正論だった「松龍発言」-反省すべきは地方首長では?

北村 隆司

「松龍発言」問題の消費期限も切れ、マスコミの話題からも消えた今が、この発言が大臣を辞任しなければならない程の問題であったか否かを検討し直す絶好の機会だと思います。


この発言が話題を呼んだ頃、粗大ゴミ問題の専門家として現地の人々と協力して復興に努力していた私の友人から、こんなメールを貰いました。旧聞に属しますが、そのメールを参考に供したいと思います。:

「近頃のマスコミは、自らの定見も無く、いたずらに大衆に迎合することに終始しており、その責任は重大です。 そのマスコミ関係者から、松本龍復興大臣辞任に関するコメントを求めて来ましたので、こんな返事を書きましたので、意見を聞かせて下さい。

松龍が辞任しましたが、私は、世論に異論があります。 新聞・TVによれは、辞任の理由になった発言は次の4つのようです。

  1.復興についての案は、地元が知恵を出せ、知恵を出さないやつは助けないぞ!
  2.宮城県の「漁港の集約」は、県がしっかりコンセンサスを作れ、そうしないと国は何もしないぞ!
  3.客が来るときは、自分が先に入ってから、客を呼べ!
  4.俺は九州の人間だから、東北の何市がどこの県とか分からんのだ。

 これに対する私の意見は:

 1と2:松龍の言い分が、当然です。

地元が案を造り~県がチェックし承認し~国に提案し~大きな方針に誤りが無ければ、国が承認し、 予算をつける。この流れは、あたりまえの流れです。 先ず、地元が必死になって復興案を作らなければ、誰が案を作るのか。というより、地元を愛し、知り尽くした以外の人は誰も発案出来ない。

仮に○○委員会というような第三者委員会を作ったとしても、素案は地元が作るほかありません。
各地元が競い合って、復興案を練ることにより、新しい展望が見えてくるように思います。

言葉は悪いですが、「どうしようもない想定外の大災難だから、我々の手に負えない」と嘯いていたら、国は無制限に金を投じて来るだろうという目論見」があり、「変に手をつけると損するぞ」というウラがあるように思えてなりません。

そして、仮に、国が渋い案を出そうものなら、「実態が分かっていない」「血も涙も無い」・・・・と大騒ぎするでしょう。現実にそういう傾向です。 地元は「観客」では無く、自ら「Player」になるべきです。

私が少しかかわっている「石巻の瓦礫」ですが、同市の6月末の処理率はわずか15%です。 厳しいようですが、元気な人は避難所から出て、手渡しリレーでもいいから、少しでも片付けるべきです。 多分、そういう意志のある避難者は、数多く居られると思いますが、「国の責任でやるといっているのに余計なことはしないほうが良い」と地元行政が判断した結果でしょう。又、県の方も、「なまじ先走るな」と言いつつ、自分達の存在感を示しているように思います。

  3:は常識です。

村井知事は、「私は、約束の時間ちょうどに入室した」と当然のごとく言っていましたが、大臣であろうが単なる客人であろうが、約束があるのであれば、相手が来れば、それに合わせるか、一旦、挨拶をしたあと「もう少しお待ち下さい」というのが、万国共通の礼儀です。 こんな常識すら守れないことに対してにすらマスコミの非難は轟々です。 そういえばマスコミは、所、場所、時間を問わず、挨拶も無く押しかける特権を当然のように思っています。

 4:これは、東北に行くなら、事前に良く勉強しておくのが当然の責務とはいえ、私でも、青森は別にして、秋田・岩手・山形・宮城の境界、特に内陸部の境界は未だに良く分かりません。地図では線分けしていますが、仙山線に乗ったときや東北新幹線などに乗っても、今、何県のどの辺を走っているのか正確には分かりません。松龍にとっては、正直に言っただけのことです。 それまでも「責任問題の一つ」というのも、どうかと首を傾げます。  ただ、「与党も野党も嫌いだ」は余計でしたね。」

丁度同じ頃に、複数の事業所を津波で失い、社員と家族併せて54名もの死者・行方不明者を出した東京の大手企業の社長から、「亡くなられた社員やご家族の合同慰霊祭をやっと終えましたが、今回の震災で日本と言う国はいつの間にこんな国になってしまったのか?驚きを禁じえないことが山ほどありました。」と言う嘆きに近いメールが届きました。

この「山ほどあった驚きを禁じえない事」の中には、「松龍事件」が示唆する多くの問題もあったに違いありません。マスコミの批判の矢が、発言内容に向けられたのではなく、何かのしっぺ返しだとすれば、今後の為にも反省に値する問題だと思います。