日韓の液晶テレビメーカーが、価格下落に歯止めをかける切り札として登場させたのが3Dでした。しかし、結果は惨憺たるもので、価格下落に歯止めがかからず、厳しい状況がこの業界を襲っています。
任天堂も、スマートフォンにゲーム市場が侵食されはじめたなかで、3Dを切り口にし、テコ入れをはかったわけですがブームに火をつけることができず、1万円の値下げ、またソフトが出揃い始めたことで、ようやく売れ始めたという状況です。
3Dはなぜ成功しなかったのでしょうか。それは、楽しめるコンテンツが揃わないままに、未完成な技術で、供給側の思惑を消費者に押し付けたことだったと感じます。
3Dには独特の歴史があります。ステレオ写真が最初に登場したのは1800年代と古いのですが、つねにそれを見た人はあっと驚き、その不思議さに魅入られます。しかしその感動が長続きしません。多くの人はやがて飽きてしまいます。そして、周期的にブームがやってきます。
第一次3Dブームは1950年代に起ります。テレビが登場したことで、映画産業が打撃を受け、テレビへの対抗から3D映画が登場しました。次のブームは、1980年代にやってきます。アメリカのケーブルテレビ局が1950年代の立体映画を放映したことが話題となり、ハリウッドがたてつづけに立体映画をつくります。それも劇場ではそれほど普及せず、むしろもっとも多く見られたのは、マイケル・ジャクソンの『キャプテンEO』だったのではないでしょうか。ディズニーランドで20年以上まえに見ましたが、衝撃的でした。
そしてやってきたのが、第三次3Dブームです。3D映画を楽しめるIMAXシアターが増え、ロバートキャメロン監督の「アバター」などがヒットします。そういった動きで今度こそは3Dが定着すると読んだ液晶テレビ業界もそれにあわせて参入したということでしょう。
つねに3Dは、業界の思惑、映像産業の活性化の道具として使われ、最初はその効果はあるものの、一過性のブームで終わってきました。そして少数の熱狂的なファンが定着するという歴史をたどってきたのです。
たしかに、コンピュータグラフィックスの発展によって、コンテンツをつくるための技術が進化し、3Dのコンテンツを比較的容易につくれるようになったからかつての一過性のブームとは違うという見方もあります。
過去の立体映画ブームとの違い : 第三の革命 立体3D映画の時代 – 映画.com :
しかしそれは、制作費をかけても元がとれる、立体を意識した制作ができる映画産業の話で、放送局のコンテンツを立体化しても、その意図で撮影されていないために魅力は薄くなり、成立が難しいことはこれまでのブログで指摘してきました。映画産業も日本では3Dよりも映画館を増やすこと、もっと気軽な価格で映画を楽しめる環境づくりのほうがはるかに重要だったはずです。
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3Dの最大の欠点は、もともと人は、平面画像でも頭のなかで立体的に組み立てなおして見ているにもかかわらず、無理に立体映像を見せると、その不自然さに疲れてしまい、好まない人が多いことです。ゲームなら立体化することで迫力もでてくるので、まだわかります。しかしそのゲームですら、任天堂は3DS発売時にはソフトを揃えることができず、苦戦してしまいました。
忘れてはならないのは映画でも、テレビ番組でも、ゲームでもコンテンツの面白さとそれを見るハードが揃ってはじめてユーザー満足が得られるのです。
3Dに馴染んできた立場からすると、一過性の技術に、日韓の液晶メーカーが乗ってしまったことは、なにか悪夢を見ているようでした。なによりも重要なことは、3Dの液晶テレビも値崩れに歯止めがかからなかったのです。消費者はプレミアム価値を認めず、日韓の液晶メーカーが競いあう中で、3D対応機も値崩れしていきました。それは日韓の液晶テレビメーカーが消費者に敗れたということに他なりません。
どこがボタンのかけ違いだったのでしょうか。インターネットの普及や、価値観の多様化などで、テレビをめぐる消費者のライフスタイルの変化が起こったわけですが、それはテレビがリビングや寝室で人々が接する圧倒的なメディアの王座からの後退となりました。テレビだけに目を凝らす時間の減少、ながら見の増加です。
テレビが絶対ではなくなると、当然消費者のテレビへの価値意識も低下し、同時に消費支出も減ってきます。しかもテレビはコンテンツも危機も驚くべき進化もないままに、成熟し、ハードの性能の向上と大画面化が進み、また供給能力だけが伸びてきたのです。
『笑点』や『家政婦のミタ』の視聴率が高く人気が高いのですが、その番組を3Dで見たいと思う人がどれほどいるのでしょうか。
メディアの多様な選択肢をもってしまったライフスタイルの変化の大きなトレンドを、テレビ産業だけで変えることは到底無理なことです。焦点を当てるべきは、モノという技術ではなく、そのようなライフスタイルの変化に適応するテレビのあり方でした。これはコンテンツを提供する放送業界にも通じます。
ライフスタイルの変化に対応するイノベーションに焦点をあてるべきでしたが、哀しいかな、日本だけでなく韓国も、製造業の文化の限界から抜け出すことよりも、製造業のできる範囲でのカンフル剤を選んでしまったのです。
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どう見えるかということを工夫する時代ではなく、どのように消費者の生活を変えるのか、消費者が潜在意識のなかで、本当はしたいけれど、無理だと諦めていることを実現してこそ価値は生まれるということに気がついて欲しいものです。
SONYは、テレビ、スマートフォン、タブレット、そしてPCの4画面をつなぐ構想をすでに発表し、また各社もその方向に向かうようですが、忘れて欲しくないのは、ただネットワークで繋ぐハードの発想ではなく、それによってどのような新しい体験が広がるのかを、やはりユーザー起点で考え、コンテンツの集積も含め進めてほしいことです。
今日は、成熟した市場のなかでは、ライバルとのシェア争いに意味はなくなってきており、むしろ消費者の価値観やライフスタイルの変化、またそのハードルにどう挑むかに開発やマーケティングの焦点は移ってきていることをぜひ3Dの教訓から学んでいただきたいと心から願っています。