日本人の「卑怯」「臆病」体質が不正を助長する―オリンパス不詳事で気がついた事

北村 隆司

「あのジョージ・ミラー博士(アイルランドの歴史家)のような博学な学者ですら、極東における悲しむべき情報の欠如から、東洋には古代にも近代にも騎士道やそれに類する制度はいっさい存在したことはないなどと断言したが、このような無知は許されるべきであろう。なぜなら、博士の著作の第三版が出たのは、ペリー提督がわが国の鎖国の門を開いたのと同じ年だったからである。」

これは新渡戸稲造博士が1899年に著した「武士道」の第一章からの引用である。

爾来100年余。情報化社会、グローバル社会の今日を迎えても、日本の企業統治が一事が万事オリンパス式だと言わんばかりの海外マスコミの報道には苛立ちを覚える。日本人の「日本観」と外国人の「日本観」の違いだと片つけるには、余りに問題が大きすぎる。

この行き違いは、地理的、歴史的な問題もさることながら、国際感覚に欠けた独りよがりの日本のマスコミの発信力不足や、日本の異常とも思える閉鎖的体質に加え、行き過ぎた「ことなかれ主義」などが、色眼鏡に拍車を掛けているに違いない。

「世間を騒がせる」事が罪だと考えがちな世相が「臭い物に蓋をする」悪習を育み、日本を益々特殊な国にしてしまったのかも知れない。

オリンパスの元専務取締役の宮田耕治氏が立ち上げた「olympus grassroot」のQ&A を覗いてみると、賛成論に加え、中傷に近い非難投稿も多く掲載されている。不当とも思える非難に丁寧に回答している宮田氏の姿は、新渡戸博士の言う『武士道』に沿った公正な態度だと感服した。

曰く:
「あなたが誰だか知らないがはっきり言って迷惑だ!余計なことをするな!!俺たちに起きている出来事は俺たちで解決する。言わせてもらえばこのような土壌を作った自分たちを多いに反省しろ!!何様だ、馬鹿野郎」
「私はあなたに賛同できません。オリンパスをはじめ全ての事業会社は、過去の人のものではありません。過去の経営幹部として責任を取らなければならない人の行動は、その賠償責任を負うことであり、貴方の行動は、その責任から逃れるためのようにしか思えません。オリンパスは、過去の人のものではありません。オリンパスの未来を築く現役社員のものです。静かに見守ることが、過去の人(OB)の役割です」
「高山社長と今の混乱を収束しようとしているスタッフを冒涜(ぼうとく)する行為。よく彼を復帰させようとできますね」
これ等の批判には、公器である企業が抱える広範なステークホールダーに対する責任は全く見られず、「正義より「仲間意識を優先する姑息な態度がみえみえです。

匿名の投書をまともに相手にする必要は無いかもしれないが,この様な考えが一定の支持を集める日本の世相は何とかしなければならない。然し、私の言葉でこれだけ価値観の異なる人を説得する自信はない。そこで、再び碩学の言葉を借りる事とした。

重要なのは、誰が正しいかではなく、何が正しいかということである。 (アルダス・ハックスリー)

宮田氏がウッドフォード氏を社長に戻そうと言う運動を始めた動機として、「ナンバーワンに必要な『正しいことを貫く信念』を持っている」と説明されたそうだが、ハックスリーの名言に照らし心からの共感を覚える。

一方、ウッドフォード元社長の来日を「信念の男か。混乱に拍車をかける『雑音』の元凶か」と言う角度で取り上げる日本のメデイアには、『何が正しいか』と言う観点からの論調は見当たらない。

ハクスリーの名言は「言うは易く、行うは難い」言葉だが、世界にはこの言葉を自らを犠牲にして実行した勇敢な人も多い。その一人が、強大な権力を持つニクソン大統領に挑戦し、自ら逮捕されながら大統領を辞職に追い込んだペンタゴンペーパー事件の主人公エルスバーグ博士である。事件当初は、博士に対する非難も多かったが、日本の様な「仲間に恥をかかせた」とか「世間を騒がせた」と言った種類の批判は記憶にない。

宮田氏の運動に対し、高山社長は「役員OBによるネット上の運動が始まっていますが、“雑音”に惑わされることのないように」と言う社内向けの文書を配布して、署名活動に賛同しないよう呼びかけたと言う。

不祥事が国際的な注目を集めている最中に恥じも外聞も無くこのお粗末極まりない行為を取れるとは、蛮行としか言いようがない。

この機に及んで、この愚行に異論を唱える役員がいないとしたら、オリンパスは再び不祥事を起す事は間違いない。これでは「製品一流、経営者五流」のオリンパスに勤務する社員が気の毒だ。

ウッドフォード氏に依ると「地位の変更があっても4年間は待遇は変更せず『重大な非行』があった場合は例外になるという約束で、社長を解任された後も11月までは変更の無かった待遇が、11月に入り「非行」内容の説明もなしに一方的に非常勤役員並の待遇に引き下げられたと言う。これが事実とすれば、透明性もフェア(公正)な精神も持ち合わせない「卑怯者経営」としか言いようが無い。

新渡戸博士は「勇猛果敢なフェアープレーの精神 ― この野性的で子供じみた素朴な感覚の中に、何と豊かな道徳の芽生えがある事か。これこそ、あらゆる文武の徳の根本といってよい。「卑怯者と「臆病者」と言う言葉は、健全でかつ純粋な性質の人間にとってはもっとも侮辱的なレッテルである」と説いている。

透明性の高い経営とは、フェア(公正)な経営と同義語である。オリンパスや大王製紙など、大手企業トップの引き起こした不祥事は、コンプライアンスや企業統治のあり方以上に、企業を私物化した経営者と「世間を騒がせる」より「不正」を見逃す事を選んだ「臆病で卑怯な社員」との合作が引き起こした不祥事だと考えるべきであろう。この不祥事が、日本人の「卑怯さ」と「臆病さ」を問い質している様に思えてならない。