には、金が目的で命を削るほど働く人などは世の中には滅多にいない。人は何等かの「理想」のようなものに突き動かされなければ、それほど必死には働けない。「国の為」とか「困っている人達の為」いうのも、掛け値なしにこの動機の一つとなろう。「そんなのは格好をつける為に言っているだけの事だ」と切り捨てるような人は、もともと自らは事業者になれるタイプではない人だろう。

現在の資本主義体制下では、大抵のビジネスは「国の政策」とは殆ど関係なく出来るが、「通信」や「電力」のように、公益的色彩が強い一方で、規模の利益がなければ成り立ちにくい分野では、国策と一体化する形でなければビジネスは成立しにくい。従って、この分野でビジネスをする事に興味持った事業家は、政治家や官僚に対して色々な提言を行い、国民の支持を得る為の議論を幅広く進めなければならない。そして、国民はそれ程愚かではないから、十分な情報開示がなされ、十分に議論が尽くされる限りは、一企業の利益の為に税負担の増大を受け入れるような事はしない。

「目的」と「手段」は本来一体不可分のものであり、その両方を明確にしなければ何事も起こし得ない。「目的」は、「理想」に裏打ちされていなければ多くの人の支持を得られず、「手段」は、現実にビジネスとして成立する見通しがなければ意味を持たない。この両方を同時に明確に示すのは、そう容易なことではないが、誰かがそれをやらなければならない。慨嘆したり批判したりするのは簡単だが、具体的な提案と議論なくしては、徒らに時間が過ぎていくだけだ。