円高問題を再考する

松本 徹三

現在の円高は異常な水準だと考えている人達が多く、私もどちらかと言うとその中の一人だ。しかし、為替レートというものはすべからく相対的なもので、一口に「円高」と言っても、対米ドルなのか、対ユーロなのか、対人民元なのか、対韓国ウォンなのかで、その意味するところは違ってくる。現在の「円高」が、ユーロと米ドルに対する不信任の結果として、消去法でもたらされているものである事は誰も否定しない。一方で、人民元には制限や不安材料が多すぎるし、韓国ウォン等はまだ日本円と並べて考えられる状況ではない。


私も、商社に勤務していた頃には輸出に従事することが多く、何度も急激な円高で酷い目に会った。だから、現在、日本の製造業者が悲鳴を上げ、国の「無策」を批判したい気持になっているのはよく分かる。しかし、国にどういう「策」があるだろうかと考えてみても、良い考えは浮かばない。通常、国が自国通貨の為替レートが高すぎると判断した時にやるべきオーソドックスな措置は「金利の引き下げ」だろうが、日本の場合は既に長い間これ以上下げられないところまで下げられているので、やりようがない。

(勿論、「一部で金利がマイナスになることも辞さない」という過激な方策も考えられないではない。こうすれば、過去にも議論された「貯蓄税」の賦課に近いものになり、現在「貯蓄」に回っているものが、国内外での「投資」や「消費」に回ることも期待できるので、経済の活性化にも繋がるだろう。しかし、ここまでやると、危険な副作用も出かねず、国民の不安を掻き立てる恐れがあるから、政治家は踏み切れないだろう。)

多くの人達が主張するのは、日本政府が不退転の姿勢で為替相場に「介入」をすべきだという事だ。現実にスイスはこれをやり、周辺のユーロ諸国もこれを認めた。しかし、それは、経済規模の小さいスイスだから出来たことであり、また、周辺のユーロ諸国の人達が日常茶飯事で訪れるスイスの地理的条件から、ユーロ諸国もむしろそれを望ましいと考えたからこそ出来たと言える。日本が同じ様なことを強引にやれば、諸外国と大きな軋轢を起こすだろうというのが、多くの専門家の見解だ。

にもかかわらず、私は長い間「やれば出来るのではないか」と考えてきたし、今も若干はそういう思いもある。

日本政府が、例えば「対米ドル85円」といった目標レートを明確にして、「不退転の覚悟」で本気で介入をするとすれば、それは日本政府が世界中の金融業者を相手に一大仕手戦に打って出るという事を意味する。仕手戦は一種の博打ではあるが、だからこそ「動員出来る資金量」の勝負である。日本は国内に潤沢な貯蓄資産を持っており、この資金量には事欠かない。

過去の「介入」の結果を見ると、中途半端に「円売り」をやって、その後に高値で買い戻し、結果として差損を発生させているケースもあったようだ。しかし、目標を85円と決めて「不退転の覚悟」で売り続け、85円を越えない限りは絶対に買い戻さないとすれば、確実に差益が出る事はあっても、差損の被害を国内の貯蓄者にもたらす事はない筈だ。常識的に考えれば、この日本政府の政策が、国際的な「非難の大合唱」を受けない限りは、その「不退転の覚悟」(前代未聞ではあるが)を読み取った投機筋は、むしろこれに提灯をつけ、結果として流れは一気に円安に進むだろう。

「円売り外貨買い」の対象となるもとしては、やはり最大のものは米国債だろう。ユーロを底値で買うことも考えられぬではないが、この状況下でもなおストを繰り返しているギリシャの現実を見ていると、「ユーロ圏崩壊」という万一の事態も矢張り考えておかないわけにはいかない。世界の中での米国経済の地位は今後とも継続的に低下はしていくだろうが、大きな変化が見て取れるに至るまではまだ相当の時間がかかり、「有事のドル」に対する信任はまだしばらくは続くと見てよいだろう。(勿論、それまでには日本の財政立直しは終わっていなければならない。)

当然の事ながら、この経過において、米国及び欧州の主要国の金融当局に対し、日本政府は下記を強く訴えるべきだ。
1)円の過大評価がこれ以上続くと、日本の経常収支は赤字転落が避けられず、そうなると、日本の財政破綻も避けられなくなる恐れがあること。
2)基軸通貨としての米ドルへの信任回復は世界経済にとって重要であり、日本もこれに貢献したいこと。
3)米国債の中国依存度がこれ以上高まるのを、安全保障の観点から日本は懸念していること。

しかし、ここまで考えてみても、「本当にそこまでやってでも円高を是正する必要があるのか」という事については、大きな疑念が残る。

繰り返しになるが、為替レートというものは元々相対的なものだ。円で決められている国内の諸物価が安ければ、日本人の平均所得が低くても実質購買力は高くなり、人件費は抑えられる。人件費を含む諸コストが低く抑えられていれば、多少の円高があっても輸出競争力は失われない。

一方で、円高は、原燃料はもとより、食品、衣料などの生活費需品を含む「輸入品」の価格を押し下げるメリットがあり、更に、これに加えて、海外での投資や海外企業の買収などを容易にする。従って、円高を論じる時は、そのデメリットだけでなくメリットもよく計算し、全体のバランスで考えることが必要だ。

そもそもは、為替レートが如何なるものであれ、国内で発生している円コストが海外市場での競争力を支えられないのであれば、何時までも為替レートのことだけを議論しているのではなく、国内のコスト高を回避する方向へと進むべきは当然なのだ。つまりモノの流れを「内から外」ではなく、「外から外」にすべきだという事だ。ここに海外立地の必要性が生まれ、海外でのオペレーションの巧拙が企業の収益力に大きな影響を与える状況が生じる。

これまでの日本は、誰でもが内弁慶でやってこられた為に、多くの企業が国際的な舞台ではひ弱になる傾向があったが、円高で追い詰められた現在は、最早そんなことでは済まなくなった。これは長期的観点から見ると、日本の企業の体質改善の為にむしろ望ましいことなのかもしれない。

あれこれ考えると、結論としては、輸出中心の多くの企業の方々には申し訳ないが、今は、毎日の円相場に一喜一憂するのではなく、円高の現状を一応受け入れ、それを前提とした産業の再編成や企業体質の変換を考えるべき時なのではないかと、私は思う。

但し、明らかに投機筋がもたらしたものと思われるような「過度の為替変動」が短期的に起こった時には、日本政府は前述したような「不退転の覚悟」を内外に明確に示し、絶対に差損が発生しないやり方での「断固たる介入」を躊躇すべきではない。短期戦(Tactics)は長期戦略(Strategy)とは異なった次元の話だからだ。

しかし、その為にも、「不退転の覚悟」等と言う言葉は、是非とも軽率には使わないでほしい。先に安住財務大臣が米国で「断固たる介入」を口にした時には、米国側は微笑しただけで、誰も本気で受け取っているようではなかったと伝えられている。これでは、何もプラスになることはなく、マイナスになるだけだ。

「介入」は、本来、国が行う経済政策の「本筋」ではなく、あくまで「緊急避難」に留まるべきものだ。しかし、そうであるなら、ますます、「一旦始めたら、目標を達成するまでは絶対に途中で止めない」という強い意志を常に内外に示し、その実績を積み重ねていく事が必要だ。そうすれば、国際的な投機筋に舐めてかかられるような事は将来とも絶対になくなり、彼等自身が進んでこちらの流れに乗ってくるようになるだろう。