震災当時、この時には私はまだ日本は復活出来ると思っていた。不謹慎ながらも復興需要が起き、また、日本人の意識の中で何かが変わり、過去に経済大国としての地位を築いた日本は復活できると思った。
だが、3.11から日が経つにつれ、日本の復活はどんどん遠ざかって行くことを感じた。全く変わらない政治の状況と繰り返しテレビで流れる「頑張ろう」という言葉がその想いを強くした。まるで、戦時中の「欲しがりません、勝つまでは」のように、「節電しないのは悪だ」という論調や自粛を求める声が流れた。
その後、過剰自粛はいけないというゆり戻しはあったものの、未だに、深夜の高速道路の電気等は消されたままと聞く。ピーク時以外の節電なんてチグハグな事をして、悦に浸っても何にも意味 はないのに。
そして、尚の驚きはこの内にこもった心理に対して国民から声が聞こえてこないことだ。それどころかテレビ等では未だに何の意味もないような節電策やらが紹介されている。この国のDNAというのは見事なまでに、千人針を通し、鍋や寺の鐘を軍隊に供出していた頃から進歩していない。それが震災後に見えてきた。
震災後にある象徴的な事象が起きた。スーパーから煙草、ミネラルウォーター、ティッシュが消えたのだが、食料難という自体には陥っていない。これは要するに食料は輸入に依存していたお陰なのだ。仮に日本の食料自給率が100%だったら、震災後に食料が足りなくなっていたのは想像に難くない。つまり日本が取るべき道は、供給の多様化と外貨獲得の強化なのだ。間違っても個人農家の保護ではない。
だが、震災後、EPAの締結等は一向に進展する気配はない。震災で分かったはずであるのに、だ。それどころか、東北の農業の復興というテーマがまるで、困難に立ち向かう美談のように取り上げられる。今更、輸出も出来ない、神経質な人であれば日本人でも買わない人がいる可能性のある東北の農業を今、焦って復興させる必要があるの だろうか。
そして、尚、悪いのは上記のような事を政治家が言うと、たちまち失言扱いされる、だがちょっと考えて欲しい。例えば、東北地方で中古車販売店をやっていたが、津波で流された人がいたとして、国のお金で中古車屋の再開を支援する必要があるのだろうか。復興支援策も何も地元で仮設住宅に住まわすのでなく、一定の金銭的補助をして例えば、過疎の都道府県で借家暮らしをする方が遥かに高い生活レベルが持てるのではないだろうか。
友人・親戚のようにコミュニティの連絡はインターネットを使えばそれほど不自由なく出来る。こう書くと、またぞろ、非人道的だと避難を浴びそうだが、例えば、仮に震災と関係なく、一家離散した人を国が今まで補助してき ただろうか。確かに被災地の復興はしなくてはならないが、それは被災前の補助金漬けの状態に戻すことではないだろう。例えば何らかの経済特区にする等でも良いのではないだろうか。
もちろんどのような案を出しても、反対論は出る。それは物事がプラスだけの効果を見込める事というのは皆無だからだ。その結果、おそらく、最も批判のでない復興策は「従来通り」という結論なのだろう。
震災後、特に何もしない菅政権がここまで長命で有ることを考えると、この国で支持を失う方法は、何かをする ことなのだと分かる。何かをしようとすると、僅かなネガティブインパクトに議論が集中し、それがあたかも全体の問題であるかのように捉えられ、潰されるのはもはやこの国の日常の風景と言ってもいいだろう。
ただ、不思議なのは、日本人の多くはこのままでは日本の財政は立ちゆかなくなる、自らは茹で蛙だと自覚しているのに、変化を望まないことである。しかし、先進的なアイディアほど、プラス、マイナスの評価が難しく、その及ぼす影響が大きいのだ。
今のままで行くか、それとも果敢にリスクテイクした政策を取って行くのか、どちらの生存確率が高いかといえば後者であろう。少なくても「日本は強い国です」と良い、ただ待つだけの行動が最善手とは思えない。
「ルックイースト政策」、という言葉がある。1980年代にマハティール首相が唱えたものだ。今、日本の良いお手本は西にある。シンガポールだ。日本人は謙虚にルックウエスト政策を唱えても良いのではないだろうか。それにより日本はまた国際社会の表舞台に立てる可能性はある。だが、しかし、こういった話は総論で賛成であっても、各論で反対されうる。
ここで提言なのだが、ルックイースト政策のみならず、一国二制度もパクってはどうだろうか。例えば、東北地方を別制度の国として扱う。現状維持が良いか、それともバリバリの改革路線が良いか、一度、日本の中で試してみればいい。
私は圧倒的に後者が勝つと思う。だから、復興プランとして東北を中心にやればいいのだ。少なくても補助金付けの産業を復活さえるよりは国全体にとってもプラスではないだろうか。
(城 武晋 総合商社勤)