最近つくづく感じるのは日本がビジョンを失ってしまっているということです。時代が変化しているにもかかわらず、ビジョンを失っているために、将来を想定して考えるのではなく、過去の延長でものごとを考える傾向が強まっているのではないかと感じ始めています。変化に対してダイナミックにどう日本が対処するのかではなく、どう守るかの内向きな発想を生みだす結果となってしまっています。
TPP問題でなにか賛否が分かれなにか騒然とし始めています。中野剛志氏のように、今のように活力を失った日本は保護主義こそ必要であり、経済をオープン化すれば国益を失うという経済ナショナリストから、農業が受ける打撃を恐れる声、また医療で皆保険制度が崩れるという懸念にいたるまでの反対論がにわかに表舞台に登場してきています。それもひとつの考え方ですが、残念ながら、そういった人たちから日本はどのような道を歩めばいいのか、この経済の停滞や閉塞をどう打破するのかの声はほとんど聞こえてきません。
もともとTPPに関しては、慎重な考えを持っていました。しかし反対派の声を聞くにつけ、やはりTPPといった黒船効果がないと日本は変われないのかと感じてしまいます。TPPは、貿易に関しては完全撤廃効果はほどんどありません。貿易で期待できるのは、関税手続きの簡素化とスピード化のほうです。これだけ経済がグローバル化し、部品などのサプライチェーンも世界に広がり、しかもスピードによる効率性が求められる時代に、関税手続きで余計な経費と時間が必要だというのは健全ではありません。
それよりは、さまざまな分野での制度を変えることに日本が耐えられるのか、また日本の国益にかなうのかです。まあ交渉の過程を通して次第に明らかになっていくでしょうが、これらを考えるためには日本の将来のあるべき姿からの逆算でないとわからないことです。農業にしても同じです。
円高も一種の外圧です。円高対策を声高に主張する人がいます。もっと金融緩和しろ、為替市場に積極的に介入しろと、それで本当に円高に歯止めがかかるのかは識者でも疑問に思っている人は多いし、素人が考えても日本が単独で対処できるとはとうてい考えられません。それよりは円高対策を行った反動のリスクのほうが大きいのではないかと感じます。
その円高でいつも繰り返されるのは、このまま円高が進めば産業が空洞化する、だからなんとかしろという声です。なぜ今頃、産業の空洞化を叫ぶのか、円高が加速するにしても、製造部門にかかわらず、経済がグローバル化し、企業も成長を求めてグローバル化しようとすれば、当然の流れなので不思議に感じていました。しかしそういった声にもかかわらず、今回のタイが被った水害で日本の企業はすでに製造部門は海外に移してきた現実を思い知らされたはずです。
自動車の主要三社の海外生産比率を見ても、トヨタの2010年度の国内生産は約300万台で海外は434万台と海外生産比率は59%。ホンダは国内91万台、海外266万台で同75%。日産は国内107万台、海外314万台で同84%とすでに海外シフトは進んできているのです。
製造拠点を海外に分散化していくのは、人件費などの製造コスト、消費市場との対応の的確さや迅速さ、為替変動のリスク、また現地での雇用などの社会責任などを考えれば当然です。それよりは、円高はむしろ、日本の産業が構造的に変わっていかなければやっていけないという現実をつきつけているのです。
これではウォン安の韓国企業と対抗できないという声がありますが、半導体や携帯、また液晶で日本が韓国に破れてきたのは、かならずしも価格だけではありません。その韓国企業も、台頭してきた中国のキャッチアップの脅威にさらされています。
日本で途上国と競合する輸出型の産業をつづけようとすれば、人件費は中国並みにしていかなければやっていけません。
韓国や中国、またインドを始めとした途上国とガチンコ勝負で競い合うのか、そういった国々がキャッチアップできない技術、またビジネスモデル、高度なサービス産業を築くかの選択肢でどちらを選ぶかの問題です。
円高は、後者への転換を促しています。
経営のガバナンスの問題も、ライブドア問題や村上ファンド問題で、地検特捜部が権力介入まで行い、日本が独自の新しい経営のガバナンスのあり方を生みだすのではなく、再び日本型経営に回帰する流れが生まれたように感じます。もはや「もの言う株主」も表舞台では登場しなくなりました。
しかし今年に入って、福島第一原発事故が起り、東電の情報隠しや情報操作がクローズアップされ、経営がいかに不透明なものだったかが明らかになってきました。大王製紙の元会長が創業家の威光を笠に総額100億円を超えるグループ資金を目的不明で流用した実態があきらかになりました。上場している企業としては考えられないガバナンス不在の事件です。
さらにオリンパスの社長解任劇が起りました。新社長がどのように事態を収集するのか、またオリンパスの信頼を取り戻すのかの手腕が試されていると思いますが、すくなくとも海外ではオリンパス一社にとどまらず、日本の経営のあり方に対する疑問にまで波紋を広げ始めています。それを象徴するような社説を、ウォール・ストリート・ジャーナルが掲げています。
【社説】説明責任を回避する日本企業―問題はオリンパスだけか – WSJ日本版 – jp.WSJ.com :
日本は長い停滞を迎えていますが、なぜそうなのかをまともに追及することはありません。日本型経営にも良さはあると思いますが、その多くが戦後の製造業で伸びた時代に培われたものであり、やはり進化をはからなければならないと感じるのですが、内向きに守るという流れになってしまったのではないでしょうか。だから経済は停滞から脱出できません。
オリンパスの経営をめぐっての騒動と機を同じくしてHP(ヒューレット・パッカード)のCEO交代劇がありました。世界でトップのパソコン事業の営業利益率が5%程度に落ち、収益の足を引っ張っているということで、この事業を分離する、つまり手放すことを検討することがきっかけとなったものです。
日本の上場企業のおよそ半数が営業利益率5%を切っているので、日本では信じられないことだと思いますが、それぐらい厳しい成果が経営には求められるということでしょう。事態は、新CEOがパソコン事業はブランド価値の向上のためには必要だということで収まりました。詳しくはブログに書きましたのでそちらでお読みください。
HPのパソコン事業をめぐる経営判断から学ぶべきこと – ライブドアブログ :
日本がどう歩むべきか、そのビジョンに基づいた戦略を考えることよりも、どうも目先の問題にカンフル剤を打って凌ぐこと、またどのように時代に適応して変わっていくかよりは、すでにもっている既得権をいかに守るかになると、一致団結する、またマスコミもそれに乗るという姿は健全とはいえません。
やはり日本は外圧という黒船が来ないと変われないのでしょうか。TPPはそれを考えざるをえないいい契機になるので、交渉に参加し、日本の国益がなにかの国民的な議論を続けるべきだと感じます。それで日本がほんとうに守り育てるべきものがなにで、何を捨て、どう変わるべきかを見出せば大いなる成果です。