アナログTV放送の終了に当たって思うこと

松本 徹三

大震災の被災地を除き、いよいよアナログTV放送が終了するが、これによって視聴者が受ける恩恵は直接的には特にないようだ。しかし、間接的には、これから色々なメリットが出てくるだろう。家においてあるテレビ受像機がアナログ方式であろうとデジタル方式であろうと、テレビを見ているだけなら殆ど同じ事だが、同じテレビ受像機がもっと色々な目的に使えるようになれば、利用価値は確実に増えるからだ。


これまで地上波テレビ局が色々な面であまりに幅をきかしていた事に対する反発もあって、「地上波テレビなどはもはや無用の長物」と言い放ち、その観点から、今回のデジタル化にも冷たい視線を浴びせている人達もいるが、私はそういう立場はとらない。

上質の動画を日本全国に一斉に同報(放送)するサービスは、今後とも常に必要だ。場所によっては放送衛星の方がコストと品質の両面で優位に立つところもあり、最終的には、FTTH(各戸への光通信回線の敷設)が全国に行き渡ればその中に吸収出来る訳だが、これから十年間ぐらいは、「地上波テレビ不要論」が声高に論じられるところまでは行かないだろう。そうであれば、デジタル化によって取り敢えず貴重な周波数が節約される事は高く評価されるべきであり、これを断固としてやり遂げた総務省は立派だったと言うべきだ。

しかし、TV放送の事に限らず、情報通信サービス全体についての議論で私がいつも感じるのは、供給者側の立場に立った議論が多い事、「手段としての技術」と「既存事業者の権益を守る法制度」をごっちゃにした議論が多い事だ。その為、「業界の縄張り意識で歪められた技術論」さえもが時折まかり通っているように思える。これでは物事の本質を見失うし、将来の国のグランドデザインを見誤る事にもなる。およそ「サービス」というものを語るときには、如何なる場合でも、先ずはユーザーの立場に立って考えることが必要だ。

少し時計の針を元に戻して、インターネットというものが多くの人達にとってあまり馴染みのないものであった時代に戻って考えてみると、「情報」に関する人々の日常は、新聞を購読し、雑誌や書籍を買って読み、ラジオやテレビを視聴し、電話やファクシミリで他の人達と交信するだけだったから、新聞社や出版社、テレビ局や電話会社が大きな力を持ち、情報通信についての議論の多くも、殆ど彼等が主導して来た。

しかし、今や人々はインターネット(とりわけモバイル・インターネット)に多くを依存するようになっており、新聞社やテレビ局、電話会社はもはや守旧勢力と見做されるに至っている。従って、当然の事ながら、彼等の立場ばかりを慮っている議論では、大局を見失ってしまう事になる。

こういう時こそ、原点に帰って、「ユーザーの視点」から物事を考えることが必要だ。要するに「一般の人達はどういう事が可能になったら喜んでくれるだろうか」という考えから出発することだ。そして、ここで言う「一般の人」とは、今見えている「一般の人」ではなく、「近い将来の一般の人」、即ち「現時点ではかなり先進的な人」でなければならない。

「ユーザーの視点」という意味で、私自身の場合を具体的な例としてあげるなら、大略下記のようになると思う。(私は既に年寄りなので、そんなに先進的なユーザーとは言えず、あまり良い例にはならないかもしれないが…。)

まず、私は、現在、高性能で使いやすい「スマートフォン」を一台常に携帯している。会社と家の机の上にはパソコンと「パソコンのようなもの(タブレット)」があり、これは何時でも何処にでも持って行くことが出来る。家には大画面、高音質のテレビが二台あり、これが、限定的ではあるが、時折スマートフォンやパソコンと連動してくれる。機器としては、私はこれだけでほぼ十分だと思っている。

環境に応じてこれ等の機器を適宜使い分けることによって、私が今やっている、或いはこれからやりたい(出来る)と思っているのは、次のようなことだ。

何時でも何処でも必要な仕事をこなし、色々な人達と色々な形のコミュニケーションを随時行う。時折は人のアドバイスも受けながら、必要な情報を検索する。タイムリーにニュースを視聴し、色々な人達の評論を読み、それに対して自分の意見をブログやTwitterなどに書き込む。好きな時に好きな音楽を聴く。好きな時に興味を持った本や雑誌の記事を読む。時折は小さな画面でも我慢するが、概ねは自宅のリビングにあるTV受像機の大きな画面で、見たいと思う映画やドラマ、スポーツの実況やドキュメンタリーを見る。手元にあるスマートフォンを使い、何時でも何処ででも写真やビデオを撮り、それを人に見せたり送ったりする。時には孫達とゲームに興じる。

現状では、まだ十分出来ているとは言い難いが、大体そんなことが出来れば、私にはもうそれで十分だろう。考えてみると、ここ僅か4-5年の間に、このような事の殆どが概ね可能になり、満足度も飛躍的に高まったのだから、これは実に驚くべき事だ。

しかし、勿論、まだまだ不満なことも多い。現状では、色々な機器とサービスの間の連携が悪いのが一番困る。「目的を達して満足を得るに至るまでの手順」もまだまだ煩雑だ。自宅と勤務先のオフィスには光回線が来ていて、それがWiFiをサポートしてくれているので、ほぼ満足出来る状態だが、出先では先ずネット接続の確保に苦労し、接続が出来てもスピードが遅くて苛々する事がしょっちゅうだ。

