特許権とは何か

小幡 績

中国の高速鉄道をめぐって、中国と日本で紛争が起こる可能性が高まっている。

日本の川崎重工やドイツのシーメンスなどの技術供与により完成したもののはずだったが、独自に開発した部分があるとして、米国、日本、欧州、ブラジル、ロシアで特許を申請する準備をしているという報道がなされたのがきっかけだ。

もちろん、日本側、JRや川崎重工は猛反発だ。これまでの血と汗の結晶を盗まれていいのか、というコメントもある。

しかし、そういう感情論ではなく、何に対してどのように怒るべきか戦略的に考える必要がある。

事実の詳細は不明な点も多いので、ここでは、少し冷静に特許権について大局的に考えてみたい。


そもそも特許、特許権とは何か。実は、特許、という言葉自体は何の意味もない。特許権、となって初めて意味を持つ。というのは、そもそも特許というのは何が許されるかというと、経済的な排他的利用権を持つことが許される、ということだからである。したがって、特許権は、技術的に新しいものの発明とされているが、その学問的革新性にポイントがあるのではなく、その技術の利用権に経済的な排他性があることである。

だから、特許権という言葉はあまり意味のある言葉ではなく、近年は特許権を含む知的所有権という言葉や知的財産権という言葉が使われるようになってきた。

知的財産権という言葉は象徴的で、財産であるから、活用法は二通りである。それを金融的に運用するか、実物資本として事業のために自己活用するかである。

ブランドはもちろん、知的財産権であり、ブランドの使用料で儲けたり、ブランドを売却したりすることは通常の取引となっている。しかし、ブランドを買ったほうは、そのブランドをどのように使うのだろうか。

実は、ブランドはブランドのままでは使えない。金融資産と違って、値上がりを待って転売することはできない。そのブランドは生きているから、持ったままであれば、ブランドの価値は急速に消失する。

ひとつの方法はレンタルで、そのブランドを使いたい経済主体に利用料を取って使わせるということである。普通は、自分が展開していない市場における使用権をレンタルする。展開していない市場とは、同じ分野の商品で地理的にほかの地域という場合もあるし、製品分野的に別のカテゴリーの場合もある。後者は、たとえば、超一流被服ブランドがそのブランド名を使った時計や食器などを展開する場合である。逆にパソコンメーカーがパソコンなどを入れるビジネスバックにブランド名を貸与することもある。個人のタレント(芸能人)が自分の名前のついたカバンやジュエリーなどを販売させる場合も知的財産権の貸与である。

しかし、これらも結局は、貸与した先がブランドを活用しなければ収益にはならない。だから、ブランドは持ったままでは何の価値もないもので、ブランドとは使わなければ意味のない実物資産(金融資産ではないという意味で)であり、使うことによって初めて価値が生じる。ブランドは金融資産ではないのである。

そうなると実物資産としての使い方がその価値を決定することになるが、それがブランドマネジメントと呼ばれる分野となる。つまり、どのようにブランドを使えば、そのブランドの価値が最大化されるかを考え抜くことになる。そうなると、実は、前述の例は悪い例になることが多い。なぜなら、ブランドを安易に貸与すると、その利用者だけのことを考えて、短期の収益を追求することによる長期のブランド価値の喪失に注意を払わないからである。なぜなら、通常はブランドを所有している本体よりもブランドの利用範囲も狭く期間も短いからである。その結果、近年は、輸入自動車も宝飾も代理店に頼むのではなく、自社あるいは自社グループの販社でグローバル展開する場合が多い。

しかし、ブランドを使うというのはもっと直接的なことである。つまり、ブランドマネジメントという言葉を使ってしまうと、ブランドの売り出し方やあり方について戦略を立てれば、そしてそれをうまく立てれば、ブランド価値が上がり儲かるように思えてしまうが、それこそ金融的発想である。そうではない。ブランドはブランドマネジメントではまったく儲からないのである。

どういう意味か。ブランドとは、そのブランドが付与された製品を売ることによって初めて売り上げとして金銭的価値を持つのである。いくらすばらしいブランドであってもそれが売り上げに結びつかなければ商売にならない。つまり、ブランドとは、そのブランドが付与された製品を売る、という商売なのである。どんなにカッコをつけても、どんな最新の理論を持ってきてもそれは変わらない。したがって、ブランドとは本質ではなく、あくまで差別化の一手段であり、付加価値を増やすだけのことであって、あくまで付随的なものである。

さて、特許である。特許も同じだ。特許だけで儲けられるのはごく一握りの例外である。医薬品で、特許権そのものが価値を生む場合ぐらいであろう。あるいは新しい製品、特にソフトウェアなどを開発して、大手メーカーに売る場合などであろうか。

しかし、これらの場合であってさえ、利益の源泉は製品の売り上げである。大手メーカーに技術を売却できるのも、それが製品化されて売り上げが莫大なものになると見込まれるからである。医薬品ですら、特効薬でさえ、それを使う病院と医者がいなくては儲けることはできない。患者にその薬を投与するかどうかは、その製薬会社の営業力にもよる。そして、結局は、日本であれば、保険が適用されるかどうかにかかっているのであり、どの場合でも製品の売り上げということに尽きるのである。

さて、さて、ようやく高速鉄道の話である。

高速鉄道で儲けるとはどういうことか。高速鉄道の車両の販売もしくは共同生産によって儲けるということである。同時にシステムを売り込めば、運営、保守でも長期にわたって儲けることができる。そして、買い手は地方政府を含む政府あるいは公共的な組織、企業であっても実質半官半民の組織である。彼らに勝ってもらうことが唯一の利益の獲得方法なのだ。
そのときに特許はどのように利益をもた
らすのか。直接はもたらさない。実際だからこそ、特許については、中国に技術供与するまでは、日本国内ではあまり議論にならなかったのだ。今回も、詳細は確認する必要があるが、特許については一応固めたものの、このディールを獲得することを最優先にしたために、おおまかにスピード重視でやったという話もある。その是非はともかく、ある程度は合理的だ。なぜなら、特許では飯が食えず、しかも、この車両を買ってくれるところは中国以外には限られた地域しか、現状では存在せず、しかも、中国は圧倒的にポテンシャルが大きなマーケットだからだ。

だからそこ、特許を中国側が申請したことで、プライド云々とかアンフェアだとかあるいは技術は過去の人々の血と汗の結晶だとか、という議論してはビジネスとしては失格なのだ。

したたかに、交渉を進め、押すも引くも巧みに使って、ともかく彼らを日本側につけて、今後ともこちらの側にも利益になるようなフレームに落とし込んでやっていくしかないのだ。そのために交渉するのだ。

特許が重要なのではなく、中国に今後とも買い上げてもらい、システム運営、保守にお金を払い続けてもらうこと、今後のプロジェクトでも買い上げさせること、そして、ほかの地域においても日本企業群が利益を得られるようなフレームおよび関係に仕組んでおくこと、それが重要なのだ。

ビジネスの本質を理解しているのは、日本のメディアではなく、中国とドイツ企業、米国企業のようだ。