ノルウェーの連続テロ 日本へのLesson

小幡 績

この事件は、まだ解明の途中だが、きわめて重要で示唆に富む事件なので、日本社会へのインプリケーションについて議論したい。


今まで安全であったノルウェーが、突然治安が悪くなったというのは半分は間違っている。このような大規模なテロは、彼の個人的な犯行と推測され(いろんな説があるが、私は、共犯がいたとしても、要は、共犯を含めて個別事象だと思っている)、今後、テロが相次ぐわけではない。

しかし、彼が狂人だったから起きたから、社会としては無視していいかというと、全くそうではない。彼の犯行後の供述どおり、この悲惨な事件は労働党などの政策によってもたらされたものだ。

ノルウェーは高々500万人の国である。人々の間の信頼も強く、政府への信頼も厚い。これはWorld Values Surveyという世界中の国でのアンケート調査でも明らかである。いい社会なのである。それは同質的であり、それが高いレベルで人々が価値観も経済的状況も共有しているのであり、チームとしてはまとまりがあり、穴もなく強い。だから、国民を底上げするために、誰でも高等教育が受けられ、手厚い社会保障がある。

しかし、経済的活力を維持するために、経済成長がより必要だ、という考え方で、きわめて積極的に世界展開している。ノルウェーの公的年金は、最も積極的、かつガバナンスのレベルが高く、また情報公開などがオープンであることでも有名で、世界一優れた年金運用だと思われているが、資産は国内資産を運用してはいけないことになっている。すべて世界に投資しているのだ。

そこで、労働力も強化するために、移民を強化する政策を採った。それが、この犯罪の背後にはある。

テロを容認することはありえない。民族的な差別もよいことではない。重要なのは、同質性を意図的な政策をとってまで維持してきた、まとまりのよいチームに、名目的な短期の経済成長を達成するために、それに変化を与えるリスクを不用意にとってしまうことはかなり危険だ、ということだ。いい悪いではない。危険なのだ。

リスクをとるのはいい。要は、不用意にとってはいけない、ということだ。短期の経済成長のためだけには、リスクが高すぎないか、リスクをとるなら、それをどうコントロールするか慎重に考えないといけないのだ。

日本でも成長戦略というとすぐに移民政策が出てくる。しかも、単純労働力が不足するので、競争力(要は低賃金)を維持するために、移民を奨励せよ、子供が減っているのだからやむを得ない、というナイーブな議論がすぐ出てくる。So naive! だ。

成長戦略でなく、よりよい社会を作るために多様性が必要で、そのために移民を促進するのはすばらしい。くだらない目先の名目的な経済成長のために移民政策を語ることはいかなる場合においても誤りだ。誤りという言葉がいやならnaiveだ。

その場合には社会がどう変わるかをよく考え、変わる社会をどうして行くか、リスクをどうコントロールするか、移民をどのように進めるか、すべてをシステムとしてデザインしないといけないのだ。

ノルウェーですらnaiveだったのだから、日本はもっと不用意に政策が実施させることになるだろう。