野田内閣への期待

松本 徹三

何はともあれ、誰も口にしたくなかった「増税」に言及し、「マニフェストの見直し」を譲らなかった野田さんが首相になった事で、少なくとも私はホッとしている。世論調査の結果も概ね同じのようだ。考えてみれば、それ以外に今の日本を救うどのような手立てがあったと言えるだろうか?


新内閣には、「被災者救済と被災地の復興」「放射能汚染への対応」「エネルギー問題への長期対応」「財政破綻の阻止」「円高是正と自由貿易体制の確立による産業競争力の回復」「日米、日中関係の改善」等々、山積する問題を迅速且つ丁寧に解決していってもらわなければならない。今政治に求めたいのは、「論争」をすることではなく、まして況や「相手のあら探し」をすることではなく、「仕事」をしてもらうことだ。

しかし、その為には、政権を担う側としては、党内外での軋轢を回避する事がとにかく必要だ。だから、先ずは何事も低姿勢に徹して、堅実にやってもらうしかない。野田首相がその事に腐心しているのは、少なくとも当面は評価すべきであり、批判すべきではない。

にもかかわらず、組閣後の各党のコメントを見ると、「内向き」「昔の自民党のような派閥均衡」「官僚支配を許す軽量内閣」などといった批判が多く、「山岡国家公安委員長や安住財務大臣は標的にし易い」「野田首相の外国人献金問題は徹底追及する」「川防衛相の『素人だからよい』発言は解任に値する(石破氏)」などと、早くも「個人攻撃の材料探し」に虎視眈々という状況のようだ。

本当にもういい加減にして欲しい。今にして思えば、安倍政権時代には赤城農相が絆創膏を顔に貼って出てきただけで攻撃し、麻生首相が漢字を正しく読めなかったといって罵倒するなど、野党議員も、ジャーナリストも、一般国民も、いわばどうでもよい事に大騒ぎをして、時間を無駄にしてきたような気がする。その結果、諸外国が不信感を持つ短命内閣の連続となり、焦眉の問題である「財政再建」にも未だに手がつけられずにいる。

確固たる政治理念を持ち、それを実現する強い意志と高い能力をもった新しいリーダーの登場は、残念ながら当面望めそうにない。それはそれで仕方ないが、それならば、せめて政府には必要最小限のことをきちんと実行して欲しいし、野党は「あら探し」や「揚げ足取り」で邪魔をするのをもうやめて欲しい。共産党は「大政翼賛型」だと批判しているようだが、今はそれが必要な時だ。野田首相が折角野党の意見を取り入れる事に前向きなのに、野党側は何故歩み寄ろうとしないのか?

要するに、野党も民主党内の反主流派も、「政治」よりも「次の選挙」のことで頭が一杯なのだろう。被災者の救済や被災地の復興が遅れようが、放射能汚染の被害者が増えようが、現政権がそれによって失点を重ね、結果として「次の選挙」で自分達が当選する確率が高まるのなら、その方が良いという事なのだろう。本来は、「選挙」は「政治」を行う為の手段の筈なのだが、今や、「政治」が「選挙」の手段となってしまっている観がある。「目的」と「手段」が逆転してしまっているかのような現状は、何とも嘆かわしい。

それが如実に現れているのが、「増税問題」と「マニフェスト問題」だ。

どんな政治家でも中学生程度の論理的思考は出来る筈だから、「財政が破綻すれば多くの国民が大損害を受ける」事も、「何らかの増税なくしては財政再建はあり得ない」事も、勿論分かっている筈だ。にもかかわらず、「増税を口にすれば選挙では不利になる」事も、これまた明らかなので、殆どの人がそれを語ろうとしない。

先の衆院選挙で掲げた民主党の「マニフェスト」が、財源についての大きな誤解に基づいて作られたもので、実現不可能である事(無理に実現しようとすれば国民が一層不幸になる事)も、最早誰の目にも明らかだ。にもかかわらず、民主党の中で小沢さんや鳩山さんを支持している人達は、なおも「マニフェスト遵守」に固執している。

