イノベーションを生み出す力:学習という行為について

松岡 祐紀

「資格(しかく)とは、ある行為を行うことを権限者から許された地位をいう」ウキペディアより

悲劇は受験勉強から始まる。早いところでは、小学校に入る前から知識は「受験に役立つ知識」と「受験に不必要な知識」に大別され、受験に不必要な知識は「人生に不必要な知識」と決め付けられ、忘却の彼方へと追いやられる。

そうして、学習はある意味「なんらかの資格(大学、英検一級、MBA、その他もろもろの資格)」を取得するために費やされ、いつしか学習のプロセスそのものが、システマチックにその資格を得るためのものへと変換される。

この社会では中身(コンテンツ)よりは、みかけがより重要なのだ。

しかし、今の時代はコンテンツ勝負の時代だ。個人の能力で多くのことが達成できるようになった。これはインターネット時代の恩恵だろう。


それでもいつまでたっても人々の思考経路は変わらず、ひたすらなんらかの資格取得に邁進している。英語を勉強するといって、目指すのは本当に役に立つ「外国人とコミュケーションが成立する英語力」ではなく、「TOEIC900点取得」だったり「英検一級」だ。一流大学のMBAを取得して起業して、2、3年で自分の会社を倒産させたら本末転倒だが、それでも免罪符的に資格取得を目指してしまう。

誰もが不確かなものよりも、目に見えてすぐに結果が出るものに飛びついてしまう。

本来は、学習という行為は絶え間なく努力しながら、一生涯通じて行うべきものだと思う。そうしたなかでしか、イノベーションは生まれ得ない。

一夜漬けで高得点を取っても何も身に付かないのと同じように、資格取得だけを目指して学習しても、本来目指すべき能力を獲得出来ないことが多々ある。

自分にとって簡単に身に付くものは、他人にとっても簡単に身に付けられるものだ。資格の多くは、その程度の価値しかないことを自覚しつつ、本来自分が目指すべき能力(語学力、柔軟な発想力、専門的な知識など)の取得を目指したほうが、結局は近道ではないだろうか?

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