中国最大の商材仕入れ市場 義烏について

小谷 まなぶ

 浙江省の杭州から高速道路を南下し約2時間のところに、世界最大といわれる商材仕入れの交易市場『義烏』がある。私自身、義烏に初めて行ったのは、2002年の頃である。当時も、『100円ショップの街』といわれ、日用品の雑貨類を中心に義烏の市場には、多くの商品が並んでいた。当時の記憶で言えば、まさに、安かろう悪かろうの商品が多かったことを記憶している。


 義烏の雑貨市場の発展の歴史をたどれば、80年代、中国が改革開放路線をたどり始めたころから、地場産業として、義烏周辺の農家が、家内製手工業で、日用品や雑貨類の商品の製造を始めた。自宅で作った商品を義烏市内の交易市場に集めて販売を始めたことが、義烏の市場の起源になっている。
 90年代になって義烏の交易市場は、中国全土に知られるようになり、中国商人が全国から集まり、商品の仕入れにやってきた。中国商人の中には、中国から国境を出て、ロシアにまで売り歩きに行った者も少なくなかった。私の友人の上海人で、当時、ロシアに義烏の商品を売りに行っていた人が居るが、当時は、商品をもって国境越えするのは、命がけだったと話していた。国境地区の治安の悪さと、他の地域の商人と出くわしたときには、縄張り争いで、命がけの喧嘩になることも少なくなかったと話していた。
 ロシアのマフィアに銃をむけられた話なども聞かせてもらった。

 中国には、こんな話がある。『中国の人の居るところには、温州人がいる。』温州人とは、浙江省の温州市という街があるのだが、この街の商人は、中国でも、もっとも商売がうまい人が多いといわれている。温州人は、商売が出来ると思えば、中国全土、世界中に出向いて商売をしていることが、そんな諺をいわれるようになった。
 義烏が世界の市場として名を広めた理由には、中国商人のアクティブな商売熱があったからである。今は、義烏で仕入れた商品を中東諸国、アフリカ諸国にまでコンテナに入れて、売りに出向く中国商人も少なくない。また、そのような中国商人に影響されて、アラブ人やアフリカ人なども、義烏の市場に、商品を仕入れに来ているのである。
 浙江省の山地ある農家が始めた家内制手工業も、約30年の月日を経て、世界の商人がこの市場から商品を仕入れに来る街に発展したのである。日本からは、ネットショップのオーナーや、小物販売のショップ経営者などが、雑貨や小物などを仕入れに、義烏に買付けにきている。数十万店舗が集まっている義烏の交易市場を見学行くと、その規模に驚くだろう。中国人の商売のエネルギーを感じることが出来ると思う。

■小谷まなぶの中国ビジネス奮闘記(オフィシャルブログ)