スティーブ・ジョブズという人生:死を受け入れる勇気

松岡 祐紀

僕はオチがない話が嫌いだ。

人の話を聞いていて、結局オチがないと分かると、思わず突っ込んでしまう。人からは毒舌とも言われるが、どう思われようが、人の時間を割いてまで話をする代わりには、せめてオチがある話をして欲しいと思う。

ただ人生は残酷で、たいていの場合は人生にオチなどはない。特に死は何もかも人から奪い、あとには何も残さない。死が悲劇的なのは、その当人にとってより、その周りの近しい人々にとってだ。幼い子どもを残して死んだ父親や母親、そのあとに残された人々のことを思い浮かべれば分かると思う。


スティーブ・ジョブズが偉大だなと思うのは、彼は結局何も悲劇的な事柄を引き起こさずに、静かに自分の人生に幕を下ろしたことだ。

そのようなことが可能になったのは、2005年のスタンフォード大学で行われた有名なスピーチで語っているように、「いつ死んでも悔いがないように生きる」ということを彼が本当に実践していたからだろう。

彼は本当に死を意識した瞬間から「自分がいなくなったあとの近しい人々の人生」について、念入りに準備をしていたのだと思う。いわば、「自分のバックアップ」をひたすら取ってきたのだ。

自分がやればあっという間に出来る仕事も人に割り振り、後継者を指名し、家族を大切にし、自分がやがては去りゆく存在であることを彼らに認知させる努力を惜しまなかったのだと思う。

偉大な人間は、死に関して盲目である。それは多くの歴史上の人物が証明しているし、一代目が築いた会社の資産を二代目がせっせと食いつぶすを見た人は多いはずだ。(中国の皇帝が不老不死の薬を追い求めたのは有名な話しだし、身近な話しでは僕の父親が勤めていた会社は見事に二代目に食いつぶされた)

彼の業績や彼が成し遂げたことは本当に素晴らしいと思うし、尊敬している。でも彼が真に偉大だと思うのは、死を意識してそれに怯まず、来るべき日のためにあらゆる努力を行なったことだ。

彼の人生は彼が創り上げたアップルのどの製品よりも美しい。

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