政策はマクロからミクロへ

小幡 績

先のエントリーで述べたように、バーナンキは気づいていないかもしれないが、経済構造の変化による経済成長には金融政策は無力であり、財政政策の有効性を説いたこのスピーチは、財政政策の政治政策的な無力性、金融政策の有効性を示している。


いまや有効需要政策は効かない。いわゆるGDPギャップがあったとしても、金融政策はすでに実体経済に対する効果は全開で、これ以上は望めない。財政政策ももちろんそうだ。ソブリン危機で財政は緊縮化だ。

有効需要はあることはあるが、それは新興経済にあり、彼らはすでに景気過熱で実体経済も金融市場も歯止めを必要とし、インフレ対応が課題となっており、金融政策、それも金利政策がその焦点だ。

新興国経済は健全だ。健全な経済のところだけが成長しているから、今成長している経済はバブルか、構造的に健全かどちらかだ。

一方、成熟国は分かりにくい。国としては勢いを失っており、構造的な難しさを抱えているが、政策対応によって、その下り坂の下り方の技術に差が出ているし、企業や人は過去の蓄積で人的資本、企業的資本(これは私の造語で、企業内に蓄積している力:場の力とも呼んでいる)が豊富となっており、この活用の差で国として差が出ているし、さらに国を離れて活躍している企業や人も多く、ややこしい。

このややこしい経済を、国という、いまや成熟国には経済的には意味のない枠組みごとマクロ的に処理しようとしているからうまくいくはずがない。金融政策も財政政策も有効需要を作ろうとマクロ政策で考える限り、コストばかりかかって効果は低い。

だから「マクロ経済学は死んだ」ように「マクロ経済政策も死んだ」のだ。

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上り坂の経済では、ミクロとマクロの区別はあまり重要ではない。なぜなら、金利政策が有効だからだ。今新興国で成功しているとは市場経済が機能しているところ。政府主導ではなく。その場合は、金利を引き下げれば、投資機会が豊富にあり、しかも目利き機能が市場で効率的に発揮されていることを意味するから、経済成長は加速する。あとはインフレを抑えれば、そして何よりインフレによる予期せぬvolatilityおよび不安定性をコントロールすれば(つまりバブルを起こさないようにすれば)、うまくいく。だから金融政策をマクロ的にうまくやることがミクロの成長につながるのだ。そして成長していけば労働力不足になるから、労働政策が完全でなくても、市場が補う。

一方、下り坂ではそうはいかない。ミクロ的に丁寧に、可能性があり効率の高いところを拾ってそこに金も人も流れるようにしないといけないが、それをマクロ的にやると、金融的にはゾンビ企業を生み、雇用は硬直化し、構造的な成長力が落ちる。

そして失業、とりわけ若年層の失業が生まれ、それが最大の社会損失であり経済損失となる。

これを防止するには、丁寧なミクロ政策が必要だ。それは財政政策でも金融政策でも丁寧にやらなければならない。

融資にせよequityによる投資にせよ、ミクロの目利き機能を高める政策が金融政策としては必要で、財政政策もマクロ的な有効需要によるショック療法ではなく(だから今は流動性の罠ではない)、若年者が現代経済において有効な人的資本を蓄積するように仕向ける政策が必要なのである。

バーナンキも失業が最も大きな社会的経済的問題で(ケインズの一般理論のポイントは流動性の罠ではなくここだ)、若年層が人的資本をする最大の機会は、いいお客のついている企業での実際の労働によるOJTであり、学校はその補強である。ここでいいお客とは、経済の本当の需要であり、将来的にもその需要、ニーズと向き合うことで企業も労働者も頭を使い成長するようなお客である。

だから政府による有効需要は長期の成長性をあげるのには適さず、民間市場経済が重要なのである。

これらの意味をバーナンキは、スピーチでなんとなく触れてはいる。

しかし、彼はそれに対しては無力であり、関心はないのだ。