玉井さんの記事を読んで、自炊という行為そのものではなく少なくとも自炊代行に関する僕の考え方は変わりました。僕自身かつて某自炊代行会社のプレミアム会員だった時期があるのですが、その当時は手持ちの本をいかに安く電子化するかという観点で、裁断機とスキャナーを買うより自炊代行にお願いした方が経済メリットが高いという理由で利用していました。
実際、スキャナーと裁断機のコスト(ランニングコスト・不動産コスト含めて)と自炊に要する時間を考えると、数百冊程度の本であれば採算が合いません。個人にとってはメリットの大きい自炊代行であるが玉井さんが仰るように、自炊代行とうたいながらも人気書籍に関しては一度デジタル化してあとは複製するだけという可能性を考慮すると確かに有名であればあるほど著者に与える影響は大きい。
ただ、自炊代行に対する僕の意見は肯定側に立っています。
簡単な思考実験してみましょう。例えば歴史的に価値のある古書を所有していた場合、それをわざわざ裁断してまで電子化するでしょうか? また、大好きな小説家がいたとして、その方の本をやすやすと切り裂いて煌々と光る液晶画面で読みたいと思うでしょうか?
答えはもちろんNOだと思います。
それは、装丁・カバー・帯等を含めた本という物質そのものに価値を見てるからです。
玉井さんが仰ったようなマクロの目線に立つと、訴えを起こした小説家を擁護する論理は法律云々を抜きにしても十分に理解できます。
ただ、電子書籍に対する世間のニーズがあるのも事実です。本来ならば出版社が率先して消費者のニーズを叶えていくべきだったのですが、標準化とか横並び体質が邪魔をしてなかなか思うようにスタートを切れませんでした。そこで他の企業が法律に触れない範囲で参入してくるのは至極当たり前の話です。
ここで無理に法律で抑えようとしてしまうと、音楽に違法ダウンロードが蔓延してしまったように本も違法ダウンロードサイトが出現してしまい、業界全体が衰退してしまう可能性もあります。
この過渡期こそ早い段階で電子書籍に対してうまく課金するシステムを作る必要があります。また、こんな時だからこそ装丁も含め本という実態を持った物質そのものに今まで以上に価値を生み出す著者が現れる可能性もありますし、電子書籍という特性を利用して新たな付加価値を見出す著者もいるでしょう。いずれにも選ばれなかった著者は時代のニーズという淘汰を受けただけであって、その淘汰を起こさないために自炊代行や既得から著者を守る必要は僕はないと思います。
宮本 佳昭
某IT企業社員