個々の機器に対する不満も未だ相当ある。iPhoneとiPadの出来の良さには率直に言って感心させられることが多かったが、それでも「これをやってくれれば随分便利になるのに、何故やってくれてないの?」と感じるようなことは頻繁にある。

コンテンツやサービスについても、勿論まだまだ満足出来ていないが、何しろ世界中で毎日多くの人達が次から次へと新しい企画に取り組んでくれているのだから、私がこれから生きている時間内にはとても消化しきれないほどのものが、これからどんどん作られてくるだろう。しかし、望むらくは、「世界中のコンテンツが膨大な数のガラクタで埋め尽くされ、良質なものは数えるほどしかない」といった事態は生じないようにして欲しいし、「何時でもどこでも自分が求めるものを瞬時に探し出せるような検索の仕組み」を、早く誰かに作って欲しい。

さて、自分が情報産業に携わっている人間でなければ、話はここで終わる。しかし、私はたまたま情報産業に携わっている人間なので、色々な心配事から容易に解放されそうにはない。上述したように、ユーザーが望むものはほぼ分かっているし、それを可能にする技術がある事も分かっているのだが、主として「国と関係企業の政策的な決断の欠如」の為に、それが簡単には実現されそうにないのが私の心配の種だ。

全ての情報サービスは、「ユーザーが直接インターフェースする機器類」と、「そこにコンテンツを送り込む情報伝送のシステム」の存在によって実現するが、ここでネックになるのは、言うまでもなく「情報の伝送路」だ。「電話とテレビの時代」には、全国に行き渡った電話網と全国に建設されたテレビ塔から発信される電波だけでほぼ全てのことが賄えたが、現在は軽くこの100倍を越す通信容量が必要になろうとしており、しかも、それを支える伝送路は、あらゆる場所と使用環境をくまなくカバーし、且つ双方向である事が必要だ。

最近の動きは、「殆どの事はクラウド側でやるので、ユーザー端末は軽量安価に出来る」という方向であり、それは勿論極めて正しい方向なのだが、そうなると端末とクラウドを繋ぐ伝送路に求められる通信容量は更に飛躍的に増大する。「アナログ放送をデジタル化したので使える周波数帯が少し増えました」とか、「LTEという新技術によって携帯通信の周波数利用効率が2倍強に増えました」という程度ではとても足りないことは明らかだ。

長い間、コンピュータ・インターネット業界は、既存の通信・放送事業者の保守的な体質に苛立ってきた。アメリカでは特にそれが顕著で、実質的な独占電話事業者だったAT&Tの解体に始まり、あらゆる業界を巻き込んでの「何でもあり」の競争社会を作ってきた。しかし、それだけでは、これから訪れようとしている一般消費者を巻き込んでの「モバイル新時代」「クラウド新時代」の伝送路不足を乗り切れるとはとても思えない。

一言で言うなら、ユーザーのニーズに応える意欲が旺盛なコンピュータ・インターネット業界も、高速通信網建設に必要とされる膨大な設備コストについては、未だ十分に理解しているようには思えない。特に良質の無線通信をシームレスに確保する事の難しさに対する理解不足は深刻だ。

半導体技術の進歩で携帯端末機器は急速に進化しているが、「何時でも、何処でも」のユーザーニーズに完全に応えるには、「未だ道遠し」の感が否めない。今のままでは、遠からず、ユーザーの期待を大きく裏切る事になるだろう。(過大な期待を持ったユーザーは、何事にも時間がかかる場所が多い事に苛々するか、バカ高い請求書を受け取ってブチ切れる可能性が高いからだ。)

伝送路は有線と無線から成り立っている。世の中には、技術の本質を理解しないままに何故か無線通信について超楽観的な思い込みをしている人達が結構いるようだが、普通に使える周波数の帯域幅は限られており、一定の周波数で送れるビット数にも限界がある(シャノンの法則)から、無線に全てを頼ることなどはもとより出来るわけはない。

無線を使う場合でも、基地局(ノード、アクセスポイント)までは有線で繋がなければならない。同じ(限られた)周波数で、多くの(異なった)情報を送ろうとすれば、混信(干渉)を防ぐ為に、電波の飛ぶ距離を意図的に短くする(セルの径を小さくする)必要があるが、そうすると有線回路に対する需要がその分だけ増える。そして、どんな場合でも、有線回路を敷く為には、既に場所を持っているか、新たに場所を確保するかしなければならない。更に、工事には膨大な手間と費用がかかる。

限られた場所と電波資源を有効に使う為には、国がその権限を有効に使って業界をコントロールし、徹底的に合理的な「伝送網(光と無線)のグランドデザイン」を考え、これを実現するしかない。(地上波TVのデジタル化が出来たのだから、これも出来ない筈はない。)

事業者も、「もはや仲間内で設備競争をしているような余裕などはない」と、一日も早く自覚すべきだ。設備計画はお互いに協力して徹底的に合理化し、それによって固定コストを押さえた上で、自由闊達なサービス競争でユーザーの満足に少しでも近づく努力をするべきだ。