原発との戦争

藤沢 数希

定期点検に入った原子力発電所が再稼働できない、という危機的状況に日本国民は追い込まれている。このままでは来年の春までに電力の30%を失い、日本経済は壊滅的なダメージを受けるだろう。いうまでもなく経済問題は国民の安全を脅かす。エネルギーが潤沢に供給される、強い経済だけが多くの国民の命を守ることが出来るからだ。経済が困窮するということは、国民の安全が脅かされることと同義である。


筆者が、過去に何度も書いてきたが、原子力発電所を止めたところで、そもそも危険性はあまり変わらない。福島原発の水素爆発は、使用済み核燃料プールで起こっているからだ。原子力発電所を止める、というのは身勝手な政治家の自己満足的なパフォーマンスに過ぎないのである。

そして原子力発電所が全停止に追いこまれると、火力発電所で代替するために追加的に日本国民が支払わなければいけない化石燃料費 ―仮に電力不足にならずに代替できると楽観的に考えればの話であるが― は年間4兆円に達する。これは日本国全体の生活保護費の2倍、あの揉めに揉めた民主党の子供手当てのまるまる全額に匹敵し、福島原発の放射能漏れ事故の総賠償額の政府試算(10万人にひとり4000万円ずつ)と同額である。

これらは直接の費用だけだ。産業の空洞化や、電力不足による生産活動の制約などを考えれば、経済的な損失は当然のようにそれだけではおさまらない。失業率は必然的に上昇し、社会的に弱い立場の人から追い込まれていく。

また、必然的に日本人の人命も失われることになる。筆者による控えめな推計で、原子力発電所を老朽化した火力発電所に置き換えることによる大気汚染により、年間3000人の日本の居住者の命が失われることになる。そして停電による熱中症や、病院での事故などを考えれば、さらに多くの人命が失われるだろう。

この経済損失、人命の損失は、完全に戦争と同じである。日本は愚かな「原発との戦争」をはじめたのである。自らの保身しか考えない政治のトップ、最低限の知識さえ持ち合わせずに時流に乗り無責任な幻想を国民に抱かせた大手新聞社、そして、心無いカリスマ経営者によって。

この多大な犠牲を払う戦争に勝利すると、いったい我々は何を手にするのか、筆者には未だに全くわからない。