それはそうだろう。「マニフェストを掲げて先の衆院選挙を戦い、その結果として成立した民主党政権は、マニフェストが守れないのなら最早その正当性が失われているのだから、衆議院を解散してあらためて国民の信を問うしかない」と、野党が大合唱している限りは、即時解散(「その場合には再選はおぼつかない」と考えている民主党議員は多いだろう)を避ける為には、「マニフェスト遵守」を言い続けるしかないからだ。

ここで、私は、自民党の皆さんに、次の三つの選択肢の中から一つを選んでほしい。

1)「マニフェストを取り下げるなら解散しかない」とあくまで言い立てて、大いに時間を使い(出来れば本当に総選挙に持ち込んで更に時間を使い)、国政を停滞させて、それについての与党の責任を追及する。

2)「マニフェストを取り下げるなら解散しかない」とあくまで言いたてて、間接的に民主党内の小鳩派を支援し、野田政権にあくまでマニフェストを実行させて、財政を早く破綻させ、その責任を追及する。

3)マニフェストの取り下げを評価し、野田政権をサポートして国政を前に進め、来年の選挙では「国政が停滞しなかったのは自分達が現実的な見地から協力したからだ」と訴えた上で、「民主党のマニフェストが絵空事であるのは過去の事実が示している」と強調して、自らの「現実路線」への支持を求める。

私は、勿論、彼等の答えが3)であって欲しい。そうでなければ、自民党も所詮は「国政より党利党略(政治より選挙)を大切にする体質に染まっている」として、永久に見切るしかない。

さて、これを機会に、「民主主義の本質」というものをもう一度考えてみたい。

民主主義体制下では、国会議員の候補者は、常に何が「民意」であるのかを必死になって考え、その「民意」を実現する為の政策を謳って、投票を得ようとする。その結果として、もし選挙に勝ち、実際に政治に携われるようになれば、先ずはその政策を実行しようとするのは当然だ。しかし、「民意」というものは移ろい易いものだから、当初考えた政策では「民意」に支持されそうにないと、途中で分かる事もあるだろう。その場合には、次の選挙でも勝てるように、その時点で政策を転換するのが、これまた当然だ。

しかし、一方で、「民意」は複雑多岐に分かれもする。大きな幹のところでは、多くの国で、先ずは「市場経済重視(小さな政府)」か「社会政策重視(大きな政府)」かに分かれるから、このどちらを目標にするかにより、二大政党が競い合う形をとる国が多い。

この二つのどちらを支持するかについては、国民の中には、長期的観点から「国の経済運営のあり方」について自ら深く考え、それに基づいて決める人達もいるだろうが、殆どの人は、自らの経済的利害に基づいて決めるだろう。低賃金に喘ぐ人達や雇用不安を抱えた人達は、「大きな政府」からの助けを求めるだろうし、その僅か上に位置する人達は、自分達のなけなしの金が「大きな政府」に吸い上げられるのは我慢ならないと思うだろう。

かつての日本では、自由経済を重視する自民党支持者と、社会政策を重視する社会党支持者が日本をほぼ二分していたが、所得倍増政策が上手く進んでいたこともあり、前者が常に数の上で優勢で、社会党は万年野党の観があった。外交・防衛政策では、前者は明確に親米(反中ソ)で、日米安保体制を擁護したのに対し、後者は「非同盟中立」路線を強く主張し、その「理想主義的」な側面を評価する人達がいる一方で、「非現実的」という批判も受けていた。(冷戦下の当時は、現在とは全く異なり、「親米」と「非同盟中立」には根源的な違いがあった。)

しかし、その後多くの時が流れ、共産主義による経済運営の非効率性が次第に明らかになる一方で、ソ連との一枚岩の体制が崩れた中国は、現実路線を取って、米・日との国交を樹立した。

こういう状況下で、日本では、自民党内での派閥抗争に敗れた小沢一郎が、細川護煕を担ぎ、社会党や民社党を取り込んで「新進党」を結成、劇的な政権交代を実現した。かと思うと、今度は自民党内の梶山静六、亀井静香などの策士達が、「社会党の村山党首を首相に推す」という驚天動地の荒業で、再び政権を奪い返した。そして、以後の日本の政治は、「政策」中心から「政局」中心へと変わっていった。(存在意義を失った社会党は雲散霧消し、旧社会党系の人達は、種々の経緯を経て現在の民主党に吸収された。)

しかし、見方を変えてみると、そういう流れになったのも、その頃の日本では、「政治は誰がやっても大きな違いはない」という考えが一般的になりつつあり、二大政党制の本来の意義は既に薄れていたからだとも言えるだろう。

そうなると、政権をとるには、無理にでも対立勢力との違いを打ち出す必要があり、勢い枝葉末節な事が論争の対象になる。色々なグループの利害や思惑が分かれる「個々の問題」が、種々の「合従連合」のドライバーになるから、「政策の選択」も「政局の運営」も共に複雑になる。また、一方では、「政党の違い」も「同一政党内の派閥の違い」も、押しなべて似通ったレベルのものとなるから、「派閥抗争」は、しばしば「政党間の対立」以上に深刻になる。

翻って現在の日本の状況を見るとどうだろうか? 民主党であろうと自民党であろうと、その路線には当面さして大きな差異は出てきそうにない。「財政破綻」が近づきつつあるところに「未曾有の災害」が襲い、「放射能汚染の拡大」という深刻な事態まで背負い込んでしまったのだから、もはや「大きな政府」「小さな政府」を論じている余裕すらない。政府は程々に大きくならざるを得ないし、一方では、「これ以上大きくなっては破綻してしまう」という限界も近い。誰が政権を取ろうと、政策の選択肢は限られていると言えるだろう。

それならば、自民党も公明党も、今はしばし休戦し、つまらない足の引っ張り合いはやめて、政権与党と共に一致して国難に立ち向かってほしい。そして、何よりも国民の為に、国としてなすべき仕事が着実に進められるようにしてほしい。

鳩山内閣と菅内閣の「(空想的)市民主義」と「政治の停滞」は、産業界には大きなマイナスをもたらした。現状では、「自由貿易体制の構築」で韓国に大きな遅れをとってしまったのをはじめとして、種々の深刻な懸念がある。しかし、TPPの問題などは、農村問題と切り離しては論じられないから、どうしても関係者間の合意がすぐには取れないのなら、最悪時は決定が遅れても止むを得ないと思う。来年の衆院選挙で白黒をつけて貰えばよい。

その代わり、「被災者の支援」や「被災地の復興」、「放射能汚染に関連する国民の健康問題」、「円高対策」などについては、誰の立場も基本的に同じだろうし、次の選挙の論点にもならない筈だから、躊躇することなく、どんどんやっていってほしい。

一番深刻なのは、言うまでもなく「増税」の問題だ。これについては多くの異なった考えがあろうが、もう「待ったなし」でやるしかない時期に来ているのも明らかだから、これかりは、申し訳ないが、野田首相に全ての泥をかぶって貰うしかない。

来年の選挙のことを考えて、すぐには何も出来ず、これが来年の選挙の論点になったら、各党は国民の耳に甘く響く事ばかりを競って約束してしまいかねないから、日本はもう終ってしまう。逆に、もし野田首相が、多くの反対にも臆することなく、任期中に方向性をきちんと決めてくれて、来年の選挙にこの問題を持ち越さないようにしてくれたら、これで日本は救われる。

そうなれば、彼の名は永久に日本の政治史に残るだろう。「選挙と政局の事しか考えていない政治家」には絶対に出来ないことをやり遂げた事になるのだから、それこそ政治家冥利に尽きる筈だ。「財務省の言いなりになっただけだ」等と批判する連中がいても、黙殺すればよい。

それはそうと、次の選挙は、もう二大政党制は諦めて、多数の政党で争ってはどうだろうか? その上で、ドイツ等のように、色々な形の連立政権を模索し、微妙なバランスで「民意」に応える形にすればよい。これなら、「民意」が速いペースで移ろっても、個々の問題について複雑多岐に分かれても、それぞれの状況に従って、もっと柔軟に、且つ明快に対応出来るようになるかもしれない。