基地問題を沖縄問題から切り離せ

池田 信夫

今週のテーマは「沖縄」。問題提起の意味で、少し刺激的な意見を書きます。今回の沖縄防衛局長の発言は、いまだに正確な事実がわからないのに、彼を更迭して幕引きしようとしていますが、環境影響評価書の提出を男女関係にたとえる意味がわからない。評価書を出すのが、それほど悪いことなのでしょうか。


地元が反対しているというが、どんな迷惑施設でも地元は反対します。橋本政権から15年近く協議を続け、いったん地元も合意した計画を撤回したら、もう国内で基地の建設はできない。米国務省のケビン・メア元日本部長も指摘するように、そもそもアメリカは普天間基地を移設する必要がなく、それは伊丹空港や福岡空港ほど危険でもない。次の航空写真は、1945年に基地ができたときのものですが、まわりにほとんど住宅はない。


ところが次の2000年の写真では、住宅が密集しています。


つまり現在の住民のほとんどは、基地ができた後に引っ越してきた人々なのだから、危険だと思うなら引っ越せばいい。普天間基地の移転は、沖縄で選挙に弱い自民党が地元に金を落とす公共事業として始まったのです。

辺野古にも、基地の補償金として「北部振興策」に8年間で600億円(市民1人あたり100万円)にのぼる国費が投じられており、島袋市長の時代に名護市は基地の受け入れを決めたのだから、民意は明確です。いま地元が言っているのは「基地はいやだが補償金だけはもらっておく」というルール違反です。反対するなら、600億円を返してからにしてほしい。

本質的な問題は、沖縄の基地は極東の安全保障にとって不可欠だということです。中国の軍事力がここ20年で20倍になったともいわれる中で、力のバランスが崩れると何が起こるかわからない。相手が常識的な話のできる国ではないことは、尖閣諸島の事件でわかったはずです。グアムへの移転は戦略的に危険であり、「最低でも県外」などという話はまったくナンセンスだということが判明した以上、辺野古がいやなら普天間が残るだけです。

沖縄の問題は、在日や同和の問題と似ています。地元の政治家が本土の負い目を利用して、いつまでも「沖縄の心を傷つけた」などという情緒的な理由で基地に反対するのは、メア氏もいうように問題を長期化させて補助金を引き出すたかりだといわれても仕方がない。本土はいつまで、沖縄に謝り続けなければならないのでしょうか。基地を感情的な問題とからめるのはもうやめ、日米同盟の中で沖縄をどう位置づけるのかという戦略的な議論をすべきです。