人口問題と地方分権

古川 賢太郎

日本の“人口問題”を分類すると、
1)社会保障問題
2)経済成長問題
3)自治体/コミュニティ維持問題
があげられると思う。すなわち、1)長期的な出生率の増減によって、多くの社会保障を必要とする高齢者の増加に生産人口の増加が追いつかないという現象。2)生産人口が減少することによる経済成長の鈍化。3)過疎化によるコミュニティや基礎自治体の崩壊。である。


人口の減少と人口ピラミッドの歪み自体はすぐにどうにかなるものではない。なので、いま盛んに取り組まれている『少子化対策』にはあまり意味がない。むしろこの様な政策は人口構造の歪みを大きくする可能性がある。だから、重要なのは、この現象を所与のものとした対策が必要だ。
社会保障問題は「先送り」してどうにかなる可能性は少ない。問題は社会保障が積立て方式になってないことだ。単年度予算しか執行出来ない政府に長期的な運用を必要とする保険や年金の運用は不可能なので、今の給付と徴収の関係を解消してしまうしかない。既に年金受給を開始している人やこれから受給を迎える世代には申し訳ないが、社会保障システムが実質的に崩壊しているのは明らかなので、コントロールしながら崩壊させるしかない。
生産人口の減少は“生産性の改善”でまだまだカバー出来る。というのも、日本の物流とサービスは生産性が低い。それはこれらの産業が規制によって大規模化することが出来ないからだ。大店舗法などの規制は中小企業を保護して生産性の改善を妨げる。
“トラック野郎”は健在で、運輸会社は未だに“郵政”を越える規模になれない。世界のサービスや物流企業と伍するためにも、中小企業を保護するのではなく、M&Aを促進して規模の経済を追える様にしなければいけない。物流業界では未だに「日本郵政」を越える規模の企業はいない。官業が民業を圧迫している好例である。
全国津々浦々のコミュニティを守ろうとするのは非常に「美しい」ことである。しかし、コミュニティの維持には最低限の人数が必要だし、インフラも必要だ。「日本列島改造」は全てのコミュニティを守ろうとして、衰退する寒村に公共工事による雇用創出をもたらした。しかし、結果的には「穴を掘って埋める」式の政策が多くの公共資本を浪費したことは事実であろうと思う。人口の流出と減少は止まらず、地に足のついた産業は興らなかった。
しかし、逆に言えば「国土の均衡ある発展」を捨てればまだまだ可能性はある。過疎の村を見捨てる、弱体化した自治体を整理するというのは人情的には賛同を得にくいだろう。しかし、地勢的に発展の余地が少ない場所に都市の税収を投下して、笊で水を掬うようなことをすることが正義と言えるだろうか。それよりも、沢山稼ぎ、沢山税金を納め、沢山使う都市と少なく稼ぎ、少なく税金を納め、少なく使う田舎とにもっと大きな差があって良いと思う。
例えば、「地方で生まれ、都市で働き、地方で老後をすごす」とか「都市でチャレンジして、失敗したら地方で英気を養い、また都市で再チャレンジする」などという人生のありかたもありなのではないか。都市はチャンスに溢れ、忙しく神経をすり減らすかもしれないが、沢山のリターンがあり、地方ではチャンスは少なく、のんびりしていてリターンは少ない。それを人生の中でどの様に組み合わせて生きていくかを考える方が健全ではないかと思う。
これは「地方分権」の大きなテーマであろう。つまり、地方が「一様に発展する」ための地方分権はナンセンスで、その地方がどの様な社会を選択するのかという「選択の分権」が問われるべきだと思うのだ。

古川 賢太郎
濠州BOND大学院大学MBA